桜の名所吉野山をハイキングで巡る 世界遺産 奈良・吉野のおすすめ観光スポット37選
奈良県 吉野山観光協会
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桜の名所として有名な奈良 吉野
かつて太閤秀吉が、名だたる大名、公家や茶人など総勢5千名を引き連れ
ここ吉野山で大々的に行なった花見の様子は今も広く後世にも語り継がれいます。
また、吉野は修験道の一大霊場であり、
吉野山・高野山から熊野にかけての霊場と参詣道は
『紀伊山地の霊場と参詣道』として世界遺産にも登録されています。
その他、南北朝の動乱期の舞台であり、
源義経のゆかりの地であったりと歴史好きにも人気のスポットです。
吉野山は、約8キロメートルに及ぶ尾根続きの山稜の総称のことを言うのですが、
この8キロに渡るエリアはその桜の名所から
「下千本・中千本・上千本・奥千本」と4つエリアに分かれ呼ばれています。
この間、沢山の見所がありますが、吉野山中は交通の便もわるく、
細い尾根道は車での通行も難しいです。
観光バスなども出ていますが、積雪期には休業されてしまいます。
まだ雪の残る2月、吉野山をハイキングしてきました。
歩きでなければ見られないであろう史跡や
必ず訪れておきたい名所・観光スポットなど、
コースを交えご紹介したいと思います。
* 各スポット、由緒や場所などを記した詳細記事へリンク出来ます。
① 七曲り下の千本 「昭憲皇太后御野立跡」
吉野川より剣道15号線を車で登って来ると、下千本エリアへ
広い吉野山観光駐車場(無料)に駐車しスタートしました。
駐車場からすぐの所はが下千本、眼下に桜が広がっています。
明治天皇の皇后であられた昭憲皇太后もご覧になった絶景ポイントには
石碑も建立されています。
② 芭蕉と吉野山
七曲り下の千本 昭憲皇太后御野立跡から少し歩いた所に
芭蕉と吉野山の案内板がありました。
こんな碑に出会えるのもウォーキングならではです。
③ 大橋
さらに少し歩き、下からの道と合流した所に(攻めが辻と呼ぶそうです)
朱色と擬宝珠が目を引く「大橋」。
名所の割には地味に感じられますが、
実はこの橋の下には川が無く空堀の上に掛けられています。
南北朝時代、要塞であった一面を残します。
④ 黒門
宿や売店が軒を連ね、ロープウェイの乗り場もある辺りに
金峯山の総門である黒門があります。
この辺から中千本エリアになります。
こちらも簡素な作りに感じますが、吉野山から大峰山に至る峯続きの金峯山
修験道、吉野一山の入り口でもある大変格式のある門です。
⑤ 金峯山寺 銅鳥居
黒門からは趣のある街並みに変わります。
緩やかな坂の途中に日本三大鳥居の一つ「金峯山寺 銅の鳥居」があります。
この歴史は古く聖武天皇の東大寺大仏建立の余銅をもって造立されたとの伝承も、
荘厳な銅製の鳥居は国の重要文化財に指定されています。
吉野山 金峯山寺 銅鳥居(きんぶせんじかねのとりい) 日本三大鳥居の記事
⑥ 金峯山寺 仁王門
銅鳥居から坂道を登りつめた先に、国宝の金峯山寺 仁王門
ここからはしばらく平地が続くため、
坂の下から見上げる仁王門は大きさ以上の存在感があります。
⑦ 金峯山寺本堂(蔵王堂)・世界遺産
仁王門を通るとすぐに金峯山寺の本堂
国宝の通称 蔵王堂(ざおうどう)があります。
金峯山寺は吉野山のシンボルであり
金峯山修験本宗総本山(修験道の根本道場)です。
大塔宮護良親王は北条幕府の大軍に攻められて、吉野山にたてこもりました。
ここ蔵王堂を本陣とし落城に際し最後の酒宴を開いた
四本桜・銅灯籠(国重要文化財)が境内中央に位置します。
⑧ 金峯山寺 威徳天満宮
ここからは蔵王堂の境内社
威徳天満宮(いとくてんまんぐう)です。
⑨ 金峯山寺 観音堂
蔵王堂の境内社、観音堂です。
4月18日の観音さんの縁日、金峯山寺観音堂大祭(かんのんどうたいさい)では
観音堂で大般若経六百巻を転読し、一年の残りの家内安全・身体健全を祈願します。
⑩ 金峯山寺 愛染堂
金峯山寺の境内にある愛染堂。
愛染明王と呼ばれる仏様が祀られています。
⑪ 金峯山寺 久富大明神
奥には金峯山寺 蔵王堂 境内社の
久富大明神が鎮座します。
⑫ 金峯山寺 吉冨稲荷大明神
金峯山寺 蔵王堂 境内の久富大明神の隣に
吉冨稲荷大明神が鎮座します。
