仙丈ヶ岳(3033m)・地蔵尾根松峰ルート
歩いてみたかった 仙丈ヶ岳の「地蔵尾根松峰ルート」へ
微妙な天気が続きますが、 晴れの予報を信じて
前日「柏木駐車場」へ、ガスガスの展望でしたが
神秘的な森を堪能して来ました
仙丈ヶ岳(せんじょうがたけ)
標高 3033m | 登山日 2020年9月26日 |
南アルプスの女王 | |
所在地 長野県伊那市芦安芦倉 |
難易度 ★★★★ オススメ ★★★★ | 登山口(ナビ検索) 柏木駐車場 |
地蔵尾根駐車場(04:47)→地蔵尾根中間水場(06:07)→松峰小屋(07:39)→丸山谷ノ頭(08:58)→地蔵尾根合流(10:32)→仙丈ヶ岳(10:49~11:00)→地蔵尾根合流(11:09)→丸山谷ノ頭(12:10)→松峰小屋(13:11)→地蔵尾根中間水場(14:31)→地蔵尾根駐車場(15:21) 所要時間 10時間35分 累積標高 2320m / 2332m 距離 25.1m | |
■仙丈ヶ岳または仙丈岳(せんじょうがたけ・せんじょうだけ)は、長野県伊那市と山梨県南アルプス市にまたがる南アルプス国立公園内の赤石山脈の北部にある標高3,033 mの山である。 北東に小仙丈岳、南西に大仙丈岳の小ピークを従え、さらに大仙丈岳の南側には、南アルプス中部の塩見岳に至る長大な仙塩尾根が連なっている。また、尾根の間には、東側に小仙丈沢カール、北側に藪沢カール、南東側に大仙丈沢カールと三つのカール(圏谷)を擁し、山容は比較的穏やかであるが、西面は急峻で岳沢が沢登りや冬季の氷瀑登攀の対象となっている。高山植物の非常に豊富な山として知られている。男性的な山容の甲斐駒ヶ岳に比べて女性的ななだらかな山容から「南アルプスの女王」とも称されることがある。日本百名山、新日本百名山、花の百名山、新・花の百名山、山梨百名山、信州百名山に選定されている。山体は赤石層群の硬砂岩・粘板岩・チャートで構成されている。 ■南アルプス北端の3000mの山。北に屹立する甲斐駒ヶ岳に比べ、穏やかな山姿で、片や男性的とすれば、こちらは女性的な印象を受ける。女性的だからか、大変な恥ずかしがり屋で、甲州側の平地では、その姿を見ることはできない。古くは、甲斐駒ヶ岳の前座として、前山(めえやま)の名があった。その他、お鉢岳の異名もあった。豊かに発達した氷河地形から名づけられたものと思う。仙丈の字にしても、千畳敷からきたものであろう。やはりカールを意味するのではないか。確かに『甲斐国志』も、明治20年出版の『新撰甲斐国地誌略』のいずれも、千丈ヶ岳と記載されている。このカールは、高山植物の宝庫である。夏季、藪沢源流部、大仙丈沢、小仙丈沢などに大きなお花畑を見ることができる。 交通の便がよく、伊那側、甲州側ともに、登山基地となる北沢峠まで、それぞれ村営バスで入ることができる。その上、回遊コースを設定できるのも人気の1つであろう。
北沢峠から藪沢を上がり、馬ノ背から頂上へ。帰りは小仙丈ヶ岳を回って北沢峠に降りてくる(登り4時間で山頂、下り3時間弱で北沢峠)。あるいは、頂上から馬鹿尾根をたどり、野呂川の両俣小屋を経て北沢橋に降り、バスで元に戻ることもできる。 また、甲斐駒ヶ岳とセットで8の字形に歩くことも可能である。さらに、周辺部に山小屋が多くあることも登山を容易にしているので、近年、登山者が多くなっている。 山頂からの眺望はよく、南の方は遠く塩見岳、東は大菩薩連嶺から富士山、近くに白峰三山、北には早川尾根、八ヶ岳、奥秩父の峰々、間近に堂々たる甲斐駒ヶ岳、鋸岳を見る。はるかかなたに峰を連ねるのは、北アルプスの山並みである。伊那谷を隔てて西には中央アルプスが、横一線に並んでいる。 YAMAKEI ONLINE ■日本百名山に選ばれている仙丈ヶ岳は、全体としてなだらかで、鎖場などの危険個所が無い為、登山初心者向きのコースと言えます。 南アルプスのほぼ最北に位置し、山梨県と長野県の国境に位置しています。東京から中央線に乗り、松本に向かって車窓から南アルプスを眺めても仙丈ケ岳の姿を目にすることはできません。標高3,032mの高さを誇るものの、山頂部は甲斐駒ケ岳や早川尾根に隠されてしまう為です。