鎌田神明宮(御厨古墳群)・静岡県磐田市鎌田




鎌田神明宮(御厨古墳群)・静岡県磐田市鎌田

静岡県磐田市鎌田の鎌田神明宮は651年創建

式内社でもある島名神社とも伝わります。

虫封じ」という子どもの 健康を祈る、珍しい神事が伝えられている。

農業神 を祀る日本古来の素朴な原始信仰が残り民俗学上貴重である。

この地は古より御厨天皇家や伊勢神宮の荘園(神領地)を意味し(台所)の敬語表現

と呼ばれています。

鎌田御厨(みくりや)の総鎮守としての信仰を集めています。

うさぎ山公園

鎌田神明宮の西側、隣接する場所にある兎山古墳は「うさぎ山公園」として整備され

遊具や砂場、水辺の遊具広場や、うさぎ型のすべり台があります。

三の鳥居 参道

鎌田神明宮

前身は式内社である嶋名神社ともいわれ、白鳳時代の白痴2年(651)に創建されたといい伝えられています。

豊受大神を祭神とし、中世には鎌田御厨の総鎮守として信仰を集め、鍬・鋤・鎌などを宝物としている。

虫封じという子どもの健康を祈る、珍しい神事が伝えられています。

この神社には、農業神を祀る日本古来の素朴な原始信仰が残り、民俗学上貴重である。

境内には自然のシイやカシなどの大木が茂り、磐田原本来の植生が見られる。

静岡県の「ふるさと自然百選」にも選ばれている。

鎌田神明宮

主祭神:豊受姫之神

相殿:瓊々杵尊、天児屋根命、天之太玉命

鎮座:天武天皇御宇白鳳二年今を距る一千三百有余年前

神徳:五穀豊穣の神・諸業御祖の神・福徳の神・虫除の神

例祭:旧 六月十五日、十六日

大祭:新 九月の末 土、日曜日

御由緒

當社は昔島名神社(式内)とも称し遠江の二之宮であり旧御厨村 十七箇村の総鎮守なり特に鎌倉時代よりの幼時虫除の御徳顕 著の故を以て知られている
今より千三百年前の人皇四十代天武天皇白鳳二年豊受姫伊勢国 より渡御し給ふ中島浜表に白羽の箭降り立ち光を放つ諸人怖れて 近付くものなし翌日海上光り渡り波浪競ひ来り御船と共に飛び 上り箭と一所に納め給ふ万民奇異の憩を為すところ神託あらた かなり我は是豊受の神なり永く鎮座の処は重ねて之を示すべしと 宣給ひ三日を経て農具の鎌と箭と共に當郷の源に納まり給ふ 依て此の地を鎌田の里と言ふ今も御鎌田と稱する田があり 崇敬者は祈願の御禮とし御鎌を奉献している
往古御厨十七郷一圓を神領地となしたが応永年間の乱に押領され 次で永禄天正の兵火に神殿、神領、古證文等悉く焼け失せたので ある徳川家康公の駿府在城の折高百石の御朱印を賜り、また 武具、鏡をも下賜され、今は當社の宝物となっている。しかうして 明治に及ぶ
當社式年御遷宮は二十年毎に、大遷宮は六十年毎に造営を営まれ てきたもので境内は二千百五十坪でその中に小宮様十五社を祭祀せり

手水舎

神門

拝殿

祓所の四柱の大神

祓所の四柱の大神

瀬織津比売神
世の中の罰、穢れを祓ひ給ふ大神であると共に、水神であり、
罰、穢れを大海へ流し給ふ。
速秋津比売神 
諸々の罰、穢れを海にて吞み込み給ふ大神。
水戸(みなと)の神、河口の神。
伊吹戸主神
世の中の罰、穢れ兇害を吹き放ち 除き去り給ふ大神。
速佐須良比売神
世の中の罰、穢れを祓い捨て 消滅せしめ給ふ大神。

天照皇太神社(右)・船魂大神(左)

天照皇太神社
天照皇太神のまたの御名をば大日霊貴命と申し奉り
我が皇室の御大祖に座まして千代萬代に動ぎなき日本国の基を
お定め給ふ神様であらせられます。
船魂大神 
別名 船玉大神。御祭神 猿田彦神。
御神徳 海路平安の神、先導の神。

塩釜神社(右)・伊雑宮(左)

塩釜神社 
御祭神 武甕槌神、経津主神、塩土老翁。
御神徳 武勇の神、国家鎮護の神。
伊雑宮
御祭神 伊雑登美能命。
皇大神宮 内宮の別宮

青麻大神

青麻大神
御祭神 雨夜尊(天世尊)、壽根霊命
御神徳 眼の神、中風の神。

合社(後御殿)

御厨十七郷十九社 (現二十一社)

この地は古より御厨(みくりや)と呼ばれる。
御厨とは天皇家や伊勢神宮の荘園(神領地)を意味し、「台所」の敬語表現である。
鎌田神明宮は白鳳二年(六五一年)の鎮座と伝えられるが、それより二百五十年程過ぎた延長年間には、この地が伊勢神宮の神領地に指定された。
私達の祖先は、どんな時代の中でも、郷土の安泰と子孫繁栄の中に、豊作を祈願し雨乞いをし、悪病祓いや子供の虫封じや健康祈願などを行い、神明宮と共に神領地の神民として誇り高い生活を続けてきた。
鎌田神明宮はこの十七郷十九社の総鎮守であり、境内に御厨の各氏子神社を合社としていつき祀っている。 鎌田神明宮H.Pより

