谷津山古墳(柚木山神古墳)柚木浅間神社・静岡県静岡市葵区柚木
静岡市葵区柚木、静岡市街の中心部、
静岡駅と東静岡駅の間に位置する谷津山(108m)にある谷津山古墳です。
山頂近くには静岡市内で最大(全長110m以上)の前方後円墳、
谷津山1号墳「墳柚木山神古墳(ゆのきやまがみこふん)」があります。
4世紀後半頃の古墳とみられ「廬原国」の首長の墳墓であろうと推測されています。
また現在、谷津山1号墳の後円部には「浅間神社(柚木浅間神社)」が鎮座しています。
柚木浅間神社 鳥居
谷津山1号墳
谷津山1号墳は、静岡市内では最大(全長110m以上)の前方後円墳で、4世紀に造られたと考えられています。谷津山の最高地点標高108mにあり、前方部を清水山方向に向けています。また、谷津山には、この他に2基以上の古墳の存在が推定されています。
柚木浅間神社
谷津山1号墳の後円部にある柚木浅間神社(写真中央)
左右にあるのは、境内社の「白髭社」と「山神社」、
山神社では元は「竜爪権現」を祀っていたといいます。
神社(祠)の前に積み上げられた薄い板状の石は「ヘギ石」と呼ばれ、
古墳の棺の周りに使用されていました。
被葬者を納めた施設は、清水区庵原の三池平古墳と同様の竪穴式石室でした。
谷津山1号墳のほかに、周辺には谷津山2号墳(墳丘長36m/前方後円墳)・
谷津山3号墳(円墳)・谷津山4号墳(円墳)が築かれています。
谷津山古墳(柚木山神古墳)
静岡平野の中央に位置する標高一〇八mの独立丘陵谷津山の山頂に築かれた「谷津山古墳」は、古墳時代前期(四世紀)の前方後円墳です。この古墳は静岡清水の古墳の中でも最も古く、かつ最大(全長約一一〇m、高さ一〇m以上)で後円部の中央に被葬者を埋葬した竪穴式石室がヘギ石を積み重ねてつくられていました。江戸時代の天保年間と明治時代に掘り起こされてしまい、その詳細は不明ですが、当時の様子を伝える記録から、大きな板石で覆われた長さ三、五mの竪穴式石室の中に、朱を塗った木棺が豊富な副葬品を共に納められていたことが推測できます。銅鏡六面をはじめ、銅鏃、鉄鏃、剣などの武器それに紡錘車巻軸形石製品、砥石、石製鏃、管玉など被葬者の社会的地位の高さを示す副葬品が出土していますが、残念ながらそれら多くは散逸してしまいました。古墳の形態・規模・副葬品の内容それに静岡清水の両平野を見渡すことができる立地条件から、谷津山古墳の被葬者は、「旧事本紀」(平安時代に編纂されたとされる古代の史書)による廬原国(古代の駿河国の前身)の首長の墳墓ということができます。「案内板より」
谷津山自然公園 全体見取り図
谷津山の東西に伸びる尾根上には「谷津山ハイキングコース」が整備されており、
山頂の三等三角点(107.9m)や「柚木浅間神社」がある一帯が谷津山古墳となります。
周辺は古墳の森公園として整備され、東西縦走路のほか、南北からも登山道がのびています
古墳一帯にはスダジイとコジイの古木が茂り、温暖な静岡らしい植生になっています。
谷津山(107.9m)・三等三角点(沓谷村)
山頂より 駿河湾と八幡山 有東山
かつて谷津山は統一された名前がなく、
峰によって清水山、柚木山、正木山、愛宕山と呼ばれていましたが、
明治以降南麓の「柚木谷津村」の谷津の文字をあてて『谷津山』
と名付けられたと言われています。
静岡で初めて電波を受信した鉄塔は、現在も谷津山のシンボルとして残っています。
谷津山ハイキングコース案内板
「谷津山1号墳はどこ?」
谷津山1号墳は静岡市内では最大(全長110m以上)の前方後円墳で、4世紀に造られたと考えられています。1号墳は谷津山の最高所標高108mにあり、前方部を清水山方向に向け、被葬者は現在、柚木浅間神社の祠がある場所(後円部)に葬られていました。前方部、後円部ともに3段に造られており、表面(斜面)は、拳大の川原石で覆われていました。なお、谷津山には、この他に2基以上の古墳の存在が推定されています。「案内板より」