第122代 明治天皇(伏見桃山陵)・京都府京都市伏見区桃山町古城山




第122代 明治天皇(伏見桃山陵)・京都府京都市伏見区桃山町古城山

伏見桃山陵 – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/伏見桃山陵

近代開化期の大帝、明治天皇の御陵。

この御陵は伏見城の跡地(ちょうど本丸あたり)にあります。

城跡を潰して作ったのは少しもったいない気がしますが、

伏見城自体が桓武天皇陵を潰して築城されたものです。

陵への正式な参拝道は非常に長い階段があります。

ランナーたちの憩いの場になっています。

復古式の陵墓となっています

とにかくその規模に権威の大きさを感じます。

第122代 明治天皇(伏見桃山陵)

代数
第122代
天皇名
明治天皇(めいじてんのう)
御父
孝明天皇
御母
中山慶子
御陵名
伏見桃山陵(ふしみのももやまのみささぎ)
陵形
上円下方
所在地
京都府京都市伏見区桃山町古城山

第122代 明治天皇

御名
睦仁親王(ムツヒト)
孝明天皇と典侍中山慶子の子。
14歳で立太子を経ずに践祚、天皇に即位した。
即位当時から討幕派と佐幕派の争いが続いており、
慶応3年に大政奉還、王政復古度の大号令を経て、元号を明治とした。
しかし、未だに幕府の力は残っていたため、薩長閥が中心となり、
鳥羽伏見の戦い、戊辰戦争で幕府を滅ぼし、名実ともに明治新政府を樹立した。
治世中は大日本帝国憲法の発布、廃藩置県、版籍奉還、
議会の開始等近代化を進める一方、富国強兵を目標とし、日清戦争、日露戦争に勝利し、
世界の大国の一国に登りつめた。
明治天皇自体は憲法により日本の君主と規定されたことにより、
立憲君主として公務を行い、日本全国に行幸ている。
また、自ら進んで髷をやめ、西洋風の髪型にし、宮中の意識を変えさせた。
私生活では、酒を非常を好んでおり、特に日本酒を好み夜は宴会を開き楽まれ、
as晩年は健康のためにワインを飲んでいたという。
在位45年、61歳で崩御。

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