⑬ 金峯山寺 後醍醐天皇導きの稲荷
この「後醍醐天皇導きの稲荷」が鎮座する金峯山寺 蔵王堂の正面には
正平3年(1348)に消失した二天門という門がありました。
なぜか本堂裏に門(仁王門)があるのか違和感を覚えましたが、
仁王門は、吉野から熊野へ向かう逆峰の修験者を迎えるの対し、
二天門は大峯奥駈道を通り熊野から吉野に入る順峰の修験者を迎えた
意味をもっていたそうです。
⑭ 韋駄天山
蔵王堂から少し歩いた所、小高い山を登ると
韋駄天山(いだてんやま)があります。
韋駄天は仏法を守る護法神で足が速いのでも有名、
多分、ほとんどの方が立ち寄らないスポットですが、
ここから望む蔵王堂の景色は絶景です
⑮ 勝手神社
ここから先、東南院や吉水神社・大日寺など
立ち寄っておきたい観光スポットが続きますが、
拝観時間は9時からの所が多く開門していないため復路にて。
ちょうど道が分かれる境にある勝手神社は、
平成13年9月27日に残念なことに、不審火により焼失しました。
「五節の舞」の発祥地と伝えられる由緒ある神社です。
⑯ 喜蔵院
勝手神社からは急な登りが続きます。
後で立ち寄る桜本坊を超えた先が修験宗の寺院 喜蔵院(きぞういん)
金峯山寺の子院(塔頭)で、平安時代初期開山と伝わります。
⑰ 吉野山 上の千本・世界遺産
喜蔵院からは道は細くかなり急な坂道へ
山全体が見渡せるように標高が高くなってくると上千本と呼ばれるエリアへ
先にも述べましたが、厳密に言うと吉野山という山はなく、
吉野川の南岸から、金峯神社の先、青根ヶ峰までの
約8kmの尾根沿いの総称を吉野山と呼びます。
この尾根沿い全体「吉野山」を総称して世界遺産登録されています。
⑱ 横川の覚範の首塚
吉野山 上の千本の碑がある近く
大木の下に横川の覚範の首塚があります。
道路脇、歩きでなければ気が付かないような場所。
源義経が吉野から逃げる際、義経を追い詰めるが、
佐藤忠信と激闘の末、討死した覚範の首塚と伝わります。
⑲ 佐藤忠信花矢倉
横川の覚範の首塚から少し階段を登った所が
「佐藤忠信花矢倉」です。
この小高い丘から矢を射り僧兵を撃退したそうです。
⑳ 世尊寺跡・三郎鐘
佐藤忠信花矢倉のほぼ近くに
廃仏棄釈により廃寺となった世尊寺跡があります。
現在この広い敷地のほとんどが駐車場(有料)となっていますが、
本堂のあった付近(小高い山の上)には三郎鐘と言う鐘楼が残っています。
この三郎鐘は、東大寺の「奈良太郎」・高野山の「高野四郎」と並び
「吉野三郎」と呼ばれ、国の重要文化財に指定されています。
㉑ 鷲尾神社
世尊寺跡からは道が緩やかにカーブし、
目の前には吉野水分神社の光厳な雰囲気が現れます。
その手前右脇に鷲尾神社があります。
鷲尾神社の境内からは「山伏の道」と呼ばれる
世尊寺跡への抜け道も、ちょっとした探検気分を味わえます。
㉒ 吉野水分神社・世界遺産
金峯山寺 蔵王堂から歩いて一時間少し
世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の構成資産の一部
吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)へ。
吉野に来た際には必ず訪れたい場所の一つです。
㉓ 牛頭天王社跡
吉野水分神社からは奥千本エリアへと向け歩きます。
少し行った先に、吉野八社明神の一つとされていた
牛頭天王社跡(ごずてんのうしゃあと)があります。
吉野山 牛頭天王社跡(ごずてんのうしゃあと) 正須行人閼伽之井の記事
㉔ 金峯神社・世界遺産
吉野山の一番奥に金峯神社(きんぷじんじゃ)が鎮座します。
境内は世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の構成資産の一部。
修験道の行場であの藤原道長も祈願したとされています。
吉野山の地主神である金山毘古命(かなやまひこのみこと)をお祀りします。
金山彦神(記 日本書紀)は神名の通り かなやま(鉱山)を司る神様です。
㉕ 蹴抜の塔
金峯神社のすぐ下に義経隠れ塔、または 蹴抜の塔(けのけのとう)
と呼ばれるお堂がある。
ここは大峯修行場の一つで、
義経と弁慶が追っ手から逃れるために隠れた事で有名。
義経隠れ塔・蹴抜の塔(けのけのとう) 源義経 ゆかりの地の記事
