春埜山(883.4m)大河内ルート・上野平より

2025初年の初登りはお参りを兼ねて春埜山 大光寺へ。
今までに何度か訪れている春埜山大光寺ですが、
江戸時代に書かれた遠江国に関する名所図会書である 「遠江古跡図絵」によると、
江戸末期頃、一般参詣者が大光寺へ向かう主な参道としては、
春野町の大時集落からのルートと、森町三倉の大河内集落から尾根まで登り、
そのまま南西に伸びる尾根を使うルートの2種類だったようです。
現在、大時からのルートは、東海自然歩道として整備されていますが、
大河内ルートは、歩く人も居らず、忘れ去られた状態です。
さらに、大河内集落の手間、上野平集落の八幡神社の横には、
林道建設以降に作られたと思われる「春埜山登山口」の石道標があり、
多分ここは、南西尾根の先端から大河内ルートに合流するような道程になっています。
この上野平集落から大河内ルートを使い、
下山は一般道、復路は県道63号「藤枝天竜線」で周回してきました。
春埜山(はるのさん)
| 標高 883.4m | 登山日 2025年1月4日 |
| 静岡の百山 春埜山大光寺 | |
| 所在地 静岡県周智郡森町三倉 | |
| 難易度 ★ オススメ ★ | 登山口(ナビ検索) 上野平 八幡神社 |
| 上野平 八幡神社(9:10)→春埜山無線中継所(10:32)→大光寺(10:38)→春埜山無線中継所(10:49)→やまめの里(11:17)→上野平 八幡神社(12:05) 所要時間 2時間55分 累積標高 848m / 853m 距離 19.7km | |
| ■春野町と森町の境にある標高883mの山。山頂近くに行墓作の仏像を安置する古刹大光寺や樹齢1,300年余の大杉「春埜杉」(県指定天然記念物)が茂ります。天気のいい日には、北側に竜頭山やボンジ山、京丸山などが美しく見えます。
■養老2年、僧行基によって開されたと伝えられ、境内には樹齢1,200年余の杉の大木(県指定天然記念物)が深山幽谷の気配を漂わせている。春野町の東端に位置し、「春ひらきし山を春埜山、秋ひらきし山を秋葉山と称す」と伝えられるように、町の両端にそびえる秋葉山とともに北遠霊山のひとつに数えられている。 |
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上野平 八幡神社
上野平八幡神社祭祀の由来
上野平八幡神は古来より地域の氏神として現在の場所に祭られております。
神様は紀伊半島の突端にある由緒ある熊野八幡宮より
お給わ授け頂いた分身神社で御祭神は誉田別尊(ほんだわけのみこと)
「応神天皇」とされております。
数少ない記述によりますと天保12年、明治11年、大正13年、昭和5年
に改修改築が行われ、現在の社殿は昭和31年に甚沢庄太郎氏より用材一式の
奉納を頂き工事資金は氏子の皆さんの奉納によって賄われ
現在の本格的な格式のある美しい社殿が建築され、維持管理、
年一度の例題等は氏子の奉仕により管理運営され現在に至っております。
昭和49年の台風被害により裏側が大きく崩壊し社殿まで危機にさらされたため
社殿裏側に立っていた由緒ある神社にふさわしい数本に杉、檜等の
古木も残念ながら伐採を余儀なくされ現在の様な景観となっております。
尚災害復旧工事は大規模となり県土木部等に再三陳情を行い
完全な工事をして頂き現在に至っております。
神様は難病よりお守りくださり健康でよく働くことができる様
お助けくださる神様です。
心をこめて礼拝いたしましょう。
平成19年10月 八幡神社 総代一同
八幡神社横の道標
上野平八幡神社よりスタート、神社横の道標には、
「左 春埜山登山口・右 大河内」とあります。
ちょうどこの辺りは、春埜山から伸びる南西尾根の末端にあたり、
ここから集落を抜けて尾根に取付くことも出来ます。
上野平観音堂
上野平の集落からは取付かず、県道63号「藤枝天竜線」の少し先にある
「上野平観音堂」に立ち寄りました。
集落にあった石仏をまとめて安置したものだと思われます。

県道63号「藤枝天竜線」から「林道 大平線」へ、
直ぐに、先ほどの上野平集落からのルートと合流します。

尾根まで登ると、上野平の茶畑が広がっていました。
その後も尾根と並行する荒れた林道を登ります。
大河内ルートに合流すると、何か遺構などが残っているかと期待していましたが、
何も見つけられませんでした。

その後、東海自然歩道に合流。
鉄塔がある辺りが春埜山の山頂にあたります。
深南部方面の展望
少し歩くと春埜山 大光寺へ
入口には鳥居があり、神仏習合の雰囲気が色濃く残る寺院です。

