立岩お堂・立岩観音(光岩山円通庵)八十八か所巡り・愛知県新城市日吉




立岩お堂・立岩観音(光岩山円通庵)八十八か所巡り・愛知県新城市日吉

新城市H.P
http://www.city.shinshiro.lg.jp

愛知県新城市日吉、

老人福祉センターことぶき荘の横に、立岩お堂があります。

本尊は十一面観世音菩薩で、奥三河七観音霊場の一寺。

風切山の百観音と四国八十八ヶ所霊場を巡りは

ここ立岩観音(光岩山円通庵)から始まります。

お参りの方々に
北向きのお堂は日本でも珍しく歴史的に価値のあるお堂です。
まら稲荷様はすべての願いごとがかなうと云う
(進学・紛失もの商売繁昌等)霊験あらたかなことで知られています。
立岩奉賛会

立岩お堂由来記

この立岩のお堂(立岩山円通庵)は鳥原地内の通称風切山の登り口
(新城市日吉字山ノ田)にあります。
今から百六十五年前、一七一二年(正徳二年)六代将軍徳川家宣の時代
(江戸時代)に建立された、由緒ある文化財ですが、明治五年十一月の
大政菅布告によってお寺を撤去することになったので、御本尊十一面観音像は、
常福寺に移して安置し、明治六年に廃寺庵となりました。
しかし当時の島原の住民はこの歴史的価値のある円通庵の保存に深い熱意を示し、
当時の工匠にこれに代わる木彫りの観音を造らせてこのお堂に安置し、
信仰のシンボルとしたのであります。
これより前、今から百二十五年前の一八五二年(嘉永五年)十代将軍家慶の時代に、
菅原武兵衛によって、ここを起点として常福寺を終点として、風切山に百八十余体の
石仏が建立され、春秋の彼岸には、常福寺、円通庵を経て八十八ヶ所弘法巡りとして、
大正の半ばまで近郊各地から集まった多数の信者でにぎわいました。
現在も彼岸のお中目(春分の日、秋分の日の年二回)には、それが絶えないで
行われています。
昭和四十八年、円通庵に付随した大きな建物は取り払われ、
残ったお堂は風雷にあらされ屋根瓦は破損、建物は腐朽荒廃の極みに達していました。
修理を望む信者の声はやがて島原住民の声となり、
この古い歴史的伝統のある文化財を、信仰的にも文化的にも何かと
昔日の円通庵の面影を残しておきたいと、島原住民の親戚・縁者の浄財によって
ようやくお堂は改修の竣工を見たのであります。

岩屋お堂改修記念
昭和五十二年三月吉日
立岩お堂改修奉賛会
近年になり一部雨漏りが生じてまいりました。
島原住民の温かい浄財によりやねの部分改修を行いました。
平成十年 十二月吉日   島原区

確かに北向きのお堂は珍しく感じます。

お堂下に石段、登山道へと続いています。

本堂の横にある光岩は高さ数mの二枚岩の巨岩(磐座)で、

修験の開祖、役行者像が庚申塔や石仏とともに基部に祀られています。

光石(ひかりいし)
大きな砦が二つもたれ合い、
店に向かってそびえ立っています。
鏡のような平らな面が日光を受けて光り輝くので
この名があります。


立岩稲荷大明神


福寿弘法大師

老人福祉センターの敷地の向い側(風切山方面)には

福寿大師が祀られています。

この横から だんご山、荒沢の滝への山道が始じまる。

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