第27代 安閑天皇(古市高屋丘陵)・大阪府羽曳野市古市




第27代 安閑天皇(古市高屋丘陵)・大阪府羽曳野市古市

大阪府羽曳野市古市5丁目

第27代 安閑天皇 陵(あんかんてんのう)

古市高屋丘陵(ふるちのたかやのおかのみささぎ)遺跡名「高屋築山古墳

墳丘長122メートルの前方後円墳です。

古墳は世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」の構成資産とされています。

継体天皇の後を受けて、66歳にして即位したがわずか4年で崩御したとある。

『古事記』では乙卯年(535年)3月13日に崩じたとされる。

安閑天皇陵古墳

安閑天皇陵古墳は東に石川を望む丘の最高所にある、全長122m、後円部の直径78m、高さ13m、前方部の幅100m、高さ12.5mの、周囲に濠を巡らせた前方後円墳です。

戦国時代には岡の一帯に高屋譲が築かれ、この古墳も城の縄張りの一部に利用されたため、墳丘や濠の形が変えられています。内部の埋葬施設は不明ですが、墳丘には葺石が施され、円筒埴輪や形象埴輪が立てられていました。古市古墳群での前方後円墳の築造が終わろうとする、6世紀前半に築造された古墳と考えられています。

江戸時代になって、墳丘の一部が崩れた際に発見されたガラス椀(重要文化財 東京国立博物館所蔵)は、大きさや形のよく似たものが正倉院にも伝わっています。ササン朝ペルシャ(現在のイラン・イラク)で作られたと考えられ、7000km余りの道のりを経てもたらされたものです。

第27代 安閑天皇

別名 和風諡号・古事記 広国押建金日命・日本書紀 広国押武金日天皇

諱・勾大兄皇子(まがりのおおえのみこ)

誕生 466年?〈雄略天皇10年?〉

崩御 536年1月25日?(安閑天皇2年12月17日)

在位 531年3月10日- 536年1月25日

続柄 (父)継体天皇(母)尾張目子媛(尾張連草香女)

513年に立太子され、48歳で皇太子となる。

継体天皇の後を受けて、66歳にして即位したが、わずか4年で崩御した。『古事記』では乙卯年(535年)3月13日に崩じたとされる。

安閑天皇の治世の出来事として『安閑記』に、関東から九州までの屯倉の大量設置と、41箇所の屯倉の名が列挙され、これに伴う犬養部の設置が記されている。なお、『日本書紀』に引く「百済本記」(「百濟本記爲文 其文云 大歳辛亥三月 軍進至于安羅 營乞乇城 是月 高麗弑其王安 又聞 日本天皇及太子皇子 倶崩薨 由此而言 辛亥之歳 當廿五年矣」)によれば、531年頃に天皇と太子・皇子が共に薨去したという所伝があるという。このことから、継体天皇の崩御後、安閑天皇・宣化天皇の朝廷と欽明天皇の朝廷が並立し、二朝間で内乱があったのではないかとする説もある(「辛亥の変」説)。

後世、神仏習合の教説で蔵王権現と同一視されたため、明治時代の神仏分離以降に、従来蔵王権現を祭神としていた神社で安閑天皇を祭神とし直したところが多い。

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