武蔵御嶽神社(むさしみたけじんじゃ)・東京都青梅市御岳山




武蔵御嶽神社(むさしみたけじんじゃ)・東京都青梅市御岳山

東京都青梅市御岳山、「御岳山(928m)」の山頂に鎮座する

武蔵御嶽神社(むさしみたけじんじゃ)」です。

創建は崇神天皇7年(紀元前91年)、

天平8年(736年)には行基が蔵王権現を勧請したと伝わる古社です。

御祭神は「蔵王権現・櫛真智命・大己貴命・少彦名命・広国押武金日命(安閑天皇)・

日本武尊(奥の院)・大口眞神(ご眷属)」を祀ります。

文暦元年(1234年)には、「大中臣国兼」が荒廃していた社殿を再興し、

以降は、修験道・蔵王信仰・山岳信仰の地として知られ、

関東の武家政権や武士からは多くの武具が奉納されました。

明治に入ると神仏分離令により「御嶽神社」と改称、

1952年(昭和27年)には現在の「武蔵御嶽神社」と改められました。

ご眷属に「大口真神(おいぬ様)」も祀っていることから、

祈願のため犬を連れた参拝客も多く、御岳登山鉄道は犬も乗車が可能となっています。

御嶽神社一の鳥居

都道201号線(吉野街道)沿いには巨木な一の鳥居が建ちます。

この先、御岳山ケーブルカー滝本駅より御岳山駅へ。

「滝本駅〜御岳山駅間 (片道¥600-・往復¥1200-) ・滝本駅周辺には駐車設備有り」

随身門と大鳥居

大鳥居から拝殿までは330段の階段があるとのことです。

参道の両側には、数多くの「講」の記念碑が建ち並びます。

随身門

明治期の神仏分離以前は仁王門であったと伝わります。

武蔵御嶽神社 御由緒

武蔵御嶽神社 (旧府社) 旧三田地区の御岳山に鎮座する。祭神は櫛眞智命・大己貴命・少彦名命で、例祭は五月八日である。創建は崇神天皇七年(前九〇)と伝えられ、社伝によると、景行天皇五十三年勅祭があり、聖武天皇の天平八年(七三六)、僧行基が蔵王権現を安置したと伝える。古くから関東の霊山として尊崇され、延喜式神明帳に多摩八座の一「大麻止乃豆乃天神社」とあるのは当社のことであるといわれる。
境内出土の布目瓦などにより、平安時代に社殿の建立が認められ、徳治二年(三一〇七)に壬生氏、延文・応永年聞に関東管領より、また永正八年(一五一一)三田氏、慶長十一年(一六〇六)、元禄十三年(一七〇〇)には徳川幕府によって、それぞれ社殿の造営がなされている。
中世以後は、御嶽蔵王権現と称されていたが、明治七年に社号を御嶽神社と改称した。また同時に神奈川県社に列し、その後、東京府になって府社と改正された。さらに昭和二十七年神社本庁の包括を離れ単立の宗教法人、武蔵御嶽神社と改称した。農耕の神として長い間関東一円の農民の信仰をあつめた。天正十八年(一五九〇)、徳川氏より三十石の朱印状が下され、境内は七町五反余(七四、二五〇平方㍍)で杉櫓の巨木が立ち並び、森厳の気に満ちている。
社宝は、国宝として赤系威鐘一領、金覆輪円文螺銅鏡鞍一兵。重要文化財として紫裾濃鎧、鍍金長覆輪太刀、宝寿丸黒漆輪太刀。重要美術品として御嶽神社旧本殿、慶長十五年在銘の鉄製俵、正中在銘の宝寿丸太刀。都有形文化財として建武五年在銘の鰐口、そのほか具足、馬具、刀剣類など数十点を所蔵している。また、太々神楽は都の無形民俗文化財に指定されている。
本殿は神明造りで、拝殿、幣殿は権現造り、玉垣、唐門、随神門、額殿、鼓楼、手水合、大鳥居、銅鳥居、社務所宝物殿(鉄筋コンクリート造二階建)等がある。また、平成五年三月、神楽伝習殿が竣工し、つづいて同六年三月、石の間の覆舎が完成した。境内は市史跡に指定されている。

