静岡浅間神社(しずおかせんげんじんじゃ) 静岡県静岡市葵区
駿河国総社 静岡浅間神社
http://www.shizuokasengen.net
静岡県静岡市葵区にある 静岡浅間神社へ、
静岡浅間神社は総称で「神部神社」・「浅間神社」・「大歳御祖神社」
のそれぞれ独立した三社からなります。
大鳥居
駿府城方面から浅間通りを抜けると
大歳御祖神社へ
大歳御祖神社鳥居
賤機山との尾根の際に大歳御祖神社が鎮座し、
尾根を背に神部神社・浅間神社が鎮座する形。
また大歳御祖神社は、古くは「奈古屋神社」と称され、
元々は安倍川河畔の安倍の市(古代の市場)の守護神であった。
境内案内図
身延山系の南の麓に位置したダイナミックな地形
古墳群や登山も楽しめる広々とした境内。
手水舎
大歳御祖神社 神門
ちょうどこの日は賤機山で日米合同の慰霊祭が行われており
たくさんの人が山へと登って行きます。
大歳御祖神社
大歳御祖神社は、神部神社・浅間神社から離れた境内南側に鎮座している。
当神社には、天保年間建立の拝殿と楼門が存したが、
太平洋戦争の空襲により焼失したため、
鉄筋コンクリート造の拝殿と神門が再建されたらしい。
神部神社・浅間神社 は(ほぼ)東方向を向いているが、
本神社は南側の方角に向いて坐している。
大歳御祖神社社殿 本殿
ちょうど修復中の本殿。
賤機山の尾根の始まりに位置します。
中腹には6世紀のこの地方の豪族の墳墓であったとされる賤機山古墳(国の史跡)
もあり古代よりこの山が信仰の対象であったことが伺えます。
ちなみに静岡県の「靜」はこの賤機山から名付けらました。
八千戈神社
八千戈神社
例祭日 十月十五日
本境内社は、明治以前は徳川家康公が合戦で常に奉持した
念持仏を祀ったことから東照公ゆかりの摩利支天社と称された。
維新後、神仏分離に際し、金印木像は臨済寺に遷され、
以後八千戈を御祭神とする。
昭和五年五月二十九日、昭和天皇御親拝の折には、
神部浅間両社御修理中で当社を仮殿としていたので、
この大前で御観拝あらせられた。
当社は東照公ゆかりの幕府崇敬の社で、社殿の造営も本社に次いで行われた。
現在では、武神として信仰され、一般に勝事の祈願所として広く信仰をあつめている。
麓山神社
麓山神社 本殿
麓山神社(はやまじんじゃ)
祭神 大山祇命 配祀 日本武尊
古来、賤機山上に鎮座し、本社の別宮で「山宮」と称せられた。
本社浅間神社の祭神・木之花咲耶姫命の御父神である大山祇命を主神とし、
日本武尊を配祀する。
従来四本社の一つに列し独立の神社であったが、
明治12年7月22日郷社に列し、境内社となった。
尚、当社は宮元八ヶ町の氏神でもある。
神門
楼門
静岡浅間神社
ご由緒・ご祭神・ご神徳
神部神社・浅間神社・大歳御祖神社の三社を総称して
静岡浅間神社(通称おせんげんさま)といい、
何れもご創立は千古の昔にさかのぼる。
三社とも鎌倉時代以降、歴代幕府の崇敬を受け、
この頃から駿府浅間社と称せられた。
明治21年三社夫々に国幣小社に列せられた。神部神社(駿河国総社)
●祭神 大己貴命(大国主命の別名)
境内社少彦名神社の祭神とともに、この国土の経営にあたられた。そのご神徳により、延命長寿・縁結び・除災招福の神として信仰される。
●例祭 4月1日~5日 廿日会祭
●神紋 輪宝
●本殿 比翼三間社流造極彩色 31坪余 〔重文〕浅間神社(富士新宮)
●祭神 木花開耶姫命
天孫瓊々杵尊の御妃神にまします。
その御神徳により安産・子授け・婦徳円満の神として信仰される。
●神紋 棕櫚葉
●本殿 神部神社と同殿。大歳御祖神社(奈吾屋大明神)
●祭神 大歳御祖命
別名を神大市姫命と申し、往古の安倍の市の守護神である。
農・漁・工・商業等諸産業の繁栄守護の神として信仰される。
●神紋 立葵
●本殿 三間社流造 10坪 〔重文〕
〔特殊神事〕廿日会祭・節分祭の鬼やらい神事・昇祭・降祭東海の日光 おせんげんさま
当社は、神部神社・浅間神社(以上二社同殿)及び
大歳御祖神社の三社を総称して、静岡浅間神社(通称おせんげんさま)と申し上げ、
古くから駿河国総社として広く信仰されている。
江戸時代には徳川氏のあつい崇敬を受けて、
寛永・文化年間両度の大造営が行われた。
ことに文化元年(1804年)から60年の歳月と、
