神功皇后(仲哀天皇皇后)狭城楯列池上陵・奈良県奈良市山陵町




神功皇后(仲哀天皇皇后)狭城楯列池上陵・奈良県奈良市山陵町

奈良県奈良市山陵町

第14代 仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)皇后 神功皇后(じんぐうこうごう)

「日本書紀では気長足姫尊」

狹城盾列池後陵(さきのたたなみのいけじりのみささぎ)

遺跡名は「五社神古墳」で、墳丘長275メートルの前方後円墳である。

仲哀天皇崩御から応神天皇即位まで初めての摂政として約70年間君臨したとされる。

住吉三神とともに住吉大神の1柱として、

また応神天皇とともに八幡三神の1柱(祭神)として信仰されている。

武家社会の神である八幡神の母にあたる神であり、数多くの武人が神功皇后を崇拝していた。

今でも全国各地で神功皇后の三韓征伐を祝うための山車が存在しており、

その業績をたたえる祭りが多い。

神功皇后

記紀にみえる仲哀天皇の皇后。名は気長足姫尊。『古事記』には息長帯比売命と記される。神と交感する能力を持つ巫女的な女性。夫の仲哀天皇が神の託宣を信じず祟りにあって頓死したあとを受け、託宣に従って新羅を攻める。このとき大小の魚が寄り集まって、船の進行を助けたという。新羅の王は皇后の軍団の勢いに圧倒されて戦わずして降る。高句麗,百済もこれに倣う。この軍旅に際し、皇后は臨月を迎えていたが、石をもって産気の鎮めとし、筑紫へ凱旋してから御子(のちの応神天皇)を生む。このときの鎮めの石は,鎮懐石の名で筑紫の地に実在を伝えられており、8世紀初頭の歌人山上憶良の歌に、具体的な寸法と共に人々が盛んに参っていた様子が描かれている。皇后は出産ののち、反逆の企てなども粉砕し、大和で御子を皇太子に立てて後見に当たる。記紀の記載上、皇后は皇位に就かなかったことになっているが、天皇に匹敵する存在であり『日本書紀』でも天皇に準じた扱いをしている。この皇后と御子の組み合わせは、やがて母子神信仰に習合し、八幡宮の祭神として名を連ねて現在に至っている。

神功皇后(第14代 仲哀天皇 皇后)

諱  気長足姫

別名

息長帯比売命(古事記)
大帯比売命(古事記)
大足姫命(続日本後紀)
大帯日姫(日本三代実録)

誕生 生年不明

崩御 没年不明

地位 摂政 (神功元年10月2日 – 神功69年4月17日)

続柄 (配偶者)仲哀天皇(父)息長宿禰王(母)葛城高顙媛

仲哀天皇の皇后。名は気長足姫。父は開化天皇の曾孫気長宿禰王。天皇と共に熊襲征伐に九州へ行ったが、天皇が神の怒りにふれて急死したため、武内宿禰と謀り懐妊のまま新羅を攻めて勝ち、帰国後応神天皇を生んだとされ、六九年間摂政として政治を行ったと『日本書紀』にある。皇后がこのような重要人物に仕立てられたのは、『書紀』の編者が皇后を邪馬台国の卑弥呼と同等の地位におこうとしたからであろう、との説がある。

記紀や『風土記(ふどき)』などにみえる伝承上の人物。『日本書紀』によると、仲哀(ちゅうあい)天皇の皇后で、名を気長足姫尊(息長足姫命)(おきながたらしひめのみこと)という。父は開化(かいか)天皇の曽孫(そうそん)、気長宿禰王(おきながのすくねのおおきみ)、母は葛城高顙媛(かずらきのたかぬかひめ)。『古事記』では、父は開化天皇の玄孫で、母は新羅(しらぎ)国の王子天之日矛(あめのひぼこ)の5世の孫にあたるという。仲哀天皇が熊襲(くまそ)を討つため筑紫(つくし)の橿日宮(かしひのみや)(香椎宮(かしいぐう)。福岡市東区香椎町に所在)にきたとき、天照大神(あまてらすおおみかみ)と住吉(すみよし)三神が皇后にのりうつって託宣を下したが、仲哀はこれを信じなかったために急死した。そこで神功は、臨月であったにもかかわらず新羅を討ち、帰国後、筑紫の宇美(うみ)で後の応神(おうじん)天皇を出産。さらに大和(やまと)に帰還して麛坂(かごさか)・忍熊(おしくま)2王の反乱を鎮定し、応神が即位するまで69年間も政治をとっていたという。『書紀』にはさらに多くの日朝関係記事が記され、なかには干支(かんし)二運(120年)を下げれば史実と考えられるものもある。また4か所にわたって『魏志(ぎし)』や『晋書(しんじょ)起居注』が引用され、編者が神功を倭(わ)の女王(卑弥呼(ひみこ))に比定していたことは疑いない。この伝説は、古くから朝廷に伝えられていた朝鮮半島侵略の物語に、各地で語られていた母子神信仰に基づく民間伝承的なオホタラシヒメの伝承や、京都府綴喜(つづき)郡に居住した古代豪族息長(おきなが)氏の伝承などが加わり、さらに7~8世紀に古代天皇制の思想によって潤色を受け、最終的に記紀に定着したと考えられる。

神功皇后(狹城盾列池後陵)

配偶者
第14代 仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)皇后
御父
息長宿禰王
御母
葛城高顙媛
御陵名

狹城盾列池上陵(さきのたたなみのいけのえのみささぎ)
陵形
前方後円
所在地
奈良県奈良市山陵町

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