日本武尊陵(白鳥陵)・大阪府羽曳野市軽里




日本武尊陵(白鳥陵)・大阪府羽曳野市軽里

大阪府羽曳野市軽里

日本武尊 陵(やまとたけるのみこと)(景行天皇皇子、仲哀天皇父)

遺跡名は「軽里大塚古墳」、別称を「前の山古墳」や「白鳥陵古墳」ともいい、

羽曳野市の名前の由来となった古墳です。

墳丘長190メートルの前方後円墳で、5世紀後半の築造と推定されています。

古墳は世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」構成資産とされています。

軽里大塚古墳白鳥陵古墳)

古市古墳群の南部、墓山古墳の南、白髪山古墳の北東に位置する。全長約190m、後円部径約106m、高さ約20m、前方部幅約165m、高さ約23mで、古市古墳群で7番目の大きさである。墳丘は三段築成で前方部を西に向け、北側のくびれ部には造り出しがある。周囲には幅約35mの周濠と上面幅21mの堤がめぐらされている。

主体部や副葬品については不明である。1981年の発掘調査で、後円部の円筒埴輪列が確認されたほか、朝顔形埴輪や家、蓋などの形象埴輪が出土した。これらの出土品や、前方部幅が後円部径に比べて約1.5倍もあるという墳形上の特徴から、古市古墳群では市ノ山古墳とほぼ同時期、5世紀後半の築造と推定されている。2021年に周堤が国の史跡に指定されている。

日本武尊の陵墓は、宮内庁により次の3ヶ所に治定されています。

能褒野墓(のぼののはか)・三重県亀山市田村町

白鳥陵(しらとりのみささぎ)・奈良県御所市富田

白鳥陵(しらとりのみささぎ)・大阪府羽曳野市軽里

最初に埋葬された陵は、三重県の能褒野墓(能褒野王塚古墳)と伝わります。

能褒野墓から白鳥となり飛去った日本武尊は、

日本書紀では、奈良県御所市に降り立ち、陵(白鳥陵)が築かれます。

その後、南河内に留まり、陵(白鳥陵)が築かれたあと昇天します。

古事記では、奈良県御所市に降り立った記述はありません。

「羽曳野」の地名は、この軽里大塚古墳(白鳥陵古墳)に由来します。

白鳥が飛び立った際「埴生の丘を羽を曳くがごとく飛び立った」と言う伝説からきています。

なお、羽曳野市になる前の市名は「南大阪市」でした。

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