当時の金額で10万両の巨費を投じて建築されたのが、
現在の社殿群である。
境内は4万5千m2 。宏壮華麗な社殿群は、いずれも漆塗りの極彩色で、
とくに楼閣造りの大拝殿は浅間造りの代表的なもので、
高さ25mあり、殿内は132畳敷きの広さがある。
昭和46年6月22日、社殿24棟が、国の重要文化財に指定された。
まさに”東海の日光”と 呼ばれるにふさわしいたたずまいである。
また、当社は海外雄飛で有名な山田長政公の産土神としても知られている。玉鉾神社
本社の北側に鎮座。社殿は伊勢神宮の御古材にて昭和51年再建された。
例祭 3月29日
祭神は羽倉東麿・岡部真渕・本居宣長・平田篤胤。
国学の四大人明治9年県内神官により 官許を得て創祀され、
受験・学問の神と仰がれている。八千戈神社〔重文〕
本社の左側に鎮座。
もと摩利支天社。
漆塗極彩色(莫に虫つくり・かえる)股の二十四孝彫刻が有名。
例祭 10月15日
八千戈命(本社神部神社の大己貴命の荒御魂)を主神とし、
境内の元の末社18社の神々を相殿に祀る。
スポーツ・武道・開運の守護神。少彦名神社〔重文〕
境内北部に鎮座。漆塗極彩色。
(kaeru)股の十二支の彫刻が有名。
例祭 1月8日
少彦名命を主神とし、本社神部神社の元の末社14社の神々を相殿に祀る。
当社はもと神官司薬師社と称し、古くから医薬業者の信仰があつい。麓山神社〔重文〕
古来、賤機山に鎮座。
「山宮」と称せられた。
本社の別宮。
漆塗極彩色。
例祭 4月22日
大山祇命を主神とし、日本武尊を配祀する。
主神は本社浅間神社の木花開耶姫尊の御父神にまします。
当社は宮元八ケ町の氏神でもある。史蹟
賤機山古墳は6世紀頃(今から1500年前)の築造とされ、
その規模は大きく、県下随一の 家形石棺を有し
出土品の豊富華麗なことは、東海地方に類を見ない。
出土した装身具・武器・馬具・祭祀遺品等多数を、
浅間神社の宝物とともに境内の文化財資料館に展示している。
(昭和28年国指定史蹟)祭儀
廿日会祭(はつかえさい)
当社の大祭で、毎年4月1日より5日まで行われる。
家康公奉納の稚児舞楽が今も伝承され踟と称する山車屋台の曳廻しもあり、
参詣者数十万に及び、全市内が大いに賑わう。宝物
当社の宝物類は、その点数も多く、品目も多岐にわたっている。
その一部は境内の”文化財資料館”に収蔵又は展示され、
一般に公開されているが、特に重要な物件は、宝蔵に収蔵されている。
重要文化財の各社殿は極彩色の彫刻や絵画で飾られている。当社所蔵の宝物類の品目
1.古文書・古記録(今川家・武田家・豊臣家・徳川家等)
2.書画・絵図(山田長政戦艦図・大象図・寛文絵図等)
3.棟札(寛永・文化・文政・天保度のもの等多数)
4.扁額・絵馬(三十六歌仙・楼門掲額・大絵馬114面外)
5.古墳(六鈴鏡・神鏡・御正体)
6.楽器(琵琶・和琴・鼓など)
7.武器・武具(太刀・長巻・鎧・腹巻・弓・靭・軍配など)
8.神輿(三代将軍家光公奉納)
9.調度品(狛犬・神服・御杯)
10.宣命(幣帛目録6通など)
11.その他(鉄製釣灯篭・紫石硯・文庫・神宮式年遷宮御神宝
史蹟・賤機山古墳出土品など。
大拝殿
重層な大拝殿は高さ25メートルで木造神社建築としては、
出雲大社本殿(約24メートル)より高く、まさに日本一の威容を誇る。
本殿
木が覆い茂っていて見えないが、
左が浅間・右が神部をお祀りする本殿。
玉鉾神社
玉鉾神社
祭神 羽倉東磨大人命、岡部真淵大人命、本居宣長大人命、平田篤胤大人命
当社は国学の祖神たる四大人(うと)を奉斎し、
明治九年岩月、静岡県内の住職が官許を得て創立した。
玉鉾の道の祖神を祀る意を以て玉鉾神社を称した。
修復工事のため拝観することができなかったが、
玉鉾神社の手前に少彦名神社が鎮座する。
少彦名神社
例祭日 一月八日
本社は少彦名命を主神とし、他に神部神社末社十四社の祭神を相殿とする。
もと神宮寺薬師堂を称し、薬師十二神を祀っていたが、維新後神仏分離に際し、
臨済寺に遷され現在は少彦名命を御祭神とする。社殿は入母屋造銅瓦葺 朱塗で細部に彩色を施し、
特に欄間に飾られた立川流彫刻「十二支」は名作として著名である。
古来境内社として、病気平癒の信仰はすこぶる熱く、
御例祭には市内薬業関係者の参列がある。
御朱印