第24代 仁賢天皇(埴生坂本陵)・大阪府藤井寺市青山




第24代 仁賢天皇(埴生坂本陵)・大阪府藤井寺市青山

大阪府藤井寺市青山3丁目

第24代仁賢天皇陵(にんけんてんのう)

埴生坂本陵(はにゅうのさかもとのみささぎ)遺跡名「ボケ山古墳(野中ボケ山古墳)

墳丘長122メートルの前方後円墳です。

古墳は世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」構成資産とされています。

遺跡名の「ボケ山古墳」は、一説によると「億計(おけ)」が訛って「ボケ」になった

との説があります。

第24代 仁賢天皇

別名 日本書紀 億計天皇(おけのすめらみこと)・諱 大脚(大為)

誕生 允恭天皇38年

崩御 仁賢天皇11年8月8日

在位 仁賢天皇元年1月5日 – 同11年8月8日

続柄 (父)市辺押磐皇子(履中天皇皇子)(母)荑媛

去来穂別天皇(履中天皇)の長子である市辺押磐皇子の第二子。母は葛城蟻臣(ありのおみ)の女の荑媛(はえひめ)。同母姉に飯豊女王、同母弟に弘計天皇(顕宗天皇)がいる。安康天皇が暗殺されたあとの後継者争いで父が大泊瀬天皇(雄略天皇)に殺されたため、弟と共に身を隠す。

大泊瀬天皇が在位23年で崩御して子の白髪天皇(清寧天皇)が即位した際、弟と共に命がけで皇族であることを現して無事に皇子と認められ太子になった。白髪天皇が在位5年で崩御した際、弟の弘計皇子に皇位を譲って太子のままでいた。弘計天皇が即位3年で崩御すると即位。皇子の小泊瀬稚鷦鷯尊を皇太子に定め、11年8月に崩御。

野中ボケ山古墳(仁賢天皇埴生坂本陵)

野中ボケ山古墳は墳丘長122メートルで、前方部を南西に向けた前方後円墳です。くびれ部のやや前方部寄りに造出しをもち、周囲には濠と堤をめぐらせています。
後円部の幅や高さに対して前方部のそれが大きく上回る平面形態を呈し、古市古墳群の中では新しい時期の特徴を見出すことができます。墳丘の外表施設や内部施設は不明ですが、堤上から出土した円筒埴輪は6世紀前葉に比定されます。

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