臨済宗方広寺派 東林寺(とうりんじ)




臨済宗方広寺派 東林寺(とうりんじ)

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東林寺山門

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浜松市姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館のすぐ真後ろにある東林寺(とうりんじ)です。

伝堀川城跡(堀川城の戦い)で大きな被害を受けた過去を持つ由緒ある寺院

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浜松市指定有形文化財(建造物)
東林寺山門

臨済宗方広寺派瑞光山 東林寺は、貞観六年(六八四年)に
行基菩薩によって開創されたと伝えられ、奥山方広寺の開祖圓明大師
(後醍醐天皇の第十一皇子)も往山されたといいます。
この山門は、江戸時代初期の作で、朱塗りが施されています。
圓明大師の勅門として、方広寺に建てられましたが、
開祖の由来と東林寺第十五世瑞峰和尚の功績によって、
嘉永七年(一八五四年)、本山方広寺から下賜されたと伝えられています。

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気賀宿の避難場所 細江の人々と共に苦難の寺史を乗り越えた寺

東林寺がいつ頃開かれたのかは明確ではないが、行基が地方巡錫の時、
この地に構えた草庵が開創の始まりとされているが、
開創千二百有余年の道のりは平坦なものではなかった。

室町時代、当時今川氏に属していた細江の人々は三河から攻め込んできた
徳川家康に強く抵抗し、堀川城にたてこもり激しい戦いとなった。
結果的に地侍をはじめ多くの細江の住民が殺害され、東林寺にも火が放たれた。
この時、往古の寺史が記された古記録や古文書が焼失し、
現在でも正確な開創時期は不明である。
その後数年で臨済宗無文派の陽国禅師によって再興されたが、
徳川家に背いた過去は消えず、幕府からは冷遇され続けたという。
本堂西側の庚申堂は元禄の頃に建てられたもので、領主近藤氏の崇敬を受けていたといい、
今でも開運厄除、願望成就にご利益があるといい、訪れる人も少なくない。
また東林寺は本陣(江戸時代以降の宿場。ここでは気賀宿を指す)で変事が起きた際の
避難場所である『御退場寺』に指定されていたという歴史もある。
また寺の東側には当時、地元の農民たちが関所を通らずに野良仕事に行くためにつくった
犬くぐり道と呼ばれる抜け道が復元されている。

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