中部天竜駅〜東栄駅・静岡県境歩き
中部天竜駅から東栄駅まで、
静岡県・愛知県間の県境を歩いてきました。
ここは佐久間ダムからの取付きが危険なため躊躇していた区間です。
ダム工事時に作られた工事用連絡通路や飛龍橋も見てみたかったので、
とりあえず別ルートも予定し、取付きまで行ってみる事にしました。
取付きからは何とか登る事が出来ましたが、感想はやはり相当危険
軽はずみに来ては行けない場所だと思います。
県境繋ぎをする方は別ルート(飛龍橋)からをお薦めします。
難易度 ★★★★ オススメ ★ | 登山口(ナビ検索) 東栄駅 |
中部天竜駅(06:54)→JR東栄駅(14:27) 所要時間 7時間31分 累積標高 1713m / 1598m 距離 18.5m | |
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中部天竜駅
早朝の「中部天竜駅」
静岡県内にあるJR飯田線の駅では唯一の有人駅
下山後は東栄駅から電車で戻って来る予定です。
駐車スペースがなかったので移動。
国道473号「県道1号(飯田富山佐久間線)」
中部大橋近くの駐車場からスタートしました。
菖蒲根山(756.7m)
天竜川と大千瀬川の合流点
手前は静岡県立浜松湖北高等学校佐久間分校
この日歩く尾根
原田橋(橋の手前を右へ)
県境と共に歩いてみたかった林道へ
林道は工事中で立入規制がされていますが、 自己責任で通らせて頂きました。
林道へ入ってすぐに
大山祇神をお祀りするお社があります。
この林道は佐久間ダム建設時の工事用連絡通路として作られました。
1953年(昭和28年)建設開始時に先ず作られたのが、この左岸工事用連絡通路。
その先に続く工事用トンネルも当時の物です。
飛龍橋
天竜川に架けられた幻の橋「飛龍橋」
左岸の後、右岸にも工事用連絡通路が作られました。
その双方を結ぶ「飛龍橋」は当初は簡易なものでしたが、
大型重機にも耐えられるこの橋が掛けられた事で工事は本格化して行きます。
上に見えるのは県道1号(飯田富山佐久間線)、
この道路は当初「セメント運搬道路」として作られたのがものがベースとなっています。
建設記録より
掛けられたばかりの「飛龍橋」を渡る車両。
飛龍橋より
飛龍橋の先には取付きがあり、ここからなら比較的楽に登れそうな感じです。
ダメならここから登る予定でした。
右岸へ、佐久間ダムを足元から見る事が出来る凄い場所です。
ダム建設当初は観光バスがここまで来ていたそうです。
建設前のV字渓谷
「建設記録」
戦後土木技術の原点とも言われる大規模重力式コンクリートダムです。
堤高は竣工当時、日本一の高さを誇る155.5m(現在は9位)
日本初の本格的な大型重機による施工によって
10年かかっても不可能といわれた工事をわずか3年4ヶ月で完成。
佐久間ダムを完成させた技術はその後の大型ダムの建設に受け継がれました。
佐久間ダム
佐久間ダム(さくまダム)は、静岡県浜松市天竜区佐久間町と愛知県北設楽郡豊根村にまたがる一級河川・天竜川本流中流部に建設されたダム。
電源開発 (J-POWER) が管理する高さ155.5メートルの重力式コンクリートダム。日本第9位の高さと第8位の総貯水容量を有する日本屈指の巨大ダムであり、戦後日本の土木技術史の原点となった日本のダムの歴史に刻まれる事業である。佐久間発電所と新豊根発電所により最大147万5000キロワットを発電する水力発電を主目的とし、副次的に豊川用水の水源にもなっているほか、2004年(平成16年)より洪水調節目的を付加して多目的ダムとするダム再開発事業が国土交通省によって進められている。ダムによって形成された人造湖は佐久間湖と命名されており、ダム湖百選に選定されている。 Wikipedia
県境取付き
8m〜10m程、落石防護網が一部外れていて、
枯沢という情報もありましたが水があります。
画像だと防護網を伝って行けば簡単に登れそうに見えますが、