㉖ 高城山(693m)高城山展望台
金峯神社からは元来た道を引き返します。
雪のため行くのを断念し掛けましたが、途中には高城山(693m)
と呼ばれるピークがあります。
高城山は「ツツジが城」とも「鉢伏山」とも言われ、
摺鉢を伏せたような形をしています。
元弘3年(1333)、後醍醐天皇の皇子、
大塔宮護良親王(もりよししんのう)が北条幕府と戦った時は
奧の詰城がここ(つつじが城)でした。
㉗ 御幸の芝と雨師(雨師観音堂跡)
上千本から中千本へ戻る途中に雨師観音堂跡があります。
今ある祠は竜王社(りゅうおうしゃ)と言うそうです。
気にとめないと通り過ぎてしまいそうな所に、
何気ない場所にも歴史があります。
㉘ 吉水院宗信法印の墓
少し進むと、大門山「吉水院宗信法印の墓」
吉水院宗信(きっすいいんそうしん)は鎌倉時代末期から
南北朝時代にかけ活躍した吉水院(現 吉水神社)の修験僧です。
天皇を吉水院へお迎えし、南朝最初の皇居となるきっかけをつくりました。
㉙ 如意輪寺
如意輪寺へは尾根道沿いに作られたメインストリートを
沢へ向かい少し下った所にあります。
金峰山寺からの通りからを降り30分強歩いた所にあります。
後醍醐天皇の勅願寺とされた寺で、
境内には後醍醐天皇の御陵である塔尾陵があります。
また、楠木正行が大阪四条畷の戦いに出陣前、
鏃で記した辞世の歌が堂の扉(宝物殿に保存)に残ります。
㉚ 後醍醐天皇御陵 (塔尾陵) 世泰親王墓
如意輪寺の境内裏に後醍醐天皇御陵・世泰親王墓(塔尾陵)があります。
京都に戻る願いを込め、天皇家の墓陵としては
唯一、北向(北面の御陵)となっております。
㉛ 桜本坊
如意輪寺がある沢辺りからメインストリートへ戻って来ました。
桜本坊は廃仏棄釈によって一時は時寺も衰えた「受難」の寺であったが、
その後大いに復興し、現在は山伏文化の殿堂と称せられるほど宝物も多く
寺院内には見所が満載です。
㉜ 吉水神社・世界遺産
元は吉水院といい、天武天皇の白鳳年間に役行者が創建と伝わります。
格式の高い僧坊であったものが、明治8年寺号を廃して吉水神社と改められました。
南北朝時代、後醍醐天皇は京の花山院を逃れ、ここを南朝皇居しました。
また、鎌倉時代には源義経が兄頼朝の迫害を逃れて
静御前・弁慶らと共にここに身を潜めていました。
戦国時代には秀吉が当社を本陣として大花見の盛宴を催し、
天下にその権勢を示したのは有名。
㉝ 東南院
吉水神社へと続く鳥居のほぼ向かいに東南院(とうなんいん)があります。
役行者の開基と伝えられる、1300年の歴史を持つ修験宗の寺院。
本堂・多宝塔・庫裡・客殿からなり、
鎌倉期の作と伝えられる大日如来・毘沙門天・不動明王などが祀られています。
㉞ 吉野朝宮跡
金峯山寺 蔵王堂、威徳天満宮の脇から階段を降りると
吉野朝宮跡(よしのちょうていあと)がある。
ここが南北朝時代 南朝の拠点があった場所です。
現在は妙法殿というお堂が建っています。
㉟ 仏舎利宝殿
吉野朝宮跡のすぐ裏に舎利宝殿があります。
昭和期創建の新しい建物で、2階ではご祈祷なども受けることが出来ます。
㊱ 塔頭 脳天大神 龍王院
仏舎利宝殿の脇から道が伸び、
さらに奥へと進むと巨大な前鬼・後鬼を従えた 役行者像があります。
ここから先、沢へと下る急な階段が続き、
川沿いに脳天大神 龍王院があります。
丁度、修験宗の僧侶が(山伏)護摩行をしていました
この辺、雰囲気は大変素晴らしいです。
㊲ 吉野神宮
歩き終え最後に車で少し離れたとこにある吉野神宮へ、
明治創建「建武中興十五社」の一社です。
神宮の名の通り後醍醐天皇を祭神とする最も格の高い神社。
この辺りは吉野山の北端で「丈六平」と呼ばれています。
昔は「勝福寺」と云う修験寺院が在り、身の丈1丈6尺の蔵王権現を祀っていたそうです。
拙い文章でしたが、いかがでたでしょうか?
名所見所が多く、正直 立ち寄り損ねた場所も多かったです。
1日で巡るのは当然難しいですが、
吉野のほんの少しだけ深い所が見ることが出来たように思います。
参考に巡ったコースを掲載しております。
ゆっくり寄り道などしても、24km・7時間半の道のりでした。
効率よく回っても20kmは掛かりますので
健脚向きと言えますが、見所が多くあっという間の1日でした。
参考にしていただければ幸いです。