國常立神社 天香久山(152m)・奈良県橿原市南浦町




國常立神社 天香久山(152m)・奈良県橿原市南浦町

奈良県橿原市南浦町、

香久山(152m)の山頂に鎮座する国常立神社(くにとこたち)です。

香久山は万葉集では天香具山(あまのかぐやま)と詠われ、

大和三山の中で、最も神聖視されています。

山というよりは丘の印象が強いですが、南から続く竜門山地の先端部分に連なる山で、

山塊は、閃緑岩や斑レイ岩などの堅い岩石で構成されているため

浸食の度合いが低かったようです。

国常立神社は同じく南浦町の、香久山の北西麓に鎮座する「天香山神社」と共に

式内社「天香山坐櫛真命神社」の論社となっています。

天香山坐櫛真命神社は『延喜式』神名帳に大社に列せられ、

古くは有力な神社だったようです。

藤原京跡より望む香具山

香久山 登山口

香久山への登山口は

(西側の香久山観光トイレ・北側の天香山神社・南側の天岩戸神社)

等の登山口がありますが、今回は無料駐車場があって便利な

香久山観光トイレより登りました。

名勝 大和三山 香具山
平成十七年七月十四日 文部科学省指定

奈良盆地の南部に位置する、香具山【かぐやま】(152.4m)、畝傍山【うねびやま】(199.2m)、耳成山【みみなしやま】(139.7m)の三つの小高い山を総称し、大和三山と呼びます。香具山は桜井市の多武峰【とうのみね】から北西に延びた尾根が浸食により切り離され小丘陵として残存したもので、畝傍山と耳成山は盆地から聳えるいわゆる死火山です。
三つの山は古来、有力氏族の祖神など、この地方に住み着いた神々が鎮まる地として神聖視され、その山中や麓に天香山神社、畝傍山口神社、耳成山口神社などが祀られてきました。また、皇宮造営の好適地ともされ、特に藤原宮の造営に当たっては、東・西・北の三方にそれぞれ香具山・畝傍山・耳成山が位置する立地が、宮都を営むうえでの重要な条件にされたと考えられています。
大和三山を詠んだ和歌は多く、重要な歌枕として鑑賞上の地位を確立したほか、近世の地誌、案内記、紀行文などでも紹介され、万葉世界を代表する名所として、広く知れわたるようになりました。

香具山は伊予国風土記逸文に「天から降ってきた」という伝承が残っており、「天の香具山」とも呼ばれています。万葉集において「天」という美称がつけられた山は香具山だけで、このことから多くの山の中でも特別な位置付けを持っていたと考えられます。

香具山を詠んだ万葉歌

大和には 群山【むらやま】あれど とりよろふ 天の香具山登り立ち 国見をすれば 国原【くにはら】は 煙【けぶり】立つ立つ 海原【うなはら】は 鴎【かまめ】立つ立つ うまし国ぞ 蜻蛉島【あきづしま】 大和の国は
舒明天皇(巻一-二)

春過ぎて夏来るらし白栲【しろたえ】の衣乾したり天の香具山
持統天皇(巻一-二八)

久方【ひさかた】の天の香具山このゆふべ霞【かすみ】たなびく春立つらしも
柿本人麻呂(巻十-一八一二)

橿原市教育委員会  奈良森林管理事務所

香久山国有林

ここは歴史的にも有名な大和三山の一つで、標高が152mあります。耳成山・畝傍山が孤立峰であるのに対し、香久山は多武峰、音羽山につづく龍門山塊の一部で、一番山容が目立たず、面積も9ヘクタールとわずかですが、三山の中ではもっともよく知られている山です。

春過ぎて 夏来にけらし 白妙の
衣干すてふ 天の香具山   持統天皇

天香具山(香具山)(152m)

