法隆寺 大講堂・世界遺産 法隆寺地域の仏教建造物




法隆寺 大講堂・世界遺産 法隆寺地域の仏教建造物

法隆寺 – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/法隆寺

法隆寺大講堂(国宝)

平安中期 990年(正暦元年)
桁行九間、梁間四間、一重、入母屋造、本瓦葺
重要文化財指定 1899.04.05(明治32.04.05)
国宝指定 1951.06.09(昭和26.06.09)

大講堂

金堂と五重塔の北側に立つ間口九間の大講堂は、
元は北側の回廊の外に独立して建っていましたが延長3年(925)に焼失し、
正暦元年(990)ほぼ元の規模と同じ大きさの堂々とした姿に再建されました。
さらに回廊を北側に延長してこれに取り付けたので
堂の前が広く清々しい空間となっています。
尚、堂内に安置されている薬師三尊像はこの再建時に新たに造像されたものです。
(平安時代 国宝)

法隆寺大講堂

金堂、塔の中央後方に離れて建つ大建築で、金堂よりもはるかに大きい。
現在両脇に回廊が取りついているが、もとは北回廊は
金堂・塔を囲んで南方で閉じられ、創建堂の両脇には東西棟の北僧房が建てられていた。
旧堂が延長三年(九二五)に焼失、現在の建物は正暦元年(九九〇)に再建された(『別当記』)。
再建後たびたびの修理改造をうけていて、中世に西側に庇が設けられ、
元禄の修理にこの部分を取りこみ、西側柱を移動させてそのあとを補い、九間堂に改めた。
したがって創建堂も現堂の再建時も、桁行は八間であった。
昭和の大修理で軒・小屋組・造作などは再建当時の形式に復原されたが、
桁行は九間のままになっており、本来は柱列が重複する西方一間分だけ短い。
壇上積基壇上に立ち、組物は側・入側とも平三斗、中備間斗束、繋虹梁を入れ、
母屋は断面馬蹄形の桁の上に大虹梁を架け、周囲は化粧屋根裏、
母屋は大虹梁の下に組入天井を張り、三間の来迎壁と仏壇を設ける。
軒は二軒で、垂木上に木舞をあみ、垂木の間は土壁で仕上げ、
化粧垂木の上に別に野小屋を設けて、奈良時代の技法より国風化している。
創建堂は全体の規模位置は同じであるが、庇の柱間は現堂のほうが大きい。
『資材帳』には大講堂はみられず、かえって食堂の規模がこれと一致し、
創建堂の礎石が古材転用であることなどとともに、
創立沿革に複雑な事情があったことを思わせる。

ご本尊 薬師三尊像、四天王像。
行事
大講堂最勝王経讃説 1月8日~14日(午前11時)
涅槃会 2月15日(午後1時半)
慈恩会 11月13日(午後1時半)
お身拭い 12月8日(午前10時)


薬師三尊像

大講堂の内部には御本尊「薬師三尊像(国宝)」と

「四天王像(重要文化財)」が安置されています。

中央に薬師如来、左に日光菩薩、右に月光菩薩を配して安置されています。

薬師如来坐像は一木造で、ふっくらした体つきに優しい表情です。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加