身延山 久遠寺 奥之院 思親閣(ししんかく)
身延山久遠寺H.P
http://www.kuonji.jp
奥之院の頂上は海抜1247メートルで標高1153メートル。
山頂は、日蓮聖人が身延御在山の折にしばしば登詣され、
両親の追善を祈った場所といわれています。
麓からロープウェイで約7分で頂上に到着しますが、
これが敷かれるまでは、本堂裏から歩いて約2~3時間かかりました。
奥之院へは、本堂裏手から上の山を経る表参道、
主に妙石坊から追分を経る裏参道の2つがあります。
妙石坊・高座石からハイキング西コース、
ロープウェイ乗り場から登ると裏参道側の入り口へ
日蓮聖人立像
日蓮聖人が身延山山頂より遙かに故郷
房州小湊(現在の千葉県鴨川市)のご両親、
師の道善房を追慕なさるお姿の立像。
表参道側入口。
正面には開基堂(かいきどう)、ここからの景色も絶景です。
大孝殿(だいこうでん)
大孝殿は昭和40年(1965)佐々木順栄別当代に建立されました。
信行会等に使用されており、山務員の宿舎にもなっています。
別当所ともいいます。
開基堂(かいきどう)
育恩殿(いくおんでん)
育恩殿 内はお守り等の販売と所信徒休憩所になっています。
また育恩殿の前にも所信徒休憩所が設けられております。
御父妙日尊儀菩提の杉
御母妙蓮尊尼菩提の杉
立正安国祈念の杉
日蓮聖人お手植杉
日蓮聖人父妙日・母妙蓮、御師道善坊の追善のために
日蓮聖人が植えられたものと伝えられます。
身延町指定文化財(天然記念物)で、現在4本あります。
仁王門
本院本堂前の仁王門(二天門)を移転したものです。
六浦平次郎入道の建立で、天和年間31世日脱上人代に本堂域から移転されました。
仁王像は31世日脱上人の開眼です。
門の前の石段は昭和45年、佐藤玄守別当代に造営されました。仁王像 像高179cm(胎内納入札)
手水舎
常護堂
登詣者を守護する常護菩薩を安置しています。
御師範道善房報恩の杉
鐘楼
延宝5年(1677)30世日通上人代に建立されました。
鐘銘は29世日莚上人の撰です。
70世祥上人代に甲州南条講が寄進しました。
思親閣 祖師堂
思親閣祖師堂は“親を思うお堂”という意味で名付けられており、
本堂は身延町指定文化財です。
現在3年任期の別当制が敷かれており、
七面山敬慎院とともに久遠寺法主が任命します。
思親閣の仏像群
祖師堂・六老僧像・妙日・蓮華像はいずれも延宝8年(1680)の作。
31世日脱上人の開眼。
元政上人埋髪塚
身延町指定文化財(史跡)
元政上人は年老いた母を輿に乗せ、病身の身を顧みずに身延に登詣し、
父の遺骨と自らの黒髪をこの地に埋葬されました。
これは紀行文「身延道の記」としてまとめられています。
元政上人(1623~68)
元政上人は元毛利輝元の家臣石井元好の五男として生まれました。
京都深草に住したところから、深草(草山)元政と呼ばれています。
36歳の時に父を送り、その翌年母と共に父の遺骨を奉じて身延に詣でました。
この時の旅行記が「身延道の記」です。
日蓮宗の教学者として有名ですが、
当代一流の詩人・文化人としても名を残しています。
遺命により竹三竿をもって墓標としました。
墓所は京都瑞光寺にもあります。
釈迦像
思親閣の左奥には鮮やかな釈迦像
昭和45年(1970)4月岡山県 小野哲敬氏奉納。
展望台
東に富士山・天子山、南に駿河湾・伊豆半島、
西に七面山・安倍山系、北に早川渓谷・南アルプス連峰・八ヶ岳連峰・甲府盆地と
雄大な大パノラマが参詣者の目を楽しませてくれます。
身延山 頂上(1153m)
ロープウェイ乗り場横より。
天気か良ければ目の前に富士山が見えます。
御朱印
御朱印は思親閣 祖師堂 横にて頂けます。