長福寺(長福寺古墳)・静岡県掛川市本郷




長福寺(長福寺古墳)・静岡県掛川市本郷

静岡県掛川市本郷にある曹洞宗の寺院「長福寺」です。

長福寺は神亀三年(726)に行基菩薩によって開創、

五智如来を安置したことが始まりだといわれています。

当初は真言宗の寺として栄え、元慶八年(884)には比叡山座主智證大師により

天台宗に改宗、当時は遠江国を二分する程の勢力を有していました。

長福寺には「幻の銘鐘(空を飛んだ釣鐘の伝説)」があり、

その鐘は国の重要文化財として奈良県の修験道の根本道場、

大峰山頂大峰山寺に現存しています。

長福寺

長福寺は神亀三年(726)行基菩薩が開創。五智如来を安置したことに始まるとある。以後真言宗の寺として栄え、元慶八年(884)比叡山座主智證大師により天台宗に改宗、当時は遠江国を二分する勢力を有した。その間には「幻の銘鐘」空を飛んだ釣鐘の伝説があり、その鐘は国の重要文化財として奈良県の修験道の根本道場、大峰山頂大峰山寺に現存している。
宝治2年(1248)工藤信濃守祐光は遠江国を所領し、当寺を菩提寺とした。
明応3年(1494)八月北条早雲の兵火により伽藍を焼失したが、時の名僧、松堂高盛禅師を請し、遠州太守頼景に寄進により寺は再建され、以後曹洞宗に改宗され現在に至っている。 ご本尊聖観世音菩薩は厨子入秘仏とされており、広く近隣の信仰を集めている。寺伝によると、身丈九寸の座像、脇に不動明王、毘沙門天を従えておられると伝えられており、その信仰の霊験は非常にあらたかである。

参道には馬頭観音像

地蔵堂(延命地蔵大菩薩)

曽我兄弟供養塔

何故此処にあるかは不明ですが、地蔵堂の脇には

敵討ちで有名な曽我兄弟の弟・曽我時致の供養塔が安置されています。

山門

長福寺 「幻の銘鐘(空を飛んだ釣鐘の伝説)」

726年開創と伝わる長福寺には「空を飛んだ釣鐘伝説」があります。 長福寺に訪れた旅の僧が釣鐘を金剛杖に掛けて空へ飛び去り、大峰山寺の岸壁の松にぶら下げたとう伝説で、今でも大峰山には長福寺の名が刻まれた釣鐘(国重要文化財)があります。 磐田市の獅子ヶ鼻公園の鐘掛岩にも似たような話が残されています。 実際は、北畠顕家が鐘を略奪して大峰山寺まで運んだのが有力な説となっています。

長福寺 本堂

本堂の向かって左側には薬師堂や弁財天などが祀られています。

その先には七十段の階段があり、さらに上ってその先の裏山に向かうと、

役行者堂・長福寺古墳・安里山公園・天神社などを巡ることができます。

長福寺 行者堂

長福寺は真言宗・天台宗を経て曹洞宗となった少し変わった経緯の寺院です。

本堂背後の行者山には「行者堂」があります。

「釣鐘伝説」旅の僧は役行者の化身であるとして、

行者堂には修験道の開祖 役行者を祀っています。

毎年、役行者尊祭典が行われているそうです。

長福寺古墳

長福寺の背後に長福寺古墳群3基があり、1号墳が残っています。古墳時代 後期(6世紀中頃)の円墳で、径約20m。横穴式石室の奥壁と側壁の一部が 残り、傍らに天井石が並べられている。 金銅装太刀,須恵器,装身具などの出土品は長福寺本堂に展示されています。

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