御津神社・愛知県豊川市御津町広石祓田




御津神社・愛知県豊川市御津町広石祓田

愛知県豊川市御津町広石祓田の「御津神社

蒲郡市との境界付近にある御津山(94m)の北に鎮座します。

御祭神は大国主命。

創建年代は不詳ですが、天武天皇の御代(672年〜686年)に

官社となったとされることからそれ以前の創始とも云われています。

伝承によれば、大国主命は、出雲の国から船に乗って伊勢湾を渡って当地に及んだと言われ、

この時、地元の漁師が採れたイカを献上したという言われから、

毎年4月の第3土曜日の例大祭の前日に行われる祭事「烏賊(イカ)まつり」では

現在でも神前にイカを供えています。

御津町の歴史も古く、8代天皇の孝元天皇(西暦前200年)が当国の行幸の時に、

御船を此の津に寄せられたことから、

当地を御津湊とされたことが惣国風土記に記されています。

その時、天皇は既に此の地にあらせられる神社に対し、

御津神社の名を賜ったとも伝わります。

御津神社 (みとじんじゃ)

所在地

〒441-0321 愛知県豊川市御津町広石祓田70

アクセス

JR東海道本線「愛知御津駅」下車 徒歩約15分

東名高速「音羽蒲郡IC」より車で約15分

御津神社

御祭神 大国主命
御由緒

創立年代不詳と雖も延喜式(平安時代) 全国神社三千百三十二座の内三河国二 十六座の一となし、三河国神名帳に正三位御 津大明神として載せらる
天武天皇四年二月圭田五十六束を奉納し給ふ
文徳天皇仁寿元年十月従五位下の神階を給ふ
当三州刺吏源朝臣義範は応永廿二年御社殿を 再建し永享十一年之が御屋根葺替を成し奉り
享徳元年御津庄刺吏細川兵部少輔は洪鐘を献 納し、天文十五年当庄刺吏牛久保城主平朝臣 保成御社殿屋根葺替を成し奉れり
明治十四年十月有栖川宮熾仁親王殿下より神 社号の御染筆を御贈進あらせらる
明治廿二年内務省より御本殿保存資金として 金壱百円を下附さる
当社は往古御津七郷(広石、森下、茂松、灰 野、金割、西方、泙野、大草、赤根、大塚、 丹野、山神)十二ヶ村の総氏神なりしが、明 治五年更に六ヶ村(森、為当、上佐脇、下佐 脇、下佐脇新田、御馬)を加えて十八ヶ村崇 敬の社となる
神領は中古七十五石を有し、今尚、小字に祓 田、禰宜田、神子田等の名を残す
別宮石畳神社は大字泙野に、村社御舳玉神社 は大字豊沢に、境内神社たる磯宮神社、船津 神社は当社境内に鎮座あり孰れも当社御由緒 に深き関係を有せらる
明治五年四月郷社に列せらる
明治十五年五月県社に列せらる
明治四十年二月神饌幣帛料供進神社に指定せ らる
昭和二十四年六級社に指定せらる

例祭日
烏賊祭 四月第三土曜日
例大祭 四月第三日曜日

御津神社 案内

祭神 大国主命
祭礼 烏賊祭
例大祭 四月第三土曜日(かつては、春祭として執行。烏賊を献供)
四月第三日曜日(かつては、旧暦九月十六日、十七日)
縁起  創建は不明。『延喜式』では三河二六座の一つの「式内社」、『神名帳』には「正三位御津大明神」とある。伝承によれば、祭神は御舳玉・磯宮楫取・船津各大神等の随従で船津へ着いたとされ、棟札や梵鐘等によって三河守護や土豪との関係がわかる。当社は御津七郷十二ケ村の総産土神と崇められ、明治五年に郷社に列せられ、明治十五年には社殿が造営され、県社に昇格した。
文化財(町指定六点)
梵鐘 享徳元年(一四五一)願主は藤原政家。高さは八九・四センチ、口径五三・九センチ。梵鐘が神社にあるのは珍しく、当時の地域の在地領主と守護との関係がわかる。
鰐口 ① 永禄元年(一五五八)に大工南金屋宗次により製作。付近の土中から出土したといわれる。
② 万治三年(一六六〇)に北金屋村の中尾作左門重次が製作。「御津庄船玉大明神」(船津神社古称)に氏子衆が奉納したもの。
③ 延宝二年(一六七四)大恩寺第二九代鸞誉上人によって奉納された。
大般若経 現存一一一巻及び巻数不明の料紙六九九葉。多くは、永和年中(一三七五~一三七九)に、新城市富岡にある富賀寺などで実鏡らにより書写されたもの。
クスノキ 当社の神木で、樹齢千年を越え、町内最高齢の樹木と推測される。目通り九・二五メートル、根回り一三・六四メートル、樹高二一・〇メートル。
その他 当社には金割・灰野地内の入会山騒動をめぐる「平野・竹本義人碑」「山林分割記念の大鏡」や、国学者羽田野敬雄ゆかりの「肖像祭の軸」「皇学四大神の神歌碑」御津神社道の「道しるべ」二本もある。

