大乗峰 伊吹山寺・伊吹山(1377m) 覚心堂




大乗峰 伊吹山寺・伊吹山(1377m) 覚心堂

大乗峰伊吹山寺
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伊吹山(1377m) 山頂に建つ

大乗峰 伊吹山寺 覚心堂へ

伊吹山のシンボル 日本武尊石像は

明治45年に有志の方々により建てられた。

あの日本武尊が敵わなかったほどに

神の霊気が強く息吹く山であり、荒神の山

役行者が登ってから修験の山として栄えたが

現在では百名山・花の山として人気の山

日本武尊が東征から都(当時は大和の国)に帰る途中、

伊吹山の神(豪族)を征伐するために伊吹山に来てみると、

伊吹山の神 白猪(日本書紀では大蛇)の毒気に当たって

高熱を出して倒れてしまったというのですが、

豪族等は伊吹山に生息するトリカブト毒で応戦したとも考えられています。


弥勒堂

弥勒堂

伊吹山山岳信仰の中心的な施設で、
18世紀前半の絵図にもここを目指して登拝する修行の人々が描かれています。
かつて、ここに多くの石塔・石仏が祀られていました。
現在、伊夫岐神社(米原市伊吹)の対岸の秋葉さんに移されている弥勒の石仏は、
もともとここに祀られていたものです。
山麓上野地区の雨乞いでは、弥勒堂の前の窪地で松明を焚く「千束焚」をおこない、
雷踊りを踊って降雨を祈りました。
雨乞い唄では、山頂を「弥勒の庭」と唄っています。


南弥勒堂

南弥勒堂と日本武尊石像

明治45年に、尾張国御嶽照王教会員の方々によって
日本武尊の石仏一体と、弥勒仏の石像とこれを安置する石室が建設され、
大正元年11月21日に開眼供養が行われました。
日本武尊石像は岐阜県関ヶ原町の石清の一大プロジェクトだったのです。
また、大正9年には4合目の高屋に日本武尊遭難の地の祠と木像が安置されました。


覚心堂

ログハウスのような建物の大乗伊吹山寺。

日本七高山霊場、円空上人十二万体造像発願地とある。

奈良時代 役行者が登山して山岳信仰の霊場となってから、

中世は沙門三修が精舎を建て、寺院か増え伊吹山4ヶ寺があり、修験道の山として栄えた。

由緒

伊吹山は現滋賀県米原市と岐阜県揖斐郡春日村の境に位置する、
標高1,377メートルの霊山である。
古代の修験道において重きをなす「七高山」のひとつに選ばれ(釈家官班記)、
また記紀神話には「荒神」の山として霊威が知られていた。
したがって「伊夫伎」の名も「吹き棄つる伊吹」(古事記)
すなわち「息吹き」から出たことが推測され、
こうした荒々しい霊のとどまる霊の山で修行する山林修行者は、
優れた霊力を保持する宗教者として周辺の住民から期待された。
平安初期には沙門三修の活動が『三代実録』元慶2年(878)2月13日条に見え、
三修の建てた「伊吹山護国寺」が定額寺に列せられている。
これはのち伊吹四箇寺(弥高・観音・太平・長尾)が護国寺へと
発展する基礎になったものであるが、
その背景には伊吹山の山岳修行者が「七高山阿闍梨」として、
護国を目的とする祈祷を行ったと考えられる。
山岳宗教における「三宮三院制」という近年の説にしたがえば、
山頂には上宮上院があり、
平成元年に253世山田恵諦天台座主より「覚心堂」の命名を戴き復興された。
下院である「発心堂」は255世渡辺恵進天台座主の命名によるもので
平成16年にダムで水没する2つの寺院を移築再建したものである。

御祈祷のお勧め

当山は古来、日本七高山
(比叡山、比良山、愛宕山、神峰山、金峰山、葛城山、伊吹山)の雄として
その霊験あらたかなるものがあります。
当山開基三修慈勝上人は、飛行上人とも呼ばれ、
宝亀年間、光仁天皇のお妃の病を治すため御所におもむき
霊験を顕したことは有名な話であります。
その後、伊吹山寺は天下御祈祷の寺として定願寺とされ、
又、護国寺に列せられています。
伊吹山にて修行した僧は、七高山阿闍梨とされ、
国家安寧を祈る役割をもちました。


伊吹山之神 白猪

伊吹山之神 白猪の由来

伊吹山神は、英雄日本武尊を退け、
死に至らしめた「荒ぶる神」として「古事記」に登場します。
日本武尊は、伊吹山の荒ぶる神の話を聞き、
これを鎮めるために、素手で伊吹山に向かいました。
そして、伊吹山の山中で「神の化身」白猪と出会いました。
しかし日本武尊は、神の使いと見誤り、
悔った日本武尊は、挑戦的な言葉を吐きました。
怒った伊吹山の神は、氷雨を降らせて日本武尊を打ち惑わせてしまいます。
ほうほうの体で、山を降りた日本武尊は、山麓の冷水で覚醒するものの、
伊勢へ向かう途中ついになくなってしまいました。
日本武尊神話は、奈良の都の人々がいかに
伊吹山を畏れ敬っていたのかを物語っているのです。
日本書紀では、大蛇が神の化身です。
猪は、多産、豊穣の象徴であり、大蛇は水神。
水を司り、豊穣を呼ぶ一つの動物が伊吹山の神の化身である事は、
この山の神が水の神として信仰されてきたことを見事に物語っています。

登山口よりさらに先に進ん所にあるために

見落としてしまいがちな「ケカチの水」

ケカチの水

神の坐す伊吹山は、江戸時代までその神の力を得るための山岳修行の山でした。
山頂から湧き出る「ケカチの水」で身を清めた行者たちは、
山中のの行場を巡って、山頂の弥勒堂を目指しました。
その修行のひとつに「悔過の行」があります。
仏の前でこれまでの罪過を悔い改め、心身ともに清浄の境地になって
天下泰平・五穀豊穣などを祈願するものです。
かつてこのあたりに「お池さん」と呼ばれる泉があり、
ケカチの名の由来は「悔過の池」からきているようです。
またこの水は、ヤマトタケルノミコトが熱を冷ました
「命の水」とも伝えられています。


御朱印

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