春埜山 由緒
開創は奈良時代の養老二年(718年)、行基が周北の山稜を巡錫したとき、この山の霊気にふれ、杉の大木をもって大梵天・帝釈天・閻魔大王の三体を刻み込め小堂を構えて安置したのがはじまりとされています。 行基よって秋葉山に霊場がひらかれたのと同じ年です。 奈良・平安・鎌倉時代の春埜山がどのような寺運を重ねたのか、史料が残されていないため判らないが、室町時代の頃には修験の吉祥院の別院になっていたようです。 江戸時代初期の慶長年間(1598〜1614)に春野町若身の瑞雲院が吉祥院の承諾を得て堂宇の修復を行い、大光寺という寺号を付けて、瑞雲院の末寺としました。本寺瑞雲院が曹洞宗であるため、この時から大光寺も真言宗から曹洞宗としての寺歴を重ねることになります。 こうして江戸時代に瑞雲院の末寺となった大光寺ですが、余りに避遠の寺であったため経営を維持することが出来なくなり、再び吉祥院の別当寺(神仏習合に基づいて置かれる神宮寺)に戻されてしまいます。 江戸時代中期の寛文年間(1661〜1672)には吉祥院が廃されてしまったため、再び瑞雲院の末寺となり今日に至っています。 「天竜川と秋葉街道」より
春埜山 大光寺
春埜山大光寺
本尊 太梵尊天・帝釈尊天・閻魔尊天
守護神 太白坊大権現
地元の人たちから「お犬様」と呼び親しまれている大光寺は、曹洞宗 神仏混交の修験の山として知られています。 春埜山は秋葉山と対になり、奥の院である山住神社の里宮であったという説もあります。 大光寺の本堂前には、狼の狛犬が控えていて、ここが修験道の狼信仰の山であったことがうかがえます。 守護神の太白坊は春埜山に住む天狗であると言われ、本尊である三尊天を守護するとされています。 また、その眷属である狼を派遣し、信者の祈願成就を助けるとのことです。 大光寺の開山は、養老2年行基菩薩がこの山頂に庵を開いたことが始まりとされています。 境内には行基菩薩お手植えと伝えられる、樹齢1300年の春野杉があり、県の天然記念物に指定されています。 寛文年間には一時無人となったこともありましたが、江戸時代には復興し、明治の神仏分離令のときにも神仏習合を通し今日に至っています。
山犬の石像
社殿前に控えている石造りの像は、総称して狛犬と呼ばれます。
一般的な獅子型のものをはじめ、稲荷神社は狐型など、神社により様々ですが、
春埜山 大光寺のものは「山犬(狼)」の姿をしています。
春埜山の守護神とされる「太白坊」は、
この山犬に乗った姿で絵描かれています。(写真下三枚目)
神様のお使いは、こうした様々な動物の姿を借りて現れますが、
これら神様のお使いのことを総称して「眷属」(けんぞく)といいます。
社殿をお守りする役割として、その神社の眷属である山犬が配されています。

狼信仰
現在ではあまり知られていませんが、狼はかつて信仰の対象でした。
多くの場合、山の神のお使いとして田畑を荒らす害獣を駆逐する役回りです。
また、狼自身が大口真神として神格を持つ場合もあり、害獣を退けることから、悪しきものを噛み砕く神、魔伏せの神として崇められ、山の神が火伏せや多産、豊穣の神であることから狼もまた火防や安産、五穀の神として信仰をあつめることがありました。
寺務所
正月三が日までは、住職が寺務所に待機されているようなので、
狙っていたのですが、一日遅れとなってしまいました。
太白坊・山犬のお札

今は通る人もいない苔生した階段は、大河内からの参道です。
山門の左下に巨大な春埜杉がたっています。
静岡県指定天然記念物 春埜杉
春埜杉
静岡県指定天然記念物(1952年4月1日指定)
行基菩薩が、春埜山大光寺の開山の際に植えられたものと伝えられています。 県の天然記念物に推定されています。
樹種 スギ
推定樹齢 1300年
樹高 44m
目通り幹囲 14m
技張り 31m
所在地の地名 静岡県浜松市天竜区春野町花島
大光寺の展望所

春埜山山頂付近の祠
後ろには樹齢200年の「春埜山イチイガシ」がたっています。
春埜山(883.4m)二等三角点(春野山)
山頂からは整備された一般登山道を使い下山。
県道63号「藤枝天竜線」沿いにある「やまめの里」前に下ります。
ここからはランニングで戻りました。
やまめの里
やまめの里
所在地 静岡県周智郡森町三倉2314-1
電話番号 0538-86-0588
営業時間 9:00~16:00
定休日
1月~2月(毎週月~金)、3月(毎週木・金)、4月~9月(毎週木)、10月~12月(毎週木・金)※臨時休業の場合あり
料金
大人:2,000円(竿、餌付き。5匹以上釣る場合は別途追加料金となります。)
150 場内美化協力費(小学生以上)
県道分岐
かわせみ湖方面に至る県道の分岐点、
現在通行止めとなっていました。
大河内集落
この少し先が「大河内ルート」への分岐となります。
その昔、大光寺へ向かうのに、一般参拝者は
ここ大河内集落か、春野町の大時集落から詣でたようです。
このまま上野平まで戻りました。