合社(後御殿)
此の御殿には御厨の各神社の御祭神をいつき祀る。
御厨十七村今之を数えるに十九村なり。
古し伊勢神宮の神領地にして神戸郷鎌田御厨と称す。
西は今の浦の流れ以東
東は三ヶ野川、諸井川(太田川を限り)
北は原野(三ヶ野)
南は中島の海辺まで
三ヶ野村 天神社    和口村  高根神社
新貝村  八幡宮    新出村  春日神社
稗原村  八王子神社  東脇村  十二社神社
鍬影村  六所神社   浅羽中村 八面神社
長江村  須賀神社   蛙池村  貴布弥神社
東貝村  浮宮神社   小島村  六所神社
西貝村  須賀神社   南島村  天神社
西之島村 塩竈神社   五十子村 藻山神社
大立野村 水神社    下太村  八王子神社
東荒屋村 造立神社
六十年毎の御遷宮の時、それまでの本殿を移して合社とし、
それまでの合社を解体して全く同じ型の新しい本殿を造る。
この歴史は千二百年伝えられている。
この合社は大正六年十月十四日御遷宮時の本殿である。

奇神社 稲荷社 八幡社

奇神社
御祭神 少彦名命
御神徳 健康成長の神(明治初年まで東光寺と称し薬師を祀る)
稲荷社
御祭神 倉稲魂命
御神徳 農商(商売繁盛)の神
八幡社
御祭神 品陀別命 応神天皇の御事
御神徳 弓矢の神 武勇の神

若宮八幡宮 天磐戸神社 白髪社 大福神社 高根社 若宮社

若宮八幡宮 
御祭神 大雀命 仁徳天皇の御事
天磐戸神社
御祭神 伊勢津彦命
白髪社
御祭神 猨田彦命
此の天神はよく道案内をし給ふ故に道祖神とも申し奉る。
大福神社
御祭神 天太玉命
忌部氏の遠祖にあたる。
高根社
御祭神 彦火火出見尊 別名を山幸彦
若宮社
宇犀之若郎子之命 履中天皇の御事

高根山古墳

静岡県磐田市鎌田・新貝地区には多くの古墳が分布しており

御厨古墳群(みくりやこふんぐん)と呼ばれています。

そのうち5基が国指定史跡に指定されている

天楠神社

御厨古墳群の一基「高根山古墳」は直径が52mもある大きな円墳

天楠神社が墳頂近くに鎮座し「学問の神・武勇の神」としての信仰をあつめる。

八王子古墳

文化財の道しるべ(古墳関連部分)
御厨(みくりや)古墳群

御厨地区には市内最古の大型古墳が集中しています。昭和6年に発掘された松林山古墳は、大和の王権と強い結びつきがあったと考えられています。平成13年3月に松林山古墳など5基の古墳が国の史跡に指定されました。
松林山古墳:前方後円墳、全長107m・高さ10.6m、三角縁神獣鏡ほか出土
高根山古墳:円墳、直径52m・高さ8m、壺形埴輪ほか出土
御厨堂山古墳:前方後円墳、全長34.5m・高さ4m、鏡・大刀ほか出土
稲荷山古墳:前方後円墳、全長46.5m・高さ6m、壺形埴輪出土
秋葉山古墳:円墳、長軸50m・短軸46m・高さ8m、土器出土

国指定史跡 御厨古墳群

磐田原台地の南東部、新貝から鎌田地区にかけては、多くの古墳が分布しています。市内には900基を超える数の古墳が知られていますが、特にこの地域には4世紀代という古い段階の、しかも大型の古墳が集中していることに特徴があります。
古墳群の中心である松林山古墳は、昭和6年に中心部分が発掘調査されましたが、その時に出土した副葬品からは、大和の王権と強い結びつきのあったことが推測されます。大和の王権による、東国支配の重要な地域であったと考えられています。
御厨(みくりや)とは、寺社に稲を供給した場所を示す言葉で、鎌田地区はかつて伊勢神宮の御厨でした。かつては、この地域を御厨村と呼んでいたことから、古墳群の名称としました。

松林山古墳(前方後円墳)全長107m・高さ10.6m
主な出土品:三角縁神獣鏡、内行花文鏡、短甲、剣、大刀、貝釧(水字貝製釧)、石釧、鎌、鉾、埴輪など

高根山古墳(円墳)直径52m・高さ8m
主な出土品:壺形埴輪、円筒埴輪

御厨堂山古墳(前方後円墳)全長34.5m・高さ4m
主な出土品:鏡、大刀、銅釧、耳環、鉄斧、土器

稲荷山古墳(前方後円墳)全長46.5m・高さ6m
主な出土品:壺形埴輪

秋葉山古墳(円墳)長軸50m・短軸46m・高さ6m
主な出土品:土器
磐田市教育委員会文化財課

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