穂積神社(ほづみじんじゃ)竜爪山 静岡穂積神社




穂積神社(ほづみじんじゃ)竜爪山 静岡穂積神社

竜爪山 静岡穂積神社
http://www.sr-hozumi.sakura.ne.jp

竜爪山の標高745mの地点に鎮座する穂積神社(ほづみじんじゃ)へ

恵水(龍)の他、弓矢の時代より矢、弾除けの神社として広く知られております。

麓には旧登山道の平山口には穂積神社(ほづみじんじゃ)の鳥居

ここからが表参道になるようです。

平山口からの登山客も多く目の前の駐車場(有料)は満車です。

鳥居前には湧き水が喉を潤してくれます。

竜爪山 旧登山道入り口

急登山道案内板 この旧登山道は今でもいくつか残っている
丁石をたどって行くと谷があり、岩場あり、尾根あり
昔大勢の信徒や善男善女が踏み登ったと思われる
信仰の道と言う感じが深い道である。
途中左に折れると三丁目の滝、五丁目の滝、滝が横に走って見える
竜走の滝そしてきん冷しの滝と言われる肝を冷す滝が見られる。
今日では若人のエネルギーとロマンの道として見直され登山者も増えている。

山そのものが信仰の対象だった竜爪山

遠足やハイキングで、登ったことがある人も多いはずの「竜爪山(りゅうそうざん)」。
標高1000メートルを越す文珠山と薬師山の両方を合わせて呼ばれているその山頂近くに、
この地に逃れた武田軍の残党により、慶長14年に祀られたという
「穂積神社(昔の呼称は竜爪権現)」が鎮座しています。
「落人の一人、望月権兵衛がある時真っ白な鹿を撃ち殺し、
その夜から病の床に就くようになった。
ある日夢枕に一人の老人が立ち、『お前が以前撃った鹿はわが使いのものである。
お前が竜爪山に社を建て、われを祀るなら、その病気を治してやろう』と伝えた。
言われた通り、早速社を建て竜爪権現と崇め、自ら神主となった」。
以上が通説とされていますが、神社総代の古本万吉さんは、
空海が作らせたと思われる経文が発見されていることから、
平安時代以降の歴史があるのでは…と考えています。
また高野山と同じく、山そのものを権現とする山岳宗教という点からも、
空海や真言宗との関わりが深いと考えられています。
このように徳川期までは神仏二道が慣習でしたが、明治の神仏分離令で、
竜爪権現は仏教色が払拭され、現在の穂積神社の誕生となりました。
古本さんは25年にわたり竜爪のことを調べていて、
本当の歴史を伝えていきたいと研究を続けています。
穂積神社では毎年4月17日の前日曜日を例祭日とし、
今年は60年ぶりに鉄砲祭りも行われました。
権兵衛が鹿を撃った伝説や、竜爪山が恰好の猟場だったことに起因しているそうですが、
武田家の残党が密かに鉄砲の練習をする際、音が響いても言い訳できるよう、
祭りとして認めてもらったとも。諸説紛々の竜爪山と穂積神社、
山登り以外にも魅力が盛りだくさんです。

石碑について

石碑の原石は、長尾川上流の地元平山の川から搬出したものである。
本石の重量は約十二トン、高さは四メートル余、長い間、長尾川の清流に洗われ、
自然にできた神石である。
この神社は、古くから多くの人々に「龍爪大権現」として崇敬され親しまれてきたが、
明治八年に二品嘉彰親王(にほんよしあき)(後の小松宮彰仁)より
「龍爪山穂積神社」と命名されたのである。
この石碑の書は嘉彰親王二十九歳の時の物である。
本来(平成十七年)は、命名されてから百参捨年目に当たり、
これを記念して建立したものである。
平成十七年四月吉日 穂積神社氏子総代会

竜爪山の由来

竜爪山は、薬師岳(標高1051m)と文殊岳(標高1041m)
を総称した呼び名です。
竜爪山の名の由来は、日本武尊が東征のとき、
山から時雨が襲ってきて衣を濡らしたことから時雨峯(しぐれみね)、
時雨匝山(しぐれめぐるやま)と書き、時雨匝山(じうそうざん)と読んだことから、
「りうそうざん」になったと言われ、又山頂に雲がたなびき、
竜が降りて、誤って木の枝に爪を落としたことから名付けられたとも言われています。
いずれも竜爪山が信仰の対象として人々の生活に密着していたことを物語っています。
山頂を東海自然歩道が通り、ハイキングコースとして親しまれて、
一帯は植物・野鳥の宝庫となっています。
昭和61年4月 清水市観光事業課


手水舎

穂積神社(ほづみじんじゃ)

由 緒
穂積神社は駿河の国、静岡県静岡市に位置し、龍爪山に鎮座まします。
龍爪山は文殊岳・薬師岳からなり、その昔約千三百年前空海(後の弘法大師)
が真言密教を布教の折、当山を訪れたと言い伝えられています。
当山は古くから山岳信仰の場であり江戸時代までは、神仏習合の龍爪権現様として
信仰されておりましたが、明治政府の神佛分離令により神道の穂積神社に改宗させられ
小松宮彰親王殿下の命名にて穂積神社の名を賜りました。
日露、日清、大東亜戦争を重ねるに従い武運長久、弾除けの守り神として、
全国津々浦々に知られ、多くの善男善女の崇敬を受け、国家安寧、五穀豊穣家内安全、
被災被弾の守護神として今日に至っております。

ご祭主
大己貴命(オオナムチノミコト)
少彦名命(スクナヒコナノミコト)

静岡市葵区平山1769

本殿とご神木の杉の木、

夫婦杉に見えますが根元で繋がっています。

ご神木の裏から竜爪山 頂上へと続く登山道

ここ穂積神社からの登山口は鉄パプの階段が続きハードです。

少し登った所に広い空間がある。

基礎の感じから社殿跡か奥の院なのかと調べてみました。

ここには昭和63年に現在の社殿が建設されて前に社殿があったそうです。

戦前までは玉除け祈願として多くの人で賑わいを見せた。

現在よりも広く縦に長い作り

本殿部分には小祠と脇に石碑が残るのみ。

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