桃尾山蓮華王院 竜福寺跡(大親寺)・奈良県天理市滝本町




桃尾山蓮華王院 竜福寺跡(大親寺)・奈良県天理市滝本町

大親寺 – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/大親寺

大国見山の桃尾の滝から少し登った所に竜福寺跡(現 大親寺)

があります。

寺院内は苔生しており大変雰囲気があります。

竜福寺跡 (りゅうふくじあと)

竜福寺は、桃尾山蓮華王院(もものおさんれんげおういん)竜福寺と称し、
十一面観音菩薩像が本尊の真言宗高野山派のお寺でした。
「桃尾寺記」によると、奈良時代(和銅年間)に義淵(ぎえん)僧正がこの地に至り、
小堂を建てたのが始まりとされています。
竜福寺は義淵が建立した竜蓋寺(岡寺)、竜門寺(廃絶)と共に
「大和の三大名刹」「大和三竜寺」と呼ばれていたそうです。
建立から約20年後の天平年間には行基が義淵の後を慕ってこの地を訪れ、
堂塔を建立しました。
しかし、後にその堂塔も荒廃したようで、約80年後の天長年間に弘法大師が訪れて
その様を嘆き、新しく精舎を興して真言密教の大道場に再興しました。
当時の伽藍は、東西1,100m、南北660mと広大で、16の僧坊がありましたが、
明治時代の廃仏毀釈で廃寺となりました。

大親寺(だいしんじ)

山号は大和桃尾山。本尊は釈迦牟尼仏。
明治の廃仏毀釈令まで、真言宗の桃尾山蓮華王院龍福寺であった。

寺伝によると和銅年中に、義淵により開基。
その後、行基が伽藍を整備したと伝える。
そして、空海が再興し、真言密教の道場となり、真言宗桃尾山蓮華王院龍福寺と号した。
最盛期には寺領100石、16坊舎を有する大伽藍となるが、
1868年(慶応4年)閏4月15日廃仏毀釈令により一旦断絶する。
その後、行基作の石仏、不動明王像の霊験があり、大正7年7月、
龍福寺の阿弥陀堂跡地に不動堂を建立し、大和桃尾山大親寺と号す。
後、昭和36年に、現在の本堂を建立する。

竜福寺跡 (りゅうふくじあと)

桃尾の滝がある場所は、元々、龍福寺の境内地だった。
寺伝によると、龍福寺は710年(奈良時代)に法相宗の祖である義淵僧正により開基され、
その後、その門下の行基菩薩が伽藍を整備した。
義淵僧正が大和で建立した大和龍蓋寺(岡寺)、大和龍門寺(廃寺)とを合わせて、
龍名の三大名刹の一寺といわれた。
空海が再興してからは真言密教の道場となり、真言宗桃尾山蓮華王院龍福寺と号した。
1868年(慶応4年)の廃仏毀釈令によって廃絶してからは、石垣だけが残った。
その後、1918年(大正7年)に龍福寺の阿弥陀堂跡地に不動堂が建立され、
大和桃尾山大親寺と号した。現在の本堂は1961年(昭和36年)に建立された。
大親寺は、桃尾の滝よりさらに山頂に向かって登る途中にある。
途中、古い石仏などを幾つか見ることができる。
龍福寺に訪れた、たくさんの人々の祈りの場所だったのだ。

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