東口本宮冨士浅間神社(須走浅間神社)世界遺産・静岡県駿東郡小山町須走
富士山東口本宮・須走口登山道 冨士浅間神社
http://www.higashiguchi-fujisengenjinja.or.jp
富士山の須走口登山道の起点に鎮座し、
正式名称は東口冨士浅間神社(須走浅間神社とも)
2013年(平成25年)に富士山が世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」として
登録された際の構成資産の一つとして世界文化遺産に登録されています。
鎌倉往環
鎌倉時代の甲斐には、「甲斐源氏」という有力な一族の本拠がありました。
源氏といえば、鎌倉幕府の将軍も源氏ですが、
この甲斐源氏は源頼朝の4代前に分かれた一族です。
ちなみに、戦国大名の武田信玄もこの甲斐源氏の宗家になります。
甲斐の武士が「いざ鎌倉」の時のために、そして流通を考えた経済面でも、
鎌倉への道は必須だったのでしょう。
また、古代からこのあたりには、東海道から分岐した
官道(国家が管理する道)である「甲斐路」が通っていました。
その道筋は詳しくわかっていませんが、
鎌倉往還はその甲斐路とほぼ同じ道筋を通っていると考えられています。
富士講講碑群
江戸期後半から大正期にかけて隆盛した
庶民信仰・富士講の各講社の登拝記念の石碑が並ぶ。
記念として建立されたものや、講社の解散に伴い、
講社の地元から移築・寄進されたものもある。
尚、富士登山では33回が1つの記念すべき区切りとされている。
当社に残る石碑の中で最も多い回数は、和歌山県の方による899回である。
当社の位置や当時の東海道本線(現・JR御殿場線)の交通の便から、
東京・神奈川にかけての講から崇敬を集めていた。
冨士浅間神社の根上がりモミ・縁結びの木
裏参道の鳥居を入って右側に繁るモミの木。
日本でも稀に見る奇観の根上がりをしており、
学術上の価値が高いことから平成3年に小山町天然記念物に指定された。
根の大部分が根上がりしているためにトンネルを形成しており、
小学校低学年までならば、潜り抜けることが出来る。
モミ・ブナ・カシの木と隣り合うように繁っており、
3本の木の根が複雑に絡み合っていること、
また御祭神・木花咲耶姫命の御神徳から縁結びの木として慕われている。
浅間の杜
境内の西半分を占める鎮守の杜で、数多くの野鳥・草花が生息し、
四季により色んな景色を見ることが出来る。
杜には「宝永の清流」という小川が水路と並行するように走っており、
あずまやの前で池となっている。
また、水路の上には道が舗装されているほか、
境内東側に連絡する小道も多く存在し、遊歩道を形成している。
裏参道から入った場合には、参拝順路として遊歩道へ案内している。
須走浅間のハルニレ
須走浅間のハルニレ
境内西側・浅間の杜の中に繁るハルニレの木。
ハルニレの木は境内に数本が繁るが、もともとは北海道や寒冷地に繁る樹木であり、
温暖な気候にある静岡県には珍しい樹木である。
推定樹齢400年の大木であることから、昭和38年に静岡県天然記念物に指定された。
境内西側隣に接して通る鎌倉往還道からは背面を見ることが出来、
半分近くが根上がりしている様子が伺える。
祖霊社
祖霊社
当社が鎮座する小山町須走地区の氏子の祖霊を祀る。
ここから、当社境内に隣接する須走護国神社(地区管理)を望むことが出来る。
例祭は、春分の日・秋分の日に斎行され、合わせて合祀祭を執り行う。
須走護国神社
太鼓橋
太鼓橋
境内正面、信しげの滝から流れ出た小川を跨ぐように築かれた小橋。
その山なりの太鼓を模した形状から太鼓橋と呼ばれる。
平成19年の御鎮座1200年記念に係る事業として修繕が行われ、
現在の形となる。
信しげの滝
信しげの滝
境内南、太鼓橋の左に位置する滝で、
浅間の杜を走る水流が流れ出て滝となっている。
名前の信しげの由来は不明。かつて滝の整備が行われた際に
「信しげ」と書かれた石が発掘されたことから、
一説では富士講関係者の名前であると考えられているが、推測の域を出ないものである。
四季折々に違った景色を見ることが出来る。
とくに冬場では、滝が凍り巨大な氷柱(つらら)を見れることがある。
大鳥居
大鳥居
表参道にある石製の大鳥居。
明治33年に氏子より寄進された。
扁額には「不二山」の文字が刻まれており、
「二つとない(不)素晴らしい山=不二山・富士山」という意味である。
他の神社では見られない当社特有の鳥居である。
駐車場側にある入り口から入りましたが、
表参道はこちらからです。
古来から、富士山へ登山する人の正式な参拝は、
正門である大鳥居から入って拝殿で登山の無事を祈り、
終わったら裏の駐車場側の門から出て、
須走口の登山道から富士登山をするという形式だったそうです。
表参道を入ると右側に社務所、
2階は神社の資料館になっています。
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東口冨士浅間神社(須走浅間神社)は
