第28代 宣化天皇(身狹桃花鳥坂上陵)・奈良県橿原市鳥屋町




第28代 宣化天皇(身狹桃花鳥坂上陵)・奈良県橿原市鳥屋町

奈良県橿原市西池尻町

第28代 宣化天皇(せんかてんのう)「日本書紀では諱を檜隈高田皇子」

身狹桃花鳥坂上陵(むさのつきさかのえのみささぎ)

先の安閑天皇が崩御したとき、その子供がなかったために

同母弟の宣化天皇が満69歳にして即位。

筑紫の官家の整備を行い、大伴金村に命じて新羅に攻められている任那に援軍を送った。

即位元年(536年?)に蘇我稲目が大臣となり、

子の蘇我馬子以降続く蘇我氏の全盛の礎が築かれることとなる。

遺跡名は鳥屋ミサンザイ古墳(とりやミサンザイこふん)

墳丘長138メートルの前方後円墳。

実際の被葬者は明らかでないが、

宮内庁により「身狭桃花鳥坂上陵(むさのつきさかのえのみささぎ)」として

第28代宣化天皇・皇后橘仲皇女の合葬陵に治定されている。

第28代の宣化(せんか)天皇(在位:535年~539年)は第26代の継体(けいたい)天皇の第2皇子で、29代の欽明(きんめい)天皇の兄にあたります。周囲に濠をめぐらせた前方後円墳(航空写真では美しい前方後円墳がわかる)の御陵には天皇だけではなく、先立った皇后の橘皇女(たちばなのなかつひめみこ)と孺子(じゅし)と言われる宮中に仕えた童も合葬されたといわれています。

第28代 懿徳天皇

諱  檜隈高田

異称 建小広国押楯命・武小広国押盾天皇

誕生 467年?

崩御 539年3月15日?

在位 536年1月? – 539年3月15日?

宣化天皇元年12月 – 宣化天皇4年2月10日

続柄 (父)継体天皇(母)尾張目子媛(尾張連草香女)

皇室系譜に第28代の天皇(在位536*-539)。6世紀前半に在位。武小広国押盾(たけおひろくにおしたて)天皇ともいう。継体(けいたい)天皇の第2子。母は目子媛(めのこひめ)。兄安閑(あんかん)天皇の後を受けて即位、大和(やまと)の檜隈廬入野宮(ひのくまのいおいりのみや)(奈良県高市(たかいち)郡明日香(あすか)村)に都し、橘仲皇女(たちばなのなかつひめみこ)を皇后とする。大伴金村(おおとものかなむら)、物部麤鹿火(もののべのあらかい)を大連(おおむらじ)、蘇我稲目(そがのいなめ)を大臣(おおおみ)とし、諸国の屯倉(みやけ)の稲を運ばせて、那津(なのつ)(福岡市博多(はかた))に官家(みやけ)を建て、任那(みまな)・百済(くだら)救援のために大伴狭手彦(さてひこ/さでひこ)を遣わしたと伝えられる。次代の欽明(きんめい)天皇との並立も考えられ、朝廷内部の動揺期にあたる。治世4年で没し、大和の身狭桃花鳥坂上(むさのつきさかのうえ)陵(奈良県橿原(かしはら)市鳥屋(とや))に葬る。『日本書紀』には、皇后とその幼児も合葬したとある。

宣化天皇(身狹桃花鳥坂上陵)

代数
第28代
天皇名
宣化天皇(せんかてんのう)
御父
繼體天皇
御母
妃目子媛命
御陵名
身狹桃花鳥坂上陵(むさのつきさかのえのみささぎ)
陵形
前方後円
所在地
奈良県橿原市鳥屋町

畝傍山

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