社務所

本社玉垣に向かって左側には社務所、右側には宝物館が建ちます。

宝物館の拝観は土日祝日のみ、国宝や重要文化財の奉納品を見ることが出来ます。

宝物殿の前に建つ騎馬像は「清廉の武将・畠山重忠の像」

坂東武士の鑑と言われた、平安時代末期から鎌倉時代初期の武将です。

国宝に指定され、日本三大鎧にも数えられる「赤糸威大鎧(あかいどおどしのおおよろい)」

は、畠山重忠が建久2年(1191年)に奉納した品になります。

宝物殿

宝物殿

拝観日   土曜・日曜・祝祭日

拝観時間  午前9時30分~午後4時00分

拝観料   大人500円 小人300円

国指定文化財

【国宝】 平安末期 赤絲威鎧

【国宝】鎌倉期 金覆輪円文螺鈿鏡鞍

【重要文化財】鎌倉期 紫裾濃甲冑

【重要文化財】 鎌倉期 宝寿丸 黒漆鞘太刀

【重要文化財】 鎌倉期 鍍金長覆輪太刀

【重要美術品】 鎌倉期 宝珠丸太刀

都指定文化財・市指定文化財

【都指定有形文化財】 慶長15 (1610)年 鉄製俵形賽銭箱

【都指定有形文化財】 建武5(1338)年 銅製鰐口

【都指定有形文化財】 永正8(1511)年 旧本殿

【都無形民俗文化財】 太々神楽

【市指定有形文化財】 元禄13(1700) 年 神輿、その他

武蔵御嶽神社 幣殿・拝殿

幣殿・拝殿

幣殿・拝殿(へいでん・はいでん)は、徳川治世となって江戸の「西の護り」として東向きに改築され、現在も東京の街を見守る本殿の前に位置します。 元禄13(1700) 年に5代将軍綱吉の命によって改築され、修復を重ねながら今も大切に使われています。

入母屋造/元禄13年改築・天保に修復、明治中頃 に檜皮葺から銅板葺屋根

武蔵御嶽神社由緒

社伝によれば、創建は第十代崇神天皇七年と伝えられ、第十二代景行天皇の御代日本武尊御東征のみぎり、難を白狼の先導によって免れ遁れられたといわれ、古くより関東の霊山として信仰されて参りました。
平安時代の延喜式神名帳には、大麻止乃豆天神社(おおまとのつのあまつかみのやしろ)として記されております。
山岳信仰の興隆とともに、中世関東の修験の一大中心として、鎌倉の有力な武将たちの信仰を集め、御嶽権現の名で厄除・延命・長寿・子孫繁栄を願う多くの人達の参拝によって栄えました。
天正十八年徳川家康公が関東に封ぜられますと、朱印地三十石を寄進され、慶長十一年大久保石見守長安を普請奉行として社殿を改築、南面だった社殿を東面に改めました。人々の社寺詣でが盛んになると共に、世に三御嶽の1つとして、御嶽詣も、武蔵・相模を中心に関東一円に拡がり、講も組織され、現在に及んでおります。
明治維新により、御嶽神社の社号となり、更に昭和二十七年武蔵御嶽神社と改めました。

武蔵御嶽神社の「御岳(御嶽)」とは修験道の中心、吉野の金峯山を指しています。

金峯山は、「金御岳」 (かねのみたけ) とも呼ばれ敬られて来ました。

この金峯山を起点として、各地に御岳神社や、御嶽山と呼ばれる山々が建てられたり、

同じ名前で呼ばれるようになったとされています。

大口眞神

拝殿前の物は狛犬と思われますが、 本殿の前には山犬(狼)が祀られています。

これは、かつて日本武尊が山中で迷った際に、

白い狼が現れて道案内をしたという伝説に基づくもので、

火防や盗賊除けの信仰と結びつき、周辺地域にお犬様信仰(山犬信仰)として広まりました。

御嶽神社旧本殿

武蔵御嶽神社は古くから人々に崇拝され、毎年数十万の参詣者が訪れています。社殿は古くから建立されていたと推定され、徳治二年(一三〇七)には壬生氏によって社殿の造営が行われているのをはじめ、関東管領家、三田氏、徳川幕府によって造営が行われてきました。現在の本殿は神明造で明治一〇年(一八七七)に造営されたもので、それまで使用されていたのがこの旧本殿の常盤堅盤社です。この旧本殿は、都内では数少ない室町時代の様式を持つ本殿建築の一つです。社殿は一間社流造、桧皮葺型銅板葺で、間口二・五m、奥行二・一四m、基壇は壇正積です。屋根には鬼板付箱棟に千木と堅魚木を載せます。彩色は黒漆塗を基調とし、弁柄漆塗、金箔押を用いるほか、飾り金物を多用した華麗なもので、公儀普請を反映した第一級の本殿建築です。

