仁和寺(にんなじ) 真言宗御室派総本山
仁和寺H.P
http://www.ninnaji.or.jp
仁和寺(にんなじ)は、真言宗御室派の総本山です。
創建当時より皇室との結びつきが強い寺院で、
出家後の宇多法王がお住まいになったことから
御室御所(おむろごしょ)とも呼ばれ、
御室桜と呼ばれる桜の名所しても知られています。
明治時代までは皇族が代々の住職を務めており、
門跡寺院の代表格となっていました。
1994年(平成6年)には「古都京都の文化」の構成要素として
財世界遺産にも指定されています。
二王門
仁和寺の正面入り口である二王門は壮麗で重厚な造り。
門の高さは約19mあり、入母屋造りで二層の本瓦葺屋根を持ちます。
門の左右に安置されているのは、阿吽の呼吸をする二王像。
通常は仁王と表記しますが、仁和寺では二王と表記するそうです。
重要文化財に指定されています。
二王門は知恩院や南禅寺の三門と同時代に建立されましたが、
知恩院や南禅寺の門が禅宗様式なのに対して
二王門は平安時代の様式を受け継ぐ和様となります。
御殿への入り口、本坊表門 横に料金所
御殿への拝観料は(大人500円・中学生以下300円)
境内自由の拝観は自由です。(桜の時期などは別途拝観料が必要)
御殿の入口の本坊表門。
重要文化財に指定されています。
仁和寺 概略
仁和寺の始まり
仁和寺の歴史は仁和2年(886年)第58代光孝天皇によって
「西山御願寺」と称する一寺の建立を発願されたことに始まります。
しかし翌年、光孝天皇は志半ばにして崩御されたため、
第59代宇多天皇が先帝の遺志を継がれ、
仁和4年(888年)に完成。寺号も元号から仁和寺となりました。隆盛と衰退
宇多天皇は寛平9年(897年)に譲位、
後に出家し仁和寺第1世 宇多(寛平)法皇となってから、
皇室出身者が仁和寺の代々門跡(住職)を務め、
平安〜鎌倉期には門跡寺院として最高の格式を保ちました。
しかし応仁元年(1467年)に始まった応仁の乱で、
仁和寺は一山のほとんどを兵火で焼失するという悲運に見舞われました。
そんな中、本尊の阿弥陀三尊をはじめ什物、
聖教などは仁和寺の院家であった真光院に移され、
法燈とともに伝えられていきました。江戸時代の復興
応仁の乱から約160年後の寛永11年(1634年)、
ようやく再興の機会が訪れます。
『仁和寺御伝』によれば、同年7月24日、仁和寺第21世 覚深法親王は、
上洛していた徳川幕府3代将軍家光に仁和寺再興を申し入れ、承諾されるのです。
さらには慶長度の御所造替とも重なり、
御所から紫宸殿(現 金堂)、清涼殿(御影堂)など多くの建造物が下賜され、
正保3年(1646年)に伽藍の再建が完了。ようやく創建時の姿に戻ることが出来たのです。●近世の仁和寺
慶応3年(1867年)、第30世 純仁法親王が還俗したことにより
皇室出身者が門跡となる宮門跡の歴史を終えます。
また、明治20年(1887年)には御殿の焼失がありましたが、大正時代に再建。
昭和時代に入ると、仁和寺は真言宗御室派の総本山となり、
近年では平成6年(1994年)に古都京都の文化財の1つとして
ユネスコの「世界遺産」に登録され、新たな歴史を刻んでいます。
世界遺産の登録証もありました。
御殿は主に「白書院」「宸殿」「黒書院」「霊明殿」の四棟からなります。
その他に立ち入ることが出来ない別棟の「遼廓亭」「飛濤亭」は
共に重要文化財に指定されている。
白書院
宸殿南庭の西側に建立。
襖絵などは、昭和12年(1937年)に福永晴帆(1883〜1861)画伯による
松の絵が部屋全体に描かれています。
宸殿
儀式や式典に使用される御殿の中心建物で、
寛永年間に御所から下賜された常御殿がその役割を果たしていましたが、
明治20年(1887年)に焼失。
現在は大正3年(1914年)竣工されたもの。
御所の紫宸殿と同様に檜皮葺、入母屋造。内部は三室からなり、
襖絵や壁などの絵は全て原在泉(1849〜1916)の手によるもので、
四季の風物をはじめ、牡丹・雁などが見事に描かれています。
黒書院
宸殿の西側に建立。
京都・花園にあった旧安井門跡の寝殿を移して改造したもので、
明治42年(1909年)竣工。設計は安田時秀。
内部は竹の間・秋草の間など6室からなり、
昭和12年(1937年)に堂本印象(1891〜1975)が描いた襖絵が室内全体を飾ります。
現在、印象が付けた画題の名がそのまま各室の名称となっています。
南庭
宸殿の南側にあることから南庭と呼ばれています。
庭内には左近の桜、右近の橘が植えられ、
その前方に白砂と松や杉を配した、簡素の中にも趣のある庭といえます。
北庭
宸殿の北側にあることから北庭と呼ばれ、
南庭とは対照的な池泉式の雅な庭園です。
斜面を利用した滝組に池泉を配し、築山に飛濤亭、
その奥には中門や五重塔を望む事が出来ます。
庭の制作年は不明ですが、元禄3年(1690年)には加来道意ら、
明治〜大正期には七代目小川治兵衛によって整備され現在に至ります。
霊明殿
