春埜山大光寺(春埜杉)・静岡県浜松市天竜区春野町花島
静岡県浜松市天竜区春野町花島、「春埜山(883m)」の山頂近くに鎮座する
「春埜山大光寺(はるのさんだいこうじ)」です。
奈良時代の養老二年(718年)、行基により創建された修験や狼信仰の色濃く残る寺院です。
大鳥居
大光寺の入り口には、寺院ながら大鳥居がお出迎え。
春埜山の額の掛かる立派な鳥居です。
曹洞宗の寺院 大光寺は、余りにも人里離れていたため明治の宗教政策の網を掻い潜り、
魅力ある神仏混合の姿を今に残しています。
鳥居の先には駐車スペースがあります。
大光寺まで車で来ることも出来ますが、ここまでは道幅も狭く難路が続きます。
春埜山大光寺「太白坊大権現」出現霊場とあります。
本地垂迹思想では、日本古来の神は仏(菩薩)が人々を救うために「権」(かり)に
神となってこの世に現れた(垂迹)とし、その「権」に現れた神は権現と呼ばれます。
「権現」とは、本来は神社的に祀られる神様を権現として寺院にお祀りしていることです。
また、「坊」とはだいたい天狗のことを指します。
遠州は全国でも類を見ないほど天狗の話が沢山残っている地域です。
修験の盛んだった遠州の各霊山では「遠州の七天狗」と呼ばれる
名高い天狗達が祀られています。
「遠州七天狗」
秋葉山秋葉寺(三尺坊)・春埜山大光寺(太白坊)・光明山光明寺(笠鋒坊)・大日山金剛院(繁盛坊)・小笠山大乗院(三広坊)・奥山方広寺(半僧坊)・雲林寺(思案坊)
春埜山は俗に春葉山とも呼ばれ、秋葉山とは対になった霊山です。
春埜山は養老2年(718年)の春に行基により開創、
秋葉山は同年秋にに同じく行基により開かれたために名付けられたといいます。
春埜山
由緒
開創は奈良時代の養老二年(718年)、行基が周北の山稜を巡錫したとき、この山の霊気にふれ、杉の大木をもって大梵天・帝釈天・閻魔大王の三体を刻み込め小堂を構えて安置したのがはじまりとされています。 行基よって秋葉山に霊場がひらかれたのと同じ年です。 奈良・平安・鎌倉時代の春埜山がどのような寺運を重ねたのか、史料が残されていないため判らないが、室町時代の頃には修験の吉祥院の別院になっていたようです。 江戸時代初期の慶長年間(1598〜1614)に春野町若身の瑞雲院が吉祥院の承諾を得て堂宇の修復を行い、大光寺という寺号を付けて、瑞雲院の末寺としました。本寺瑞雲院が曹洞宗であるため、この時から大光寺も真言宗から曹洞宗としての寺歴を重ねることになります。 こうして江戸時代に瑞雲院の末寺となった大光寺ですが、余りに避遠の寺であったため経営を維持することが出来なくなり、再び吉祥院の別当寺(神仏習合に基づいて置かれる神宮寺)に戻されてしまいます。 江戸時代中期の寛文年間(1661〜1672)には吉祥院が廃されてしまったため、再び瑞雲院の末寺となり今日に至っています。 「天竜川と秋葉街道」より
「春埜山太白坊大権現」の旗が立つ参道を進み境内へ、
右下には圧倒的な存在感の巨木が見えます。
春埜杉(はるのすぎ)
静岡県指定天然記念物(1952年4月1日指定)行基菩薩が、春埜山大光寺の開山の際に植えられたものと伝えられています。
権の天然記念物に推定されています。樹種 スギ
推定樹齢 1300年
樹高 44m
目通り幹囲 14m
技張り 31m
所在地の地名 静岡県浜松市天竜区春野町花島
山門下に御神木の「春埜杉」があります。
その全体像は大き過ぎて写真に収まりきりません。
その昔、この山門の下に参道・古道が続いていたため、こちらが正式な入り口となります。
現在は参道の石段が老朽化しており、保護の観点から立ち入りが禁止されていますが、
この日は祭日のため、在住していたご住職に許可を頂き、立ち入ることが出来ました。
今は通る人もいない苔生した階段、大河内からの参道です。
山門の左下に巨大な春埜杉がたっています。
「遠江古跡図絵」では春埜杉のことを鳥居杉と記しています。
もしかしたら対になる杉が右にあったのかもしれません。
御神木の前には祭壇と石碑があり、その脇から春埜杉前まで行くことが出来ます。
度重なる大光寺の火災でも焼けず
おそらく幾度も雷が落ちたのでしょうが、今も樹勢は盛んです。
常に在住している寺院ではありませんが