天香久山

天香久山、天香具山(あまのかぐやま、あめのかぐやま)、または香久山、香具山(かぐやま)は、奈良県橿原市にある山。畝傍山、耳成山とともに大和三山と呼ばれる。標高は152.4メートルと三山の中では標高は2番目である。他の二山が単独峰であることに比して多武峰から続く竜門山地の端にあたる

歴史的風土特別保存地区と国の名勝に指定されている。

太古の時代には多武峰から続く山裾の部分にあたり、その後の浸食作用で失われなかった残り部分といわれている。山というよりは小高い丘の印象であるが、古代から「天」という尊称が付くほど三山のうち最も神聖視された。天から山が2つに分かれて落ち、1つが伊予国(愛媛県)「天山(あめやま)」となり1つが大和国「天加具山」になったと『伊予国風土記』逸文に記されている。また『阿波国風土記』逸文では「アマノモト(またはアマノリト)山」という大きな山が阿波国(徳島県)に落ち、それが砕けて大和に降りつき天香具山と呼ばれたと記されている、とされる

藤原京の東にあることにより太陽信仰の地であったともいわれる。現在、山頂からは畝傍山を望むことができ、その山頂には國常立命を祭神とする國常立(くにとこたち)神社があって、2つの小さな祠のうちの1つには高靇神が祀られている。山の北麓には占いを司る櫛真智命神(くしまちのみことのかみ)を祭神とし、境内の波波枷の木が占いに用いられてきた天香山(あまのかぐやま)神社、南麓には天照大神の岩戸隠れの伝承地とされる岩穴や巨石を神体とした天岩戸(あまのいわと)神社がある。また東側には県立「万葉の森」が造られ、山の南東部には香久山公園(44,084平方メートル)が整備されている。

古代より畝傍山とともに神事にもちいる陶土の採集場所として知られる。天香久山には赤埴と白埴の2種があるとされ、赤埴は山頂の斑れい岩が風化したものとみられている

「天」を含む「天香久山」と「天香具山」、および「天」を含まない「香久山」と「香具山」の各表記があるが、国土地理院の地図では「天香久山」としており、本記事ではこれに従う。名勝としては「香具山」である。橿原市では地区の名称を「香久山」としており、北北東約2キロメートルに位置する西日本旅客鉄道の桜井線にある駅も香久山駅である。なお、近鉄大阪線の耳成駅も天香久山の北側約2キロメートルに位置する。

膳氏(かしわでうじ)の本拠地にして、聖徳太子妃・膳部菩岐々美郎女の生家である。山の北の地名は膳夫町(かしわてちょう)である。

古来万葉集などで歌われてきた。万葉集には単独で9首詠まれており、全体で13首に登場する。その中で香久山の表記は香具山、香山、香来山、高山、芳来山、芳山と一定しない。

山頂より望む畝傍山と背後に葛城山、右に二上山

木々が無ければ藤原京跡を一望出来る。

國常立神社

香久山の広い山頂に鎮座する國常立神社

左 国常立神社 右 高オカミ神社

左側(西側)に建つ本殿は「國常立神社」、御祭神は「國常立命」

こちらが本社になります。

右側(東側)に建つ本殿は「高龗神社」、御祭神は「高龗神」

國常立神社と同規模ですが厳密には境内社

当社がかつて「竜王社」と呼ばれていたことから

元々の信仰の中心はこちらだったと思われます。

國常立神社くにとこたちじんじゃ

祭神は國常立命くにとこたちのみこと(天地開闢かいびゃくとともに現れた国土形成の神)

俗に雨の竜王と称され、境内社として高おかみ神(竜王神)を祀る。

向かって右側神殿の前に壺が埋められており、古来干天の時この神に雨乞をして壺の水をかえたが、まだ降雨のない節はこの社の灯明の火で松明をつくり、村中を火振りして歩いたという。

末社に伊弉諾神社いざなぎじんじゃ(祭神 伊弉諾命いざなぎのみこと)、伊弉冊神社いざなみじんじゃ(祭神 伊弉冊命いざなみのみこと)があり、天香久山の東山麓に鎮座する。

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