洞慶院(とうけいいん)安倍城跡・静岡県静岡市葵区羽鳥




洞慶院(とうけいいん)安倍城跡・静岡県静岡市葵区羽鳥

静岡県静岡市葵区羽鳥にある洞慶院(とうけいいん)

御本尊として千手千眼観世音菩薩を安置する

永平寺の末寺の曹洞宗寺院で、藁科二十一ヶ所霊場の第2番札所。

地元では「おとうけんさん」と呼ばれ梅の名所としても知られています。

洞慶院案内図

洞慶院(とうけいいん)

地元では「おとうけんさん」として親しまれており、(仏教の賛美歌)とも言われる詠讃歌の「梅花流発祥之地」としても知られるお寺。

もともと馬鳴大明神の社僧寺として「喜慶院」と称する真言宗寺院だったが、室町時代の1452年にこの地に滞在していた石叟円柱(せきそうえんちゅうが)、土地を寄進した守護の福島伊賀守こと福島勝広、後の北条綱房を開基に、師である恕仲天誾(じょちゅうてんぎん)を開山として、法弟の大巌宗梅たいがんそうばいらとともに寺を再建。
この時「洞慶院」と改称し、曹洞宗寺院へと改宗された。

趣のある「四本杉」が立つ「龍門橋」の景観や、おまたぎがある「鳥瑟沙摩明王堂」、開祖を安置する「御影堂」、文殊菩薩が安置され坐禅体験も可能な「坐禅堂」、かつて禅の修行道場だった「衆寮」、黄梅藥師如来と根切り地蔵尊を安置する「願王尊」、愛染明王を安置し「塩がまさま」として親しまれている「塩渓堂」、毎朝暁鐘を響かせる「鐘楼堂」、茶室の「老楳庵」など見所が多い。

中でも「洞慶院梅園」は、東海屈指の梅の名所として知られる。

毎年7月19日・20日には、盛大に「開山忌大祭」が執り行われ、無病息災・家内安全の御祈祷や催し物が行われる他、露店も並び若竹で作られた縁起物の郷土玩具である「おかんじゃけ」も、この時に売られる。

鳥瑟沙摩明王堂

トイレの神様として広く信仰されている烏枢沙摩明王が祀られている。

本堂

藁科二十一ヶ所霊場の第2番札所となっている、

御本尊の千手千眼観世音菩薩や梅花観世音菩薩を安置する。

洞慶院 庫裡・偕楽台

衆寮

「衆寮」とは禅の修行道場の場、元々は衆僧のための寮舎だった衆寮。

張出縁の欄干や縦格子窓など、他の建造物とは一線を画した建築美がみられる。

鐘楼堂

鐘楼堂の脇から安部城址への登山口がある。

安倍城跡

安倍城跡

安倍城(あべじょう)は、静岡県静岡市葵区内牧・羽鳥にある日本の城跡。市内西部を流れる安倍川の右岸にそびえる標高435メートルの山の頂にある。築城年代は不明だが、駿河狩野氏一門で建武政権期に武者所に勤めていた狩野貞永(貞長)の築城と伝わることから、14世紀前半と考えられる。山頂を本城として、周囲の尾根筋にも久住砦などの支城を多く配置し、狩野氏の一城砦群を形成している

狩野氏は、建武政権崩壊後の南北朝期には南朝方につき、北朝方の今川氏と安倍川を挟んで熾烈な攻防を繰り広げた。1392年の南北朝統一後は今川に恭順していたが、1433年(永享5年)の今川範政の死によって勃発した今川家中の内紛に乗じて離反するものの、逆に今川方に攻められて衰退。以降安倍城は文献に現れないことから、廃城もこの頃(15世紀前半)と見られている

城跡は、幅35メートルほどの最上部の尾根を本曲輪として、その周囲に稜線に沿うように階段状の小曲輪を配置しており、一部の曲輪間には、堀切を設けている。これらの遺構の多くは南北朝期よりも後の時代の改修によって造られたものと考えられている

城跡を含む当山は、現在登山コースとなっており、東南麓の慈悲尾(しいのお)増善寺と、西南麓の羽鳥(はとり)洞慶院から登攀して曲輪や堀切などを見ることが出来るが、急峻な箇所も多い。   Wikipediaより

安部城址より望む

安倍川と静岡市街・賎機山・谷津山・日本平

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