祭日であればこちらで「お札・お守り・御朱印等が」が頂けます。
山犬と太白坊のお札
山犬のお札は水窪の「山住神社」の物が有名ですが、
春埜山の山犬はことのほか「狐つき」に御利益があるといいます。
今でも北遠における民間信仰としてこの山犬のお札をうけて、
家の軒下にはって魔除けとしている家も少なくありません。
春埜山の守護神とされる太白坊は、秋葉山の三尺坊と同様に修験者であり、
またくちばしをもった天狗とされ、不動明王の背に羽が生えたような立姿に
背後には火焔を背負っています。
太白坊が天を飛翔するとき、眷属(けんぞく)である狼(山犬)に乗って東奔西走し、
人々の願いを助けるという信仰がありました。
春埜山大光寺(はるのさんだいこうじ)
本尊
太梵尊天 帝釈尊天 閻魔尊天 守護神 太白坊大権現
御利益
当病平癒 家内安全 商業繁栄 作業繁栄 交通安全 心願成就
祭礼
4/9・10
名物
あまご甘露煮 春野茶
所在地
静岡県周智郡春野町花島22-1
アクセス
大井川鉄道「家山」駅から東海自然歩道で徒歩約6時間
浜松方面からタクシーで約2時間
春埜山大光寺
本尊 太梵尊天・帝釈尊天・閻魔尊天
守護神 太白坊大権現
地元の人たちから「お犬様」と呼び親しまれている大光寺は、曹洞宗 神仏混交の修験の山として知られています。 春埜山は秋葉山と対になり、奥の院である山住神社の里宮であったという説もあります。 大光寺の本堂前には、狼の狛犬が控えていて、ここが修験道の狼信仰の山であったことがうかがえます。 守護神の太白坊は春埜山に住む天狗であると言われ、本尊である三尊天を守護するとされています。 また、その眷属である狼を派遣し、信者の祈願成就を助けるとのことです。 大光寺の開山は、養老2年行基菩薩がこの山頂に庵を開いたことが始まりとされています。 境内には行基菩薩お手植えと伝えられる、樹齢1300年の春野杉があり、県の天然記念物に指定されています。 寛文年間には一時無人となったこともありましたが、江戸時代には復興し、明治の神仏分離令のときにも神仏習合を通し今日に至っています。
本堂の前には一対の山犬(狼)の狛犬が控えています。
近づいて見ると春埜山の山犬は痩せてあばら骨が浮きでていて少し怖い表情をしています。
同じく山犬信仰の聖地である山住神社を奥の院、春埜山は里宮であったという説もあります。
台座の銘文には大正九年、
駿河の信者達によって寄進されたとの銘が読めます。
狼信仰
現在ではあまり知られていませんが、狼はかつて信仰の対象でした。
多くの場合、山の神のお使いとして田畑を荒らす害獣を駆逐する役回りです。
また、狼自身が大口真神として神格を持つ場合もあり、害獣を退けることから、悪しきものを噛み砕く神、魔伏せの神として崇められ、山の神が火伏せや多産、豊穣の神であることから狼もまた火防や安産、五穀の神として信仰をあつめることがありました。
大光寺は明治時代の廃仏毀釈を免れ、神仏混淆の姿をとどめています。
社殿の造りなども本当に魅力的です。
御神殿の階段下には「福田講中」と書かれた灯篭があります。
灯篭等の銘文を見ると大正や昭和と比較的新しく、
清水や静岡など海岸沿いの寄進が多いことに気づきます。
これは幕末に流行したコレラを鎮めるのに御利益があるということで
当時一躍人気なったようで、意外にも海岸沿いに檀家が多いそうです。
大光寺は文政二年(1819)に不慮の災禍により焼失、
その後25年後の天保十五年(1844)に再建された堂宇も
慶応元年(1869)に焼失してしまいます。
現在の建物はその後に再建されたもになります。
大光寺がある「春野町(はるのちょう)」の町名はこの山に由来しています。
昭和の合併の際、「犬居町・熊切村・気多村」の3村から合併話しが進み、
先ず昭和31年(1956)犬居町と熊切村が合併し春野町に。
翌年、春野町と気多村が合併し、改めて春野町となりました。
町名には全国的に有名な「秋葉」ではなく「春埜(春野)」が選ばれました。
大光寺から先、東海自然歩道を進んだ先には「春埜山奥之院」があります。
奥之院では、庚申信仰の神「青面金剛童子」をお祀りします。
春埜山山頂付近に祠がありました。
後ろには樹齢200年の春埜山イチイガシが立ちます。