下野国一宮 日光二荒山神社 中宮祠・栃木県日光市中宮祠




下野国一宮 日光二荒山神社 中宮祠・栃木県日光市中宮祠

栃木県日光市中宮祠、中禅寺湖の北岸に鎮座する

日光二荒山神社 中宮祠(にっこうふたらさんじんじゃ ちゅうぐうし)」です。

男体山の山頂にある「二荒山神社奥宮」と、日光市内にある「二荒山本社

二社の中間にあるため「中宮祠」と呼ばれています。

この三社をあわせて「日光二荒山神社」と呼ばれます。

日光三山をご神体として祀る神社で、延暦3年(784年)に建立されたと伝わります。

主祭神は次の3柱で、総称して「二荒山大神」と呼ばれています。

大己貴命(おおなむちのみこと)

田心姫命(たごりひめのみこと)

味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)

また、それぞれ「日光三山(男体山・女峯山・太郎山)」の一山があてられています。

二荒山神社 中宮祠の境内は、本殿など7棟が重要文化財に指定され、

宝物館では二荒山神社が所有する刀剣など多くの宝物を見学可能です。

本殿横には男体山への登拝口があり、例年4月下旬~11月上旬頃には登山口の門が開きます。

南参道 鳥居と社号標

国道120号沿いに面する南参道、階段の先に八脚門が建つ。

また東側からは境内に車で入ることが出来ます。

東参道 鳥居

中宮祠宝物館

日光二荒山神社 宝物館

所在地    〒321-1661 栃木県日光市中宮祠2484

開館時間   夏( 4月〜10月)8:30〜16:30

冬(11月~3月) 9:30〜15:30

休館日    火曜日・水曜日(臨時休館日あり)

拝観料    大人 1,000円 / 小中学生 300円
10名以上の団体:大人800円 / 小中学生200円

社務所

二荒山神社中宮祠の文化財

・ 本殿-元禄14年,三間社流造,銅瓦葺-国指定重要文化財
・ 拝殿-元禄14年,入母屋,銅瓦葺,桁行5間,梁間4間-国指定重要文化財
・ 中門-元禄14年,切妻,銅瓦葺,四脚門-国指定重要文化財
・ 掖門及び透塀-元禄14年,猿頭付銅板葺,碗木門-国指定重要文化財
・ 鳥居(3基)-青銅製-国指定重要文化財
・ イチイ-推定樹齢1100年,樹高18m,幹周4.2m-栃木県指定天然記念物
・ イチイ-推定樹齢300年,樹高19.5m,幹周3.9m-栃木県指定天然記念物
・ 刀 銘(表)河内大掾藤原国定・(裏)奥州会津住-貞享3年-栃木県指定文化財
・ 太刀 無銘-南北朝~室町時代-栃木県指定文化財
・ 黒漆革蛭巻太刀拵-室町時代-栃木県指定文化財
・ 黒漆革蛭巻鱗文付太刀拵-南北朝~室町時代-栃木県指定文化財

南湖閣

二荒山神社(中宮祠)

