大恩寺 御津山(94m)・愛知県豊川市御津町広石御津山




大恩寺 御津山(94m)・愛知県豊川市御津町広石御津山

愛知県豊川市御津町広石御津山、浄土宗の寺院「大恩寺(だいおんじ)」

正式名称は「御津山浄土真院大恩寺」です

寺伝によれば、敏達天皇の時代に百済の僧恵灌(えかん)により

当初は新宮山に創建されました。

その後、御津山に移され、

後に 徳川家康 の父広忠 により松平家、徳川家に大恩のある寺ということで、

家康の祖母の法名をとり現在の名に改められました。

境内には 徳川宝筺院塔四基 や 牧野一族墓石 があり、

また、牛久保城 主 牧野家 の菩提所でもあります。

寺領の大恩寺山(御津山)は150本の桜が植えられ、

山頂にある高さ13メートルのパノラマ展望台からは、

三河湾の素晴らしい景色が一望できます。

総門

大恩寺 (だいおんじ)

所在地  〒441-0321  愛知県豊川市御津町広石御津山5

電話番号 0533-75-2325

アクセス

JR東海道本線「愛知御津駅」下車 徒歩約15分
東名高速「音羽蒲郡IC」より車で約15分

大恩寺

大恩寺(だいおんじ)は、愛知県豊川市御津町御津山山麓にある浄土宗の寺院。山号は御津山。院号は浄土真院。本尊は阿弥陀如来。

歴史

創建年代については不明であるが、百済の僧慧灌によって新宮山(豊川市御津町広石新宮山)に創建された浄土院に始まるという。

室町時代にはいり1477年(文明9年)松平氏宗家第四代松平親忠の開基、増上寺開山聖聡の弟子で弘経寺(茨城県常総市豊岡町)2世だった了暁(りょうぎょう)慶善の開山により新宮山に中興されて浄土宗に改められた。また、寺号は新宮山大運寺と改められた。

その後松平親忠により現在地の御津山に移され、1493年(明応2年)には紫衣の着用が許された。

開山の了暁からは、松平親忠の第四子存牛(浄土宗総本山知恩院25世)や、徳川将軍家菩提寺大樹寺(愛知県岡崎市鴨田町)を開山した愚底(知恩院23世、弘経寺での了暁の門弟)、珠琳(知恩院22世)、訓公(知恩院24世)などが学んだ。

松平氏や、牛久保城(豊川市牛久保町)城主三河牧野氏の帰依を得、松平氏に大恩があったとし、徳川家康の父松平広忠により、大恩寺と改称された。

江戸時代には江戸幕府から朱印状が与えられ、寺周辺の宝飯郡広石村103石1斗4升4合が寺領であった。

寛文12年(1672年)、牧野忠成の娘を正室とした第四代大垣藩主戸田氏信により山門の寄進を受ける。 Wikipedia

山門

山門

寛文12年(1672)大垣城主戸田采女正が建立。
戸田氏の室は牧野氏の娘ですので、牧野氏菩提寺たる当寺に寄進したものとみられています。かなり規模も大きく、地方の山門建築として代表的な遺構です。県指定文化財です。

