中山道・木曽路 妻籠宿(つまごしゅく)
妻籠観光協会 -木曽・中山道 妻籠宿
http://www.tumago.jp
中津川の少し手前、妻籠宿(つまごしゅく)へ
よくここへも遊びに来ました。
妻籠宿(つまごしゅく)
中山道69次のうち江戸から数えて42番目となる妻籠宿は、
中山道と伊那街道が交叉する交通の要衝として
古くから賑わいをみせていました。
初めて町並保存に取り組んだ妻籠宿は、
街道沿いに江戸時代の家並を見事に保存、総面積も日本一です。
時代が変り明治になり鉄道や道路が新たに造られ、
宿場としての機能を失った妻籠宿は衰退の一途をたどりました。
やがて昭和になり経済成長の中、
江戸時代の宿場の姿を色濃く残している町並みが見直され、
ここに全国に先駆けて保存運動が起こったのです。
妻籠の人たちは町並みを守るために家や土地を、
「売らない・貸さない・壊さない」 という3原則をつくり、
ここで生活しながら、江戸時代の町並みという
貴重な財産を後世に伝えているのです。
妻籠の宿は奈良井と違い全く変わっていない印象です。
道も覚えていてとても懐かしい。
この辺は下町と呼ばれる地区。
蘭川が作った河岸段丘の上、
川に寄り添うように街並みが広がります。
この案内板からさらに上へ行くと恋野地区。
妻籠宿 本陣
妻籠宿の本陣を挟んで中町と上町に分かれます。
本陣前には歴史資料館も。
観光案内所
唯一の洋風建築は観光案内所です。
ここから道は下り寺下地区。
延命地蔵
延命地蔵の先には臨済宗の光徳寺
時間の都合で今回は立ち寄れず。
地蔵堂の左側に「石仏 寒山拾特像」
安政元年(1854)の大地震後に積み直された石垣が、
昭和59年(1984)長野県西部大地震で再び崩れ
その石垣から発見された道祖神の一種と考えられる石仏です。
寒山拾得を題材にした「箒と巻物を持った双体像」は国内唯一の珍しい絵柄で、
文政年間に光徳寺・中外和尚が彫ったと伝わっています。
唐代の禅僧・豊千に師事した寒山が手にする巻物は、
文殊菩薩の化身、拾得が手にする箒は普賢菩薩の化身と云われているそう。
昭和43~45年にかけて、寺下地区を中心に
26戸の解体復元工事を実施しました。
これによって「寺下の町並み」は
江戸時代の趣を残すことが出来たと記されています。
妻籠宿は中町・上町よりも寺下の町並みの方が
当時の宿場町の風情が色濃く残り、素晴らしい街並みが続いています。
上嵯峨屋
南木曽町有形文化財の上嵯峨屋。
江戸中期(18世紀中頃)の建物で、建造時の形式を留めています。
間口3.5間 奥行4間で板葺き石置き屋根で庶民の旅籠(木賃宿)でした。