日光二荒山神社は海抜2486mの標高を誇る関東一の霊峰男体山(二荒山、黒髪山とも呼ばれる)を御神体山として、奈良時代の天応2年(782年)に勝道上人により奉祀された。下野国一之宮と崇められ、明治6年に国幣中社に列せられる。
御社は日光市内三か所に鎮座しており、男体山頂に奥宮、日光市山内の東照宮西並びに御本社、男体山登拝口であり北岳南湖の景勝の地に中宮祠が鎮座する。
境内地は男体山を始めとする日光連山・華厳滝・いろは坂などが含まれ、日光国立公園の中枢をなし総面積は約3400ヘクタールに及ぶ。
登拝門
霊峰男体山の登山口で、毎年5月5日から10月25日まで開かれ登拝することができる。
唐銅鳥居(重文)
台座に蓮の花があしらわれた神仏習合の名残を残す鳥居である。
山霊宮(やまのみや)
男体山信仰に貢献された登拝講社の方々の御霊を祀る御社。
毎年10月25日に顕彰祭を執行する。
牛石(うしいし)
かつて牛馬禁制を破って連れてこられた牛が神の怒りを買い、石にされてしまった伝承のある史跡。大正時代に消失したが、平成21年に地元の有志が復元した。
水神碑
大正10年に中宮祠渡船組合が創建した。
水波能売神を祭る。
毎年9月5日には例祭が執り行われ、神賑行事としてスワンボートレースが開催される。
日光二荒山神社宝物館
太古より連綿と続く霊峰男体山信仰により奉納された宝物、山頂祭祀遺跡の発掘品、その他郷土資料等を公開するため昭和37年に開設された、栃木県第一号の私立博物館である。
刀剣類
太刀、刀、脇差、短刀、槍等国宝、重要文化財を含む170口余りの刀剣を所有する。
男体山頂祭祀遺跡出土品
二荒山神社の御神体山である男体山頂には奈良時代からの祭祀遺跡があり、大正13年、昭和43年の学術調査により約10,000点の出土品が発掘され、一括重要文化財に指定されている。山頂遺跡は西の沖ノ島(宗像大社)と双壁をなす我が国屈指の祭祀遺跡であり、山の正倉院とも称される。
その他
皇室の御物や本社例大祭で使用されていた神輿など数多くの宝物を展示する。
御所車香炉〈左〉温泉神社銅祠〈右〉(重文)
香炉は明治天皇の皇后である昭憲皇太后が所持された、王朝雅のかおり漂う御物。皇室より二荒山神社に御下賜された。
温泉神社銅祠は屋上の前面に銘文があり、永正10年(1513)に天命の鋳工によって製作されたことがわかるる
大太刀備前長船倫光(国宝)
この太刀は野太刀又は背負太刀とも呼ばれる長大なものであり、作製年代は南北朝時代。全長1.24メートル、拵は野太刀拵で太刀と同時代のもので現存する希少な太刀である。
大太刀祢々切丸(重文)
二荒山神社の御神刀のひとつである。作製年代は南北朝時代。
全長3.4メートル・重量22.5kgであり日本一の大太刀である。例大祭の弥生祭では男体山麓より雄鹿3頭を捕り、その生皮にのせて大前にお供えする習わしになっている。
名の由来は、日光山中のねねが沢に棲んでいた化け物「祢々」を自然に鞘から抜け出して斬ったことから名づけられた。
金銅装神輿三基(重文)
新宮(本社)滝尾(滝尾神社)本宮(本宮神社)各社の神輿で、毎年4月の例大祭「弥生祭」に使用されていた。作製年代は南北朝時代で現在の栃木県小山市付近で作製された。雅な京風の神輿と異なり、坂東風の力強い作風である。
山霊感応
奈良時代の末に、男体山に登頂するべく困難を重ねた開祖勝道上人が大谷川にはばまれ神仏に祈念したところ、深沙大王が現れ腕の蛇が絡み合い橋となった。二荒山神社の神橋の伝説の緊張の一瞬を日本画の巨匠前田青邨画伯が描いた作品である。宝物館に飾られる事を想定し勝道上人一行が山頂の方角に向かい合掌するように構成されている。
男体山頂祭祀遺跡発掘品(重文)
男体山頂には奈良時代からの祭祀遺跡があり、約10,000点の出土品が発掘され、一括重要文化財に指定されている。
鉄鐸は神霊を招き邪気を祓う呪具、また獣害などの危害を避ける法具として用いられたと考えられる。
銅鏡は山頂での祭祀に使用されたものと考えられ、160面以上発掘されている。代表的なものは、写真の「瑞雲飛鳥入稜鏡」や「海獣葡萄鏡」などがある。
銅印は11穎発掘されているが、中でも写真の印は「束尼寺印」とあり鶏頭鉦の寺印(公印)である。