大恩寺

大恩寺は、もと三論宗浄光院といい、高麗(一説に百済)の僧恵灌が新宮山に開基し、のちに下総国(現在に千葉県)飯沼の弘径寺第二世了暁上人が新宮山大運寺として再興したとされます。
了暁上人の後を継いだ肇誉上人は、御津山の現在地に移りましたが、この時徳川松平家の四代親忠が中興に尽くしました。また松平広忠(家康の父)は寺の伽藍藍を修理したほか、寺の名前を浄土真院
御津山大恩寺と改めました。浄土真院は松平清康(家康の祖父)の内室の法号です。境内には、清康夫妻、広忠、亀姫の四つの墓があります。
また、牛久保の豪族牧野氏は、大恩寺の大檀那として念仏堂を寄進したほか、一族の墓を祀り、越後長岡城主となって以降も、明治に至るまで大恩寺を大切にしました。
「国指定重要文化財」
絹本著色王宮曼荼羅図(大正七年四月八日指定)
親忠が寄進した一軸で、我が国に伝わる高麗仏画の名品といわれ、皇慶元年(1332)の年号と作者名がわかります。
「県指定文化財」
建造物 大恩寺山門(昭和二十九年二月五日指定)
牛久保牧野家の娘の嫁ぎ先である大垣城主戸田釆女正が寛文十二年(1672)に寄進しました。禅宗様式ですが、垂木は平行になっており重厚な造りです。
絵画  蓮の図(昭和三十三年六月二十一日指定)
阿弥陀廿五菩薩来迎図(昭和三十三年六月二十一日指定)
彫刻  木造阿弥陀如来坐像昭和(三十三年三月二十九日指定)
「市指定文化財」
古文書  大恩寺文書(平成七年一月二十四日指定)
豊川市教育委員会

念仏堂跡

大恩寺念仏堂

歴史
天文二十二年(一五五三)牧野保成造立
元禄十年  (一六九七)移築大改修
大正十年  (一九二一)国宝指定
昭和二十五年(一九五〇)国重文指定
昭和二十八年(一九五三)解体復原
平成六年  (一九九四)焼失
解説
浄土宗御津山大恩寺は松平親忠の中興で徳川家、牛久保牧野家、為当竹本家、大塚岩瀬家等の崇敬が続いた。
念仏堂の構造は桁行五間、梁間五間、一重入母屋造、檜皮葺で一間の逗子があった。
特に内陣の厨子、須弥壇の形式彫刻等に見るべきものが多く、天井、長押等の絵画も見事で室町時代の秀作と言われた。
平成八年八月 御津山 大恩寺

手水舎・鐘楼

葵の紋が入った手水舎

寺務所

位牌堂

本堂

大恩寺

浄土宗の寺院。敏達天皇の時代に百済の僧・恵灌によって創建されました。当初は新宮山にあって「浄光院」と称していましたが、室町時代には廃絶に近い状態となり、僧・了暁が新宮山大運寺として浄土宗の寺に。了暁の弟子・勢誉が徳川氏の菩提寺である岡崎大樹寺を開いたことから、松平氏の保護を受け、松平親忠が現在の地へと移しました。牛久保城主・牧野氏の菩提寺としても栄えました。大恩寺山(御津山)には150本もの桜が植えられ、山頂にあるパノラマ展望台からは三河湾の眺望が楽しめます。山門は県指定の文化財です。

御津山園地

御津山は家康公が大恩寺に寺領として全山を与えたことから、「大恩寺山」とも呼ばれています。その山頂には展望台があり、三河湾をはじめとした周りの景観を一望できます。
標高94mの小高い山で、宝飯エリアでも有数の桜の名所。園内には、150本の桜が植えられ、桜の見頃に合わせて催しが行なわれます。

多聞閣毘沙門天

昭和5年(1930年)7月13日、御津山遊園地が開かれ、

その中心として 大恩寺 にあった毘沙門天を祀ったのが始まり。

それ以前ここには大恩寺の末寺で、

千手観音を本尊とする灯明山竜光寺があったといいます。

御津山・四等三角点(94.79m)(大恩寺山)

忠魂碑

山頂は太平洋戦争時、砲台が設置されていました。

昭和18年(1943年)11月、豊川海軍工廠の防備のために、3基の高角砲台や観測所、

探照灯などが建設されたといいます。

昭和20年(1945年)8月7日の豊川海軍工廠の空襲では多くの犠牲者を出し、

終戦後にこの場所に忠魂碑が建てられました。

展望台

立派な山頂展望台があり三角形の上まで登ることが出来ます。

園内は桜の名所としても知られています。

展望台より蒲郡竹島方面

湖西連峰 豊橋方面

  • このエントリーをはてなブックマークに追加