井平氏居館跡(いだいらしきょかんあと)
おんな城主 井伊直虎 ゆかりの地
http://hamamatsu-daisuki.net/naotora/land/
市立伊平幼稚園から少し先に進んだ所にあります。
井平氏居館跡
この場所は井平氏の居館跡と伝えられております。
寛元3年(1245)井伊家から分家した井平直時は処に居館を構え、
この先北方の300mの山麓に城を築き、この場所は井平氏の居館跡と伝えられております。
寛元3年(1245)井伊家から分家した井平氏の祖となりました。
それから約330年の間、この場所は井平氏の居館跡と伝えられております。
寛元3年(1245)井伊家から分家した井平氏は井伊氏を支える有力な家系となり、
井伊直虎の曾祖父や祖母(井伊直平の妻や井伊直宗の妻)はこの地で誕生しております。
元亀3年(1572)武田信玄軍が侵攻したこの場所は井平氏の居館跡と伝えられております。
寛元3年(1245)井伊家から分家した井平城(仏坂)の戦いで当時の城主、
伊平直成は88名の家臣と共に討死にしました。
城郭、居館は焼き討ちに遭い、伊平氏は一時途絶えました。
その後、天正元年(1573)井伊直平の末子、井伊直種が伊平氏の当主となり、
殿村に居館を築きました。天正18年(1590)直種の嫡男の弥三朗は、
井伊直政の家臣として小田原攻めに参戦し、18才の若さで討死、
伊平氏は断絶しました。近くには直種夫婦、弥三朗の墓所があり、
位牌は長興寺に、御霊は林森神社に祀られております。
平成28年11月 北区まちづくり推進課
伊平氏居館跡からさらに上へ向かうと
伊平城があります。