世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の一つです。
境内案内図
手水舎
随神門
当社の表参道の中ほどに位置する神門。
本殿同様に宝永の噴火で壊れたが、
当時この地方を治めていた小田原藩主・大久保加賀守によって再建された。
表の両脇には、随神(門神)・櫛岩間戸神と豊岩間戸神が鎮座し、
裏の両脇には例大祭で担がれる富士山神輿が二基納められている。
扁額「國威震燿」は日清戦争の戦勝と兵士の健康を祈念し、
富士講・村上藤丸講により寄進されたものである。
尚、文字は小松宮彰仁殿下に依るものである。
富士塚の狛犬
境内中央、随神門前の両脇にある狛犬。
昭和初期に山三元講より寄進されたもの。
富士塚を模した岩場の上に「獅子はわが子を千尋の谷に突き落とす」という、
「獅子の子落とし」の諺を倣った親子の狛犬が3匹いる。
他に類を見ない極めて珍しい狛犬である。
神馬舎
神輿庫
末社 恵比須大国社
末社 恵比須大国社
境内末社の一社。
かつて、当社社殿裏には裏神様が祀られており、
その御分霊が小山町・富士紡の工場敷地内に祀られていた。
工場内の事情により当社へと戻られ、
裏神様と合祀して、境内末社にて祀られることとなった。
御祭神は、大国主命と事代主命。
例祭は、11月下旬に斎行する。
末社 社護神社
末社 社護神社
境内末社の一社。
かつては、日枝神社・山神社・琴平神社・霧島神社・高尾神社・社護神社
という六社が境内末社として御鎮座されていたが、
現在は社護神社に合祀をしている。
御祭神は、社護神社の月讀命、日枝神社の金山彦命の他、13柱の神々を祀る。
例祭は、毎年十五夜の日に斎行。
その他、商売繁昌を祈願する高尾祭という祭典が、
地元講元により毎年12月1日に斎行する。
手水舎
長寿亀石
亀のような形の長寿亀石
後方の浅間の杜の中には、多くの石碑が見えますが
これは「富士講」の人たちが建てた講碑です。
拝殿
東口本宮冨士浅間神社
祭 神
木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
大己貴命(おおなむちのみこと)
彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)武天皇の延暦21年(802)、富士山東脚が噴火し、雷鳴・地震が終日止まず、
人々は恐れおののいて仕事も手につかない日々が続きました。
依って国司郡司が人々の憂いを憐れみ、鎮火の祈願を行うため
富士山東面須走の地(現在の社地字日向)に斎場を設け祭事を行いました。
すると翌年4月初申の日に噴火が治まりました。
翌年、平城天皇の大同2年(807)、その鎮火祭の跡地、
すなわち今の社地に鎮火のお礼のため社殿を造営したと伝えられています。
この場所がやや平らであったために、土地の人々が早くからこの小祠を祀ったものと思われます。
当社は、各登山道浅間五社の一社であり、全国1316社の本社一つであります。
氏子を始め富士山を信仰する人達、富士山を登拝する人々の深い崇敬をあつめています。
御由緒
平安時代初頭、桓武天皇の時代・延暦21(802)年、
富士山東脚が噴火した。当時の国司・郡司(朝廷の役人)は、
恐れおののく住人のために鎮火の祈願を行うべく、
富士山東面・須走の地に斎場を設け、鎮火祭を斎行した。
すると、同年4月初申の日に噴火が収まった。
この御神威を畏み、報賽するべく、平城天皇の時代・大同2(807)年に
鎮火祭跡地・現在の御社殿の地に神をお祀りしたことが、当社の創建と伝えられる。
創建後まもない平安時代には、弘法大師(空海・真言宗)が当社にて修行を行い、
富士登山をしたという伝承も存在したことから、
かつて中世期頃までは弘法寺浅間宮と称されていた。
室町時代後半(戦国期)・江戸時代には、一般庶民による
富士山登拝信仰・富士講や修験道者の信仰を集め、
須走口登山道・須走の宿場町とともに栄え賑わった。
この頃より、須走口登山道の9合目・迎久須志之神社、
6合目・胎内神社、5合目・古御岳神社、4合目・御室浅間神社、
2合目・雲霧神社は当社の神主により祭祀が行われていた。
明治時代に入ると、明治政府による国家神道の方針の下、
全国神社は国家の管理下におかれ、
当社は県社(静岡県が管理する神社)の社格が授けられた。
大正時代から昭和時代初頭は富士講による登山参拝者が最も増えた時期であり、
当社に点在する講碑群はそれぞれの講社により建立・寄進されたものである。
現在では、富士山本宮浅間大社(富士宮市・富士宮口)、
北口本宮冨士浅間神社(富士吉田市・富士吉田口)等と共に、
富士山登山道の麓に鎮座する神社として、崇敬を集めている。
去る平成19年には御鎮座1200年の佳節を迎え、例大祭に合わせて
御鎮座1200年記念式年大祭が斎行されたほか、
記念事業の一環として宝物や富士講等の資料を展示する資料館が社務所に併設された。
平成25年には、信仰の山・富士山の構成資産の1つとして、
富士山とともに世界文化遺産に登録された。
本殿
御朱印