御津神社

祭神 大国主命
祭礼 烏賊祭
例大祭 4月第三土曜日(かつては、春祭として執行。烏賊を献供)
4月第三日曜日(かつては、旧暦9月16日、17日)
縁起  創建は不明。『延喜式』では三河26座の一つの「式内社」、『神名帳』には「正三位御津大明神」とある。伝承によれば、祭神は御舳玉・磯宮楫取・船津各大神等の随従で船津へ着いたとされ、棟札や梵鐘等によって三河守護や土豪との関係がわかる。当社は御津七郷十二ケ村の総産土神と崇められ、明治5年に郷社に列せられ、明治15年には社殿が造営され、県社に昇格した。
文化財(町指定六点)
梵鐘 享徳元年(1451)願主は藤原政家。高さは89.4cm、口径53.9cm。梵鐘が神社にあるのは珍しく、当時の地域の在地領主と守護との関係がわかる。
鰐口 ① 永禄元年(1558)に大工南金屋宗次により製作。付近の土中から出土したといわれる。
② 万治3年(1660)に北金屋村の中尾作左門重次が製作。「御津庄船玉大明神」(船津神社古称)に氏子衆が奉納したもの。
③ 延宝2年(1674)大恩寺第二九代鸞誉上人によって奉納された。
大般若経 現存111巻及び巻数不明の料紙699葉。多くは、永和年中(1375~79)に、新城市富岡にある富賀寺などで実鏡らにより書写されたもの。
クスノキ 当社の神木で、樹齢千年を越え、町内最高齢の樹木と推測される。目通り9.25m、根回り13.64m、樹高21.0m。
その他 当社には金割・灰野地内の入会山騒動をめぐる「平野・竹本義人碑」「山林分割記念の大鏡」や、国学者羽田野敬雄ゆかりの「肖像祭の軸」「皇学四大神の神歌碑」御津神社道の「道しるべ」二本もある。
平成11年11月
豊川市教育委員会

天満社

天満社御由緒

御祭神 菅原道真公

古老の伝えるところでは、当社は京都の北野天満宮より勧請されたものといい、もと越川七七ノ一に鎮座せられたが明治八年十二月(1875)この御津神社境内に遷座せられた。

御祭神は承和十二年(845)の御生まれであって御津神社における当社の御創立年代は不詳であるがもっとも古い棟札の裏に寛文十年七月(1670)に造り替え奉ると記されており、この時既に造り替えが必要なほど傷んでいたということでかなり以前かの御創立と認められる。この棟札の裏に金一両に付き米八斗五升、麦二石金一分(四分で一両)で稗三石二斗あわ五斗五升と物価を伝えているのは興味深い。

御祭神は学問の神様、書道の神様として尊崇せされ、ことに霊験いちじるしく神社近郷において国学者 羽田野敬雄を始め多くの学者、教育者等の輩出しているが御祭神の御霊験によるものと拝察せらる。最近社殿の腐朽がすすみおそれ多いので氏子各位の赤誠により今年昭和五十九年に再建されるに至ったものである。

撫牛

撫牛信仰

牛は天神さまの御神使です。もろもろの願いをこめてこの臥牛を撫で願望成就を祈ることは当社古来の信仰です。 天満社

船津神社

手水舎

社務所

御霊社

磯宮神社・宝蔵庫

御津神社 拝殿

御津神社

御津神社の祭神は大国主命で、創建年月は西暦以前にさかのぼるといわれ、あまりにも古く記録がないため不詳です。
御津町の歴史も古く、8代天皇の孝元天皇(西暦前200年)が当国の行幸の時に、御船を此の津に寄せられたことから、当地を御津湊とされたことが惣国風土記に記されています。 その時、天皇は既に此の地にあらせられる神社に対し、御津神社の名を賜ったとされています。
境内にそびえる大楠は神社のシンボルで、樹齢1,000年を超える町内最高齢の樹木です。

手前に4社左から「忠魂社・八幡社・八百萬社・御鍬社」

奥に「秋葉社」と「新宮社鈴宮社」

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