山梨県側の平地からはその姿を仰ぎ見ることが出来ませんが、釜無川を挟んで反対側に位置する八ヶ岳の中腹に位置する観音平に上がるとその優美な姿を見る事が出来ます。一方、平地の長野県伊那市高遠から望むと、鋸岳を従えた甲斐駒ケ岳の右手にどっしりとした姿をとらえることが出来ます。小仙丈カール、藪沢カール、大仙丈カールと三つのカール(圏谷)を擁した山容は、北岳や甲斐駒ケ岳とは対照的に穏やかでゆったりとしたたたずまいは、まさに女性的というのがぴったりです。そして、藪沢カールは、立山の山崎カール、穂高岳の涸沢カールとともに、日本三大カールに数えられています。仙丈ヶ岳には急な岩場を通過するような箇所は無く、森林限界を超えた登山道沿いには高山植物が非常に豊富なことから「南アルプスの女王」と称され、南アルプス夏山入門コースとして人気を集めています。 |
柏木駐車場
前日 柏木駐車場入り
戸倉山(伊那富士)も登ってみたい山です
早朝 雨の中スタートのため見所無し
林道を何度か交差
中央アルプス方面
雨に濡れた緑が綺麗
下草が長いので晴れていても足元が濡れると思います
ガスの山も良い
松峯小屋への分岐
この尾根を登った先
ようやくハイマツ帯へ
仙丈ヶ岳(3033m)山頂
二等三角点(前岳) 3032.6m
山頂には石仏や石祠
地蔵岳 方面
塩見岳 方面
林道と並走した登山道
しばらくの間、殆ど標高が変わりません
このルートこんな区間が多く心折れます
孝行猿の遺跡
孝行猿物語
長谷村には昔から次のような民話…孝行猿物語が伝わっています。 村に勘助(かんすけ)という腕利きの猟師が住んでいました。冬も近付いたある日、勘助は火縄銃を手に猟に出たが、その日は不猟で兔(うさぎ)一匹捕れま せんでした。諦(あきら)めて帰ろうとしていた時、木の上に大きな猿が一匹居眠りをしているのが見えました。気が進まなかったが、他に獲物もないため手ぶ らで帰るよりはよいと思い、一発でこれを仕留めました。後ろの山路で悲しげな猿の声が聞こえましたが、あまり気にも止めないで家路へと急ぎました。家に戻 り、仕留めた猿の両手両足を縛って囲炉裏(いろり)端に吊(つ)るすと、皮は翌朝剥(は)ぎ取ることにして、夕食もそこそこにして寝てしまいました。 夜中に物音に気付いて目を覚ますと、隣の部屋との隙間(すきま)がかすかに明るく見えます。戸の隙間から覗(のぞ)いて見ると、どこから入って来たの か、囲炉裏の周りに子猿が三匹います。一匹が囲炉裏の火で手をあぶっては、四つん這いになった二匹を踏み台に、吊るされた猿の傷口に手を当て温めていまし た。勘助が撃(う)ち殺した猿の子供たちが、親猿を何とか生き返らせようとして、囲炉裏と親猿の間をしきりに行き来していたのでした。 「ああ!昨日帰りに鳴いた猿は、この子猿たちだったのか!」どうにかして親猿を生き返らせたいと、夜中に一生懸命に手当している子猿たちを見ていると健 気(けなげ)に思えてなりませんでした。「私は、生計を立てようとして、何故(なぜ)こんな情けないことをしてしまったのか」と先非を悔いました。子猿た ちは、夜明けとともに山へ去っていきました。 親子の愛情に深く心を打たれた勘助は、夜が明けると、親猿を背負って裏山に登り、大きな一本松の木の根元に葬(ほうむ)って手厚く母猿の霊を慰(なぐ さ)めました。また、祠(ほこら)を建ててせめてもの心尽くしとしました。勘助は、猟師として生き物を殺してきた過去の非を後悔して、猟師を廃業しまし た。そして、頭を剃(そ)って一心不乱の念仏者になり、諸国行脚(あんぎゃ)の旅に出たといいいます。
孝行猿の話は、やがて時代も下ると修身の教科書にも教材として採り入れられました。明治時代に編集した「脩身口授用書」は、「猿子 親ヲ療シテ人心ヲ感 発ス」という題目で原拠に「新著聞集」を挙げています。 その後、文部省が大正7年に発行した「尋常小学修身書 巻一」には「オヤヲタイセツニ」という題目があるが、それは絵だけのものでした。 また、昭和11年に修正印刷した「尋常小学修身書 巻一」には、絵だけでなく文章も次のように載っています。
オヤザル ガ、ウタレマシタ。
コザルガ、タスケヨウ ト オモッテ、ロ デ テ ヲ アブッテ、
オヤザル ノキズグチ ヲ アタタメテ ヰマス。
登山口近くの石仏
柏木駐車場
柏木駐車場には仮設トイレと水場がある