御神体山 霊峰 男体山

関東総鎮守 下野国一之宮日光二荒山神社

当神社は太古より霊峰二荒山(男体山) を神鎮まります御神体山として尊崇 奉祀された神社である。
神護景雲年間に社殿を造営し、以来 千二百年の由緒ある延喜式名神大社。

御祭神 二荒山大神 三柱
大巳貴命(大国主命)
田心姫命
味耜高彦根命

御社殿

奥宮(男体山頂)中宮祠(当地)本社(日光山内)
(別宮)滝尾神社・本宮神社
(末社)境内各所・日光連山各山頂

主な祭典(中宮祠)

武謝祭 一月四日
開山祭 五月五日
登拝大祭 七月三十一日~八月八日
閉山祭 十月二十五日

中門

二荒山神社 中宮祠 御由緒

日光二荒山神社は太古、秀峰二荒山(男体山2484m)を神鎮まり坐す御神体山として尊崇したことから奉祀された御社である。
御祭神は二荒山の大神と申し大己貴命(大国主命)、妃神の田心姫命、御子神味耜高彦根命三柱の大神をお祀りし、延喜式名神大社、下野国一の宮と崇められ国幣中社に列せられた名社である。
主神大己貴命は国土経営、産業開発、凡ての産業を司り福の神と称へられ、農業、醸造、婚姻、温泉、医薬の祖神として遍ねく国土国民を守り幸へ給う神で、妃神、御子神と共に御神徳いよいよ高く広く輝き給うのである。男体の御山に大己貴命、女峰の御山に妃神、太郎の御山に御子神が鎮まりまして、親子三神大空に聳えて和気あいあい団欒の和やかさを拝すれば自ら景仰の思ひ新たなるものがある。 当社の境内地は面積凡そ三千四百町歩に及び伊勢神宮に次ぐ広大な境域で、日光連山の主峰男体山を始め、女峰山、太郎山、大真名子山、小真名子山、前白根山、奥白根山の諸山は夫々神体山として気高くそそり、鬱蒼たる原始林に囲まれ華厳滝、白雲滝、般若、方等七滝等名瀑がどうどうと千古の神韻を轟かしている。此等の地域は悉く神域たると共に日光国立公園の中枢となっている。

手水舎

稲荷社

神楽殿

拝殿(重要文化財)

二荒山神社 中宮祠

二荒山神社の創建は天応2年(782)勝道上人が男体山頂に社殿(現在の奥宮)を建立したのが始まりと伝えられています。延暦3年(784)に参拝が困難な事から麓に中宮祠を建立、以後本宮の遥拝所として発展し、延長5年(927)にまとめられた延喜式神名帳に記載されている名神大社で下野国一之宮、関東総鎮守として広く信仰されました。二荒山神社は最初に二荒山(日光山=男体山)の遥拝所として現在の本宮神社の境内付近に祠(後の本社)が設けられ、その後、勝道上人が二荒山の登頂に成功した事で山頂に祠(後の奥宮)が建立、最後に登拝口となる現在に中宮祠が創建されました。同時期に創建された別当寺院(神宮寺)である補陀洛山中禅寺とは関係が深く当社も「中禅寺権現」とも呼ばれました。

「二荒山碑」や「補陀洛山建立修行日記」、「中禅寺私記」によると、勝道上人は延暦3年(784)に弟子である道珍らと中禅寺湖を舟で巡り、湖畔に神宮精舎を創建し中禅寺を名付け、その隣に権現(日光山権現・※後の二荒山神社中宮祠)の社殿を建てた事が記載されています。勝道上人は中禅寺で4年間修行した後、延暦7年(788)に湖の北岸に、さらに南岸に遷り五大尊堂を建立し、しばらく湖上に浮かぶ小島で暮らしたそうです。中宮祠と中禅寺は正に神仏習合し、中宮祠には二荒山の祭神である大巳貴命(大国主命)が祭られ、中禅寺にはその本地仏である千手観音(十一面千手観音・国指定重要文化財)が安置されました。