スペースが広くそうは行きません。
水のある部分は滑るので左側から、序盤は岩に手・足掛かりがありますが、
その後は足場や頼りない手掛かりを何度も確かめながら登ります。
少し登った所から佐久間ダム
そのまま沢を登ってしまい詰み、
防護網上部まで戻り下流側の尾根から登り直しました。
取付よりは良いものの、ここも手・足掛かりが少なく、
脆く斜度が急なためミスると下までずり落ちてしまう様な所です。
ルートを探し、安全を確保しながら登りました。
ようやく少し落ち着いた所
ここも前回の続き 中央構造線の内帯でもあります。
領家変成帯の花崗岩は風化によりザレザレ、その後の登りも足場が安定しません。
掴んだ岩も抜けてしまったりするので全く信用出来ません。
県境境界杭 880mのピークまでクタクタになりながら登る。
緊張が緩みお腹が空いたので、ここで遅めの朝ご飯。
ここからは歩きやすい尾根ですが、藪が煩わしいです。
冬以外はダニが怖くて歩きたくない感じ。
P500mからは中電の巡視路へ
ここの崩壊ポイントも危険です。
鉄塔より
多分、奥は愛知130「軒山」
神社へお参り、ここから舗装路に変わります。
小田敷集落へ
大千瀬川と豊川用水
緊急時には佐久間ダムから宇連川の支流 亀淵川に導水しているそうです。
菖蒲根山と三遠南信自動車道「大千瀬川橋」
国道473号を渡り階段の先の豊川用水の監視トンネル脇より
序盤は踏み跡がありますが徐々に薄くなります。
秋葉山 石灯籠
普通、集落の辻などに祀られる秋葉灯篭ですが、
こんな山中にあるのが不思議です。
こちらは拡声器、大無間山や大洞山にもありました。
途中林道や細尾根などを経て川上集落へ下山
相川の豊浦橋より、
川上集落と歩いて来た尾根を見上げて。
東栄駅
国道151号を経て東栄駅へ
駅舎は町内で行われる「花祭り」に由来する鬼面をイメージした特徴的な建物。
JR東海と東栄町が共同で1992年(平成4年)に建設されました。
駅舎には、地域文化とコミュニティ活動の拠点として
「ふるさと文化交流館」が併設されており、花祭に関する写真や資料、
地元産品や地元愛好家の作品展示スペースとなっている。
また、2011年(平成23年)には駅舎内にカフェも開業しました。
花祭 (霜月神楽)
花祭 (霜月神楽)
花祭(はなまつり)は、愛知県北設楽郡等に伝承される霜月神楽の総称である。重要無形民俗文化財(北設楽郡のみ)。700年以上にわたって継承されている神事芸能で、清めと湯立てのほか、少年の舞、青年の舞、巨大な鬼面を付けた鬼の舞、等が夜通し行われる。
伊勢流神楽(湯立神楽)の流れを汲むとされるが、仏教の修験道、修正会、浄土思想に由来するとも考えられ詳細は不明である。「花祭」の呼称も灌仏会とは無関係で、浄土への転生願望から生まれたものとされるが詳細は不明である。地元の人々は「花祭」を単に「花(はな)」と呼ぶ。明治以降、神仏分離に伴い、仏教色が排除された集落もある。中設楽、河内、間黒、坂宇場地区である。神道形式の「花祭」を「神道花」(しんとうばな)。従来通りの形式ものを「仏花」(ぶつばな)と呼び現在に至る。「てーほへてほへ」の掛け声、「寒い、煙い、眠い」と呼ばれるのが特徴である。
花祭の花とは、かつては穀物の花ともされたが、近年の研究によれば新しい生命を象徴するものであるとされる。
霜月神楽は、よく五穀豊穣、村の安泰を祈る祭であると言われるが神招き-神懸かり-神わざ-神返しという古い神祭の基本にのっとって行われている。祭は穢れ衰えた魂にかわって、新しい強力な魂を呼び込む鎮魂(タマシヅメ)の祭である。
旧暦の11月は神や自然が衰弱する時期であり、魂振の儀式などを行って魂の再生・更新を行って新年に備えるために神楽が行われた。その際に熊野の再生儀式であった湯の清まりと忌籠の呪法が取り入れられてそれが湯立として残ったとされている。 Wikipediaより
駅で電車待ちしながらランチ
中部天竜駅まで戻り終了しました。