駒形神社・静岡県御前崎市御前崎




駒形神社・静岡県御前崎市御前崎

静岡県御前崎市、御前崎の岬の先端に鎮座する「駒形神社」

白羽神社の元宮(旧鎮座地)である同社は、531年に創建されたと伝わる歴史ある神社で、

御祭神は「天津日高彦穂々出見命・豊玉毘売命・玉依毘売命」です。

航海安全・大漁満足など漁業の守り神として信仰が厚く、

本殿は御前崎市の文化財に認定されています。

鳥居の前に2〜3台程度の駐車スペース

隣の弓道場と兼用となっていいます。

手水舎・小早船資料館

小早船資料館

往古沖で遭難した九十頭の馬の内一頭が岸にたどりついた地とされる。

残りの馬は沖の御前岩(駒形岩)と化したと云う。

白羽神社の元宮とされる。

駒形神社本殿

市指定有形文化財
一間社入母屋流造葺
駒形神社の由諸は、明らかではありませんが、聖武天皇時代(701~756)と伝えられています。
また、その社名から律令期(奈良~平安時代)にこの地域一帯にあった白羽官牧と関係の深い神社のひとつと考えられます。
本殿は様式的には江戸時代中期から後期前半あたりの時代的傾向が顕著であり、本殿の建立年代はそのあたりと推察されます。
本殿の構造の一間社というのは、実寸法ではなく、構造様式の表示方法であり、流造というのは、前流れの屋根が曲線状に長くのびて向拝となったものです。
母屋(本殿)の柱は円柱で、二手先出組(ふたてさきでぐ゛み)で丸桁(まるけた)をしっかり支えています。頭貫(かしらぬき)の中備(なかぞなえ)は蟇股(かえるまた)となっており、正面は鳳凰・左右は兎と馬、裏は鶴となっています。屋根は柿葺(こけらぶき)で材は檜(ひのき)です。

御前崎市指定有形文化財(絵画)

千羽の鶴

平成六年一月三十一日

明治十三年九月一日に奉納され、駒形神社拝殿内に掲げられている絵画で、縦1.25メートル・横3.25メートルの大きさである。

駒形神社

駒形神社

「延喜式神名帳」
服織田神社 遠江国 榛原郡鎮座
「住所 」
静岡県御前崎市御前崎937
「御祭神」
天津日高日子穗穗手見命・豊玉姫命・玉依姫命
「例祭」
9月14日 例祭
「由緒」
安閑天皇元年(531)鎮座
元亀2年(1571)武田軍の兵火により社殿を焼失
明治元年(駒形神社)と改称
江戸時代は(駒形大明神)(駒形明神)と称していた

拝殿

駒形神社

駒形神社は静岡県御前崎市御前崎に鎮座している神社です。駒形神社の創建は安閑天皇元年(531)に勧請されたのが始まりとされます。伝承によると太平洋沖で遭難した90頭の馬の内1頭がこの地までたどり着き、残りの89頭は岩になってしまったと伝えられています。白羽神社の由緒によると承和4年(838)に当地から遷座したのが白羽神社とし、駒形神社を元宮としています。
当地は奈良時代から平安時代にかけて白羽官牧が設けられ、社号に「駒」の字が掲げられている事から官牧と関係が深い神社だった事が窺えます。江戸時代に入ると幕府から庇護され朱印状が発布されています。古くから神仏習合し「駒形大明神」や「駒形明神」などと呼ばれてきましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が廃され、現在の社号である「駒形神社」に改めています。

現在の駒形神社本殿は元亀2年(1571)の兵火で焼失後、江戸時代初期に再建されたもので一間社、入母屋造、こけら葺き、江戸時代初期(1630~50年頃)の神社本殿建築の遺構として貴重なことから昭和44年(1969)に御前崎市指定文化財に指定されています。又、明治13年(1880)に奉納された絵画「千羽の鶴(2.5m×3.2m)」が貴重な事から平成6年(1994)に御前崎指定文化財に指定されています。祭神は天津日高日子穂々手見命・豊玉毘賣命・玉依毘賣命。特に海上安全・航海安全・大漁に御利益があるとして漁業や海上運搬業者などから信仰されています。

拝殿内

古くより漁師の信仰が厚く、

個人の他、船会社からの絵馬の奉納も多数。

千羽の鶴

御前崎指定文化財(絵画)・明治十三年九月一日に奉納

本殿

鵜戸神社

伊勢神宮の御神木を再利用した遥拝所

御前神社

駒形神社の隣には御前神社、

その隣には摂末社であろうか、もう一社鎮座する。

御朱印

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