古くから中禅寺と神仏習合し「男体中宮」、「男体権現」、「中禅寺権現」などとも呼ばれていましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により独立しています。明治11年(1888)にはイギリス人女性紀行家イザベラバードが訪れ、明治35年(1902)に大規模な山崩れが発生し中禅寺側の境内が土砂により中禅寺に押し流され壊滅的な被害を受けています。中宮祠は奇跡的にも被害が少なく、江戸時代中期に造営された社殿群が残されています。現在の本殿(三間社流造)、拝殿(五×四間)、中門、掖門は元禄14年(1701)に再建されたもので、室町時代の様式を残すものとして国重要文化財に指定され、世界遺産に登録されています。又、女人禁制だった事でも知られ、巫女が誤って境内に入り石化したと伝わる巫女石があります。

男体山は二荒山神社の「御神体山」であり、境内地になります。

そのため例年「4月25日〜11月11日」の登拝期間のみ登山が可能です。

登拝料1,000円を納めて入山します。

4月25日に山開きとなる「開山祭」が行われます。

その後、日光二荒山神社中宮祠にある登拝門が開かれ男体山への登拝が可能となります。

そして11月11日には登拝門を閉じられ、シーズンを終わらせるための神事である

「閉山祭」が執り行われます。

授与所

中門横の「授与所」にてお守りやお札、御朱印等と共に、

シーズン中には登拝の手続きを行います。

連絡先等を記入、入山料を収め、簡単な説明を受けると、

安全を祈願したお守りをもらうことができます。

登拝口鳥居(重要文化財)

中宮祠と男体山頂上の間には、1合目に遙拝所・4合目に石鳥居・8合目に瀧尾神社、

山頂には日光二荒山神社奥宮と太郎山神社、および二荒山大神像があります。

平均的なコースタイムは登りが3時間50分・下りが2時間30分。

奥宮 社殿

男体山の山頂近くに鎮座する日光二荒山神社 奥宮です。

勝道上人により天応2年(782年)に創建されたと伝わります。

二荒山大神像 御神像(男体山山頂)

二荒山神社 奥宮

二荒山神社の創建は天応2年(782勝道上人が男体山(標高:2486m・日本百名山)の山頂に社殿を建立したのが始まりと伝えられています。延暦3年(784)に参拝が困難な事から麓に中宮祠を建立、以後本宮の遥拝所として発展し、延長5年(927)にまとめられた延喜式神名帳に記載されている名神大社で下野国一之宮、関東総鎮守として広く信仰されました。中宮祠の境内から奥宮までの登拝道がありその入口には青銅製の鳥居(国指定重要文化財)と登拝門(開門は例年開山祭の5月5日から閉山祭の10月25日まで)が設置されています。1合目には遥拝所と鳥居があり4合目からから本格的な登山、8合目に滝尾神社が鎮座しています。滝尾神社は日光三山の1つである女峰山の祭神である田心姫命を祭る神社で明治時代初頭に発令された神仏分離令後は二荒山神社の別宮に位置づけられています。山頂には奥宮の社殿と共に、同じく日光三山の1つ太郎山の祭神である味耜高彦根命を祭る太郎山神社が鎮座しています。登拝門から奥宮までは約6キロ、通常3.5時間から4時間程で登る事が出来ます。祭神は二荒山大神、大己貴命、田心姫命、味耜高彦根命。

男体山 山頂(標高2486m)

男体山の古名が「二荒山(ふたらさん)」とされ、神社名とされています。

この「二荒山」の名の由来には、補陀洛山(ふだらくさん)が訛った等、諸説があります。

日光二荒山神社 太郎山神社

奥宮近くの「太郎山神社」付近からは奈良時代から近世に至る祭祀遺物が出土し、

一帯は「男体山頂遺跡」といわれています。

出土品の多数は重要文化財に指定されており、現在は「中宮祠宝物館」にて保管、

一部は宝物館にて拝観することができます。

男体山より望む中禅寺湖

御朱印

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