伊勢国一宮 椿大神社(つばきおおかみやしろ)猿田彦大本宮・三重県鈴鹿市山本町




伊勢国一宮 椿大神社(つばきおおかみやしろ)猿田彦大本宮・三重県鈴鹿市山本町

椿大神社

伊勢国にある一宮2社の一つ、三重県鈴鹿市に鎮座する

椿大神社(つばきおおかみやしろ)へ参拝しました。

垂仁天皇27年八月創建、神社の背後に聳える高山入道ヶ岳(906m)を

天然の社として、伊勢の地主神「猿田彦大神」を主神とする。

猿田彦大本宮とも呼ばれ、猿田彦大神を祀る神社の総本社とされる。

相殿に皇孫 瓊々杵尊栲幡千々姫命を、配祀に天之鈿女命木花咲耶姫命を祀っています。

創建の由来

伊勢国鈴鹿山系の中央麓に鎮座する椿大神社は、往古神代、高山入道ヶ嶽、短山椿ヶ嶽を天然の社として、高山生活を営まれた国つ神「猿田彦大神」を主神とし、相殿に皇孫「瓊々杵尊」、「栲幡千々姫命」を、配祀に「天之鈿女命」、「木花咲耶姫命」を祀っています。

猿田彦大神は、天孫 瓊々杵尊降臨の際、天の八衢に「道別の大神」として出迎え、高千穂の峯に御先導申し上げます。そのことより、肇国の礎を成した大神として、人皇第十一代垂仁天皇の二十七年秋(西暦紀元前三年)、倭姫命の御神託により、この地に「道別大神の社」として社殿が奉斎された日本最古の神社です。

仁徳天皇の御代、御霊夢により「椿」の字をもって社名とされ、現在に及んでいます。
また、猿田彦大神を祀る全国二千余社の本宮として、「地祇猿田彦大本宮」と尊称されています。

一の鳥居

庚龍神社

庚龍神社(かのえりゅうじんじゃ)

御祭神 金龍龍神・白龍龍神・黒龍龍神

御由緒この龍神社は、樹齢四百年と伝えられる樅(もみ)の木に龍神が宿り神域全般を守り給ったとの伝承がある。昭和五十五年(庚申)五月、名古屋第八支部・黒金椿会元支部長、宮崎清三郎翁より御社殿が奉献鎮座され、其の年の干支に因んで庚龍神と命名されました

獅子堂

「獅子堂」の名前は、聖武天皇の勅願により奉納された獅子頭が由来です。
3年ごとに獅子神御祈祷神事が、前庭にて奉納されます。通常は、交通安全祈祷、車輌清め祓いを行っています。

手水舎

伊勢国一の宮 猿田彦大本宮

椿大神社

主祭神 猿田彦大神

相殿神 皇孫 瓊々杵尊・御母 栲幡千千比売尊

前 座 行満大明神

伊勢平野を見おろす鈴鹿山系の中央部に位置する高山入道ヶ嶽(906メートル。奥宮有)・短山椿ヶ嶽(450メートル)の麓に鎮座し、鈴鹿側支流の御幣川が形成する扇状地の根元に鎮座し、鬱蒼たる杉木立のなかに鎮座している。

神代より高山入道ヶ嶽・短山椿ヶ嶽山中で営まれていた猿田彦祭祀であったが、垂仁天皇の皇女である倭姫命の神託によって猿田彦神陵前方の「御船磐座(みふねのいわくら)」に伊勢開拓神であるサルダヒコ神を主神としてニニギ尊・タクハタチチヒメ命を相殿に祀った社殿を造営したことにはじまるという。
サルダヒコ神の神裔であり神世から祭祀してきた山本神主家は当社を拠点に伊勢地方を掌握していたが、垂仁天皇の代(垂仁天皇27年)に伊勢の皇大神宮鎮座にあたって、奉仕したのがサルダヒコ神の末裔とされる大田命(伊勢の猿田彦神社)であり、以来伊勢神宮と密接な関係にあった。
当社創建以来、山本神主家は代々「猿田彦命」を襲名していたが、崇神天皇のころに神名使用を禁じられたために「行満」(修験神道)と称し山本家の祖先神となったという。(行満神主の頃に獅子舞が創始され、当社の獅子舞は日本最古とされている。)
仁徳天皇の御霊夢によって「椿」に名を社名とし、光孝天皇仁和年間に「伊勢一の宮」、そして醍醐天皇期に「延喜式内小社」に列格。中世期は一の宮として発展し、また仏教の影響も受け、修験もさかんとなる。(サルダヒコ神の末裔であり、山本氏の祖でもある行満大明神は修験の祖として役行者を導いたとされる。)
その後も神威を発揚していたが戦国期の天正11年(1583)に羽柴秀吉による織田(北畠信雄)領であった伊勢亀山侵攻により社殿古記録焼失。天正14年に復興。
明治4年に郷社。昭和3年に県社列格。昭和初期に内務省神社局によって全国2000社のサルダヒコ神を祀る総本宮であることが再確認され、「地祇猿田彦大本宮」と尊称。「国幣大社」列格の手続きが開始され国幣大社の内示を受けるが大東亜戦争の為に列格は中断。  昭和10年3月に警視庁は当社分霊を奉斎して国民守護・導きの祖神とし、現在の警視庁も交通安全の神として引き継いでいる。