宸殿の北東にみえる霊明殿は、仁和寺の院家であった
喜多(北)院の本尊 薬師如来坐像を安置する為に明治44年(1911年)に建立。
設計は亀岡末吉。内部は正面に須弥壇を置き、小組の格天井をはじめ、
蟇股の組物などの細部に至るまで見事といえ、他の建物ともよく調和しています。
また正面上に掲げられた扁額は近衛文麿の筆です。
勅使門
大正2年(1913年)竣工。設計は京都府技師であった亀岡末吉。
檜皮葺屋根の四脚唐門で前後を唐破風、左右の屋根を入母屋造としています。
また、鳳凰の尾羽根や牡丹唐草、宝相華唐草文様や幾何学紋様など、
細部にまで見られる彫刻装飾は、伝統的和様に亀岡独自の意匠を取り入れたもので、
斬新かつ見応えがあります。
中門
二王門と金堂の中間に位置し、
五重塔や観音堂といった伽藍中心部に向かう入口ともいえる門。
切妻造・本瓦葺・柱間三間の八脚門で、
側面の妻部には二重虹梁蟇股が飾られています。
また、向かって左側に西方天、右側に東方天を安置します。
重要文化財指定。
名勝 御室桜
名勝 御室桜
毎年春、仁和寺は満開の桜で飾られます。
金堂前の染井吉野、鐘楼前のしだれ桜などが競って咲き誇ります。
その中でも中門内の西側一帯に「御室桜」と呼ばれる遅咲きで有名な桜の林があります。
古くは江戸時代の頃から庶民の桜として親しまれ、数多くの和歌に詠われております。
また、花見の盛んな様子は江戸時代の儒学者・貝原益軒が書いた
『京城勝覧』(けいじょうしょうらん)という京都の名所を巡覧できる案内書にも
次の様に紹介されています。「春はこの境内の奥に八重桜多し、洛中洛外にて第一とす、
吉野の山桜に対すべし、…花見る人多くして日々群衆せり…」と記され、
吉野の桜に比べて優るとも劣らないと絶賛されております。そして近代大正13年に国の名勝に指定されました。
名勝 御室桜 前の休憩所
かなり散ってしまっていましたが、さすがの美しさです。
金堂 (国宝)
仁和寺の本尊である阿弥陀三尊を安置する御堂。
慶長年間造営の御所 内裏紫宸殿を寛永年間(1624〜43)に移築したものです。
現存する最古の紫宸殿であり、当時の宮殿建築を伝えるの建築物として、
国宝に指定されています。
堂内は四天王像や梵天像も安置され、
壁面には浄土図や観音図などが極彩色で描かれます。
経蔵
寛永〜正保年間の建立。宝形造、本瓦葺。
正面に両開きの板唐戸、左右に花頭窓を付け、禅宗様で統一されます。
内部は釈迦如来・文殊菩薩・普賢菩薩など六躯を安置し、
壁面には八大菩薩や十六羅漢が描かれます。
内部中央には八面体の回転式書架(輪蔵)を設け、各面に96箱、
総計768の経箱が備えられており、
その中には天海版の『一切経』が収められています。
重要文化財 指定。
五重塔
寛永21年(1644年)建立。塔身32.7m、総高36.18m。
東寺の五重塔と同様に、
上層から下層にかけて各層の幅にあまり差が見られない姿が特徴的です。
初重西側には、大日如来を示す梵字の額が懸けられます。
塔内部には大日如来、その周りに無量寿如来など四方仏が安置されます。
中央に心柱、心柱を囲むように四本の天柱が塔を支え、
その柱や壁面には真言八祖や仏をはじめ、菊花文様などが細部にまで描かれています。
重要文化財 指定。
五重塔の後ろ、寺院東側には九所明神が鎮座します。
このエリアは人気がなく寺院内をゆっくりと巡るにはオススメのスポット。
九所明神
仁和寺の伽藍を守る社。
社殿は本殿・左殿・右殿の三棟あり、
八幡三神を本殿に、東側の左殿には賀茂上下・日吉・武答・稲荷を、
西側の右殿には松尾・平野・小日吉・木野嶋の計九座の明神を祀ります。
九所明神の最古の記録は『御室相承記』に、
建暦2年(1212年)に境内南にあったものを東に遷宮した事が書かれています。
現在の建物は寛永年間に建立されたものです。
重要文化財 指定。
鐘楼
入母屋造、本瓦葺。 「鐘楼」の「楼」とは元来二階建ての建物を指します。
階上は朱塗で高欄を周囲に廻らせ、
下部は袴腰式と呼ばれる袴のような板張りの覆いが特徴的です。
また、通常吊られた鐘は外から見ることが出来ますが、
この鐘は周囲を板で覆われており見ることが出来ません。
重要文化財 指定。
御影堂
鐘楼の西に位置し弘法大師像、宇多法皇像、仁和寺第2世性信親王像を安置します。
御影堂は、慶長年間造営の内裏 清涼殿の一部を賜り、寛永年間に再建されたもので、
蔀戸の金具なども清涼殿のものを利用しています。
約10m四方の小堂ですが、檜皮葺を用いた外観は、
弘法大師が住まう落ち着いた仏堂といえます。
重要文化財 指定。
水掛不動
近畿三十六不動霊場の第十四番札所。
鐘楼と御影堂の間に位置し、石造の不動明王を安置します。
不動明王に水を掛けて祈願する事から、水掛不動とも呼ばれています。
「御本尊 阿弥陀如来」の御朱印
仁和寺のご本尊は阿弥陀如来です。
普通に「御朱印をお願いします」というと阿弥陀如来の御朱印を頂くことができます。
「旧御室御所」の御朱印
旧御室御所の御朱印には、菊紋が押印されています。