御本殿

武蔵御嶽神社 本殿

武蔵御嶽神社・本殿(ほんでん)の御祭神は、櫛麻 命(くしまちのみこと)、大己貴命(おほなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)、 日本武尊(やまとたけるのみこと)、廣國押武金日命(ひろくにおしたけかなひのみこと※)。 随所に菊の御紋をいただく水社殿が造営されるまで の社殿(旧本殿)は玉垣内に移築され、「常磐堅磐社」として祀られています。 ※ 廣國押武金日命は、神仏習合の教説で「蔵王権現」と同一の神格とされています。本社 現在の本殿は一間社神明造で明治10年(1877年)に造営された。酉年に行われる酉年式年大祭で、本社の内陣に祀られている秘仏の蔵王権現が12年に一度御開帳される。

大口真神社・常磐堅磐社(旧本殿)・皇御孫命社・東照社

大口真神社

大口真神社(おほくちまがみしゃ)の御祭神は、大 口真神。 御祭日は、1月3日・5月15日・9月29日。 かつて山中に迷われた日本武尊は、道を拓き導いた狼に「”大口真神”としてこの山に留まり、すべての魔物を退治せよ」と仰せられました。特に江戸時代 からは諸災厄除・盗難・火難除の守護の神として神 符を「おいぬ様」とあがめ、戸口に貼る、敷地にお社を建てるなど、家の守り神とする仰が広まりました。

流造・瓦棒銅板葺

常磐堅磐社(旧本殿)

常磐堅磐社(ときはかきはしゃ)の御祭神は、全国 一の宮の神々等・八十七柱。 本殿として永正8(1511)年に一間社流造・銅板葺きの桃山様式で創建された、歴史を伝える貴重な建造物です。明治10(1877) 年に現在の本殿に建て替えられた際、移築されて「常磐堅磐社」となりました。 国指定重要美術品。昭和27(1952)年11月3日、東京都指定有形文化財に指定。 令和3年3月、漆の塗り替え工事を完了しました。

流造・桧皮葺型銅板葺/永正8(1511)年建立

皇御孫命社

皇御孫命社(すめみまのみことしゃ)の御祭神は、天瓊々杵命(あめのににぎのみこと)。 “天地が豊かに栄え、稲穂が豊かに実る国の壮健な男子”という御名の神。天孫降臨神話の主役で、皇室の基礎の神とされます。 社殿は複雑な屋根の軒先に「三葉葵」の紋があり、かっては東照社の社殿であったことがうかがえます。 令和3年2月、腐朽修理工事にともない、屋根を「瓦 棒銅板葺」から創建当初の姿に近い「平葺」へと葺き替えました。

入母屋造・千鳥破風付・向拝軒唐破風造・銅板/ 江戸後期

東照社

東照社(とうしょうしゃ)の御祭神は、徳川家康公(とくがわいえやすこう)。 皆社を江戸の「西の護り」とし、長く平安の世となる基礎を築いた江戸幕府の初代将軍・徳川家康公の御霊をお祀りしています。 御扉には、徳川家の家紋である「三葉葵」の紋があしらわれています。

流見世棚造・銅板葺

御岳の神代ケヤキ

参道横の斜面には、樹齢1000年とも云われる「御岳の神代ケヤキ」

日本武尊が、東征の際に植えたという伝説があります。

幹回り8.2m、樹高約30mの古木で、国指定天然記念物。

馬場家御師住宅(東馬場)

茅葺き屋根が印象的な宿坊は、慶応二年(1866年)建築の「馬場家御師住宅」

東京都指定有形文化財です。

武蔵御嶽神社 御朱印

  • このエントリーをはてなブックマークに追加