二の鳥居

境内案内

御舟石坐御由緒(みふねいはくらごゆいしょ)

この御神跡を御舟石坐と申し伝え 中央に三個の石を天降石(あまくだりいし)と古来より称す 神座を之れに依って明らかにす 中央奥に主神道祖猿田彦大神 左は皇孫瓊々杵尊 右は栲幡千々姫命 往古国津神磯津の浜より遡り給いて御舟をここへながれ給い 高山短山のいおりに安住を給うと申し伝う 日本国土の神社の淵源を物語る貴重な御神跡であります

謡曲うづめ(室町時代作)

宮路久しき神垣や神垣や畫せぬ春ぞ長閑けきそもそも是は勢州一の宮椿大明神に仕え申す神職にて候(中略)有りし昔の岩戸の舞をふみ轟かし給いにし鈿女御前のあらたかに手向を捧ぐるばかりなり よし誰とても同じ心本社h猿田彦の大神 天の八衢よりさきはらいし皇孫尊を中津国にむかえ給うも神代の御事(中略)往昔あれなる椿が嶽に影向ならせ給いし時御船をここにつながれしは春立つ今日 (略)

三の鳥居

大黒天・恵比寿神

椿岸神社 参道

高山土公神陵

参道の中ほどにたたずむ前方後円墳は、猿田彦大神の御陵です。山本神主家は、大神直系の神主家として、この御陵を神代より守り続けています。

猿田彦神像

四の鳥居

本殿

御本殿は、総檜の神明造りです。猿田彦大神をはじめ、天孫瓊々杵尊、栲幡千々姫命、木花咲耶姫命、天之鈿女命、行満大明神、合祀三十二神が祭られています。参拝者のご祈祷は、拝殿にて厳かに奉仕されます。

境内

社務所

椿岸神社

本殿の右には雨の岩屋戸開きの神話で活躍

天孫降臨に帯同した際、出迎えた猿田彦大神の妻神となった

天之鈿女命を主神として祀る「椿岸神社

手水舎

延喜式内椿岸神社由来

椿大神社別宮 天之鈿女命本宮
主祭神 天之鈿女命
相殿  太玉命
天之児屋根命

当社の主祭神天之鈿女命は天の岩戸開きの神話の中で御活躍された神様として知られ、天孫(天照大神の御孫)瓊々杵尊が日本国土に天降り給う時供奉し、天孫一行を天之八街に出迎えた地祇猿田彦大神(椿大神社の主祭神)と共に日向の高干穂峯に導き、我が国肇国の基を築かれた神様であります。
その後、猿田彦大神と夫婦の契を結ばれ、相共に此の伊勢国、鈴鹿椿ケ嶽高山短山の霊地にお帰りになり、猿田彦大神の妻神、椿岸大明神として鎮祭され、今日に至っております。鎮魂の神、芸道の祖神として其の霊働は脈々と輝き、芸能を始め茶道、華道、書道と凡ゆる技招ぎの向上、また縁結び、夫婦円満の御守導、霊験あらたかで古釆より信仰されております。
当社に伝わる「椿岸神社縁起」によれば、この別宮を猿田彦大神を祀る本社「上椿社」に対し「下椿社」と称し垂仁天皇の御代27年本社御創立と共に秦齋された延喜式内の古社であります。
当社には聖武天皇勅願による日本最古の獅子神御祈祷神事(獅子舞)が伝承され、神面は猿田彦大神、獅子頭は天之鈿女命の化身として、三年に一度各地を巡舞し奈良朝以来1300年の伝統を今に伝えております。この神事は地元氏子神役により神勤奉仕致しております。 (県無形文化財)
室町時代謡曲「鈿女」が当社に伝わり演能されておりましたが中絶、後四百年ぶりに金剛流宗家によって神事能「鈿女」とし復曲され、毎年春の例大祭に演能されます。
秋の例大祭には本社より神輿(猿謙田彦大神)の渡御(神幸祭)があり、鈿女本宮に卸旅を去れ、、翌日には還御(遷幸祭)が行なわれます。 伊勢国一之宮椿大神社
神世相伝 山本神主記

別宮椿岸神社

猿田彦大神の妻神・天之鈿女命を主神として祀る「椿岸神社」。芸道の祖神、鎮魂の神、夫婦円満、縁結びの神として崇敬され、神前挙式も行っています。

鈴松庵

日本の心をこよなく愛した松下幸之助翁が茶道の発展を祈念し、庭園とともに寄進された茶室(小間、広間、立札席の三室)。流派を問わず、一般に広く開放し、安らぎの空間としてご利用いただいております。

行満堂神霊殿

猿田彦大神の神裔であり、役の行者をお導きされた、行満大明神をはじめ、平安期の当神社別当寺、神宮寺6ヵ寺ゆかりの6神をお祀りしています。 また、当神社にご尽力された役員・崇敬者を慰霊顕彰するため御霊をお祀りしています。鈴鹿七福神の一つである、延命長寿の神・寿老神もお祀りしています。

椿立雲龍神社

椿大神社の獅子神楽

入道ヶ岳(906m)山頂

椿大神社 奥宮

標高906.1m、高山入道ヶ嶽の山頂には奥の宮が鎮座します。

一帯には、太古の祭祀跡である磐座が点在しています。

御朱印

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