井伊家居館跡(いいけきょかんあと)
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【井伊氏居館跡】
江戸幕府の柱石の大名中、数少ない大老職の家柄と仰がれた彦根藩主井伊氏発祥の地は、
引佐の井伊郷で、この場所が屋形の跡です。井伊氏の元祖共保公は、藤原鎌足5世の裔、閑院左大臣冬嗣の男良門の流れを掬む藤原備中守共資を父とし、
共資が一條天皇の正暦年中、遠江の廳に来住した時、井伊郷の荘司三宅篤茂の女を娉い、
寛弘7年正月篤茂の館に於いて生誕したと謂われております。以来日本八介の一、遠江の井伊ノ介と謳われ、南北朝、東海に於ける南朝の拠点として、
後醍醐天皇の皇子宗良親王を迎え、ここ城山に御所を構え、東北三嶽山頂に山城を営み、
激烈な戦火を繰り広げました。以後戦運南朝に利あらず、戦国の世には今川氏の為に悲運を繰返し、直政公出生の翌年、
永禄5年には幼主直政公も此處を立退き、遂に主無き館となりました。嘉永5年6月、彦根藩主、時の大老井伊直弼公は親しく此の館跡を訪れ、
境内にある守護社井伊大明神に詣で旁附近の史跡を巡覧した事が伝えられています。平成元年8月吉日 引佐町歴史と文化を守る会 引佐支部有志一同
井伊谷城跡から二宮神社と歩き足切観音、
晋光寺・井殿の塚と巡り井伊家居館跡(いいけきょかんあと) に
それまでとその後の記事はこちら
現在は「引佐町第四区公民館」前に案内板があります。
平成29年 大河ドラマ「おんな城主 直虎」
井伊直虎 ゆかりの地の、のぼりが立ちます。
井伊家居館跡 (いいけきょかんあと)は民家の中 #井伊家居館跡 #おんな城主直虎 #井伊谷城跡 pic.twitter.com/PjBliEh3Mt
— Yosi (@LelilasYosi) November 12, 2016
国時代、井伊氏が平時を過ごした居館の跡。
江戸時代の記録によると、山麓にあった井伊氏の居館は、本丸のほか、二ノ丸、三ノ丸に
分かれていたとされており、山上の曲輪(井伊谷城)は「御所の丸」と呼ばれていた。
引佐町第四区公民館は井伊氏居館跡文字あたり。
引佐町第四区公民館を後ろから
この辺にはため池があったんですね。
住宅地の中でこれと言って特筆すべきものはないですが、
思いを馳せに立ち寄ってください!