富士山本宮浅間大社 浅間神社総本社 駿河国一宮・世界遺産




富士山本宮浅間大社 浅間神社総本社 駿河国一宮

富士山本宮浅間大社H.P
http://fuji-hongu.or.jp/sengen/

去年、初めての富士登山

それ以来、富士信仰(富士講)の興味が湧きました。

その富士講の総本山とも言える、富士山本宮浅間大社 へ参拝です。

富士山の8合目以上の約385万m2の敷地は

ここ富士山本宮浅間大社の境内になります。

また富士山本宮浅間大社の奥の院は冨士山頂に鎮座します。

実は先月のゴールデンウィーク中に来たのですが、

ちょうど「流鏑馬祭」が行われていて物凄い人、

車も停められなく断念しました。


浅間大社 境内案内図

富士山本宮浅間大社

富士山麓の浅間神社は、富士山の噴火を鎮めるために
富士山を神(浅間神または浅間大神)として祀ったものであり、
富士山本宮浅間大社(以降、文章中の表記は「浅間大社」とする。)
は最も早く成立したものとされる。
浅間大社は、全国に多数ある浅間神社の総本宮とされる。
「富士本宮浅間社記」には、大同元年(806)に山宮浅間神社の地から
現在地に移転されたとある。
浅間大社は富士山溶岩流の末端に位置しており、
境内には、溶岩の間から湧出した地下水が池となった
湧玉池(国特別天然記念物)がある。
浅間大社は、噴火を水によって鎮める考え方から、
湧玉池のほとりに置かれたと考えられている。

登拝が盛んになるにつれて、村山の興法寺とともに
大宮・村山口登拝道の起点となり、周辺に宿坊が成立したと考えられている。
「絹本著色富士曼荼羅図」には、湧玉池で垢離をとり、
富士山に登る道者の姿がある。
近世には、幕府の庇護を受け、徳川家康の寄進により
慶長11年(1606)現在の社殿が造営された。
寛文10年(1670)の「境内図写」には、浅間造りの本殿や楼門等の社殿、
堂社、湧玉池(上池)、鏡池などが見える。
浅間大社は、慶長14年(1609)には山頂部の散銭取得の優先権を得たとされ、
安永8年(1779)には幕府の裁許により八合目以上の支配権が認められた。
八合目以上の土地は、明治時代に国有地化されたが、
昭和49年(1974)の最高裁判決に基づき、
平成16年(2004)浅間大社に譲渡(返還)された。

鏡池 楼門前の池で一名眼鏡池とも云われます。

中央の輪橋は大正4年御即位記念として石造りに改められました。


鉾立石

鉾立石

楼門前の石段に、鉾立石が置かれている。
明治の初めまで行われていた「山宮御神幸」の際に、
神の宿った鉾を立てて休めるために使用された自然石である。

楼門

三間一戸、重層入母屋造で、
屋根は檜皮葺、正面・左右脇に扉がついている。
楼門の左右には随身像が安置されている。
随身像 は慶長19年(1614)2月に建立。
背銘には、左側の像「甲州河内下山住番匠 石川清助作」、
右側の像「大工 山城國上原住櫻井三蔵作」と記されている。

富士山本宮浅間大社

御祭神
主神 木花之佐久夜毘賣命
配祀 天津日高日子番能邇々芸命
大山津見神

御由緒
人皇第七代孝霊天皇の御代、富士山が 噴火し、
人民が難散し国内が荒れ果てた ので、第十一代垂仁天皇の御代に至り、
富士の神霊を山足(山麓)の地に鎮祭した。 これが浅間大社の創祀である。
第十二代 景行天皇の皇子日本武尊が東征の際、浅 間大神の神助を畏み、
山宮の地(現在地の 北方六キロ)に篤く大神を祭られた。
その後、平城天皇の大同元年(八〇六)坂上田村麿が勅命に依り、
神霊を山宮より大 宮(現在地)に遷し奉った。
以来実に一千百 余年、全国一千三百余社に及ぶ浅間神社 の総本宮として、
全国的に篤い崇敬をあ つめている東海最古の名社である。
古来、朝廷の尊崇極めて篤く、延喜の 制では名神大社に列し、
駿河国の一宮と して崇められた。武家時代に入ってから は、
源頼朝をはじめ、北条義時、武田信 玄、同勝頼、等の各武将は、
それぞれ神 領や神宝を献納して篤く崇敬した。
特に徳川家康は天下を平定した、奉賛 のため、
慶長九年(一六〇四)に本殿以 下の諸社殿を奉建し、
更に富士山八合目 以上を社地として寄進した。
本殿は二層の楼閣をなし、浅間造りと 称し重要文化財に指定されている。

富士山信仰
霊峰富士山は、古来浅間大神の鎮まり 坐す神体山として、
全国の登拝者の最も 尊崇するところである。
頂上には奥宮、 久須志神社の二社が鎮坐しているが、
共 に浅間神社の奥宮で、八合目以上はその 聖域にして境内地である。

祭礼神事
例祭 十一月 四日
流鏑祭 五月 五日
御田植祭 七月 七日
開山祭 七月 七日
閉山祭 九月 七日

拝殿・幣殿・透塀

拝殿は桁行5間・梁間3間で、正面が入母屋造、背面が切妻造、
屋根は檜皮葺、正面に1間の向拝が付いている。
三方に縁を巡らせ、背面は幣殿に接続している。
幣殿は本殿と拝殿をつなぐ部分で、桁行3間・梁間3間の両下造、
屋根は檜皮葺、北面には本殿の屋根の端が露出している。
透塀は本殿周辺を囲む1棟と、その外側、本殿横に並ぶ三之宮及び七之宮を含めた
より広い範囲を囲む1棟の、計2棟で、総延長36間に及ぶ。

本殿

本殿は「浅間造(せんげんづくり)」と呼ばれる二層楼閣造りで棟高45尺(13.6m)。
下層は桁行5間・梁間4間の寄棟造、上層は三間社流造で共に桧皮葺。
明治40年5月27日古社寺保存法により特別保護建造物に指定され、
以後国指定重要文化財として特別の保護を受けている。

本殿左・三之宮浅間神社

本殿右・七之宮浅間神社

富士山本宮浅間大社の栞

第七代、孝霊天皇の御代富士山が噴火し
鳴動常なく人民恐れて逃散し年久しく国中が荒れ果てたので
第十一代垂仁天皇は其の三年に浅間大神を山足の地に祭り山霊を鎮められた。
これを当浅間大社の起源とする。
ついで第十二代景行天皇の御代日本武尊が東夷御征伐の時駿河国に於て
賊徒の野火に遇われたが富士浅間大神を祈念して其の災をのがれた給い、
その賊を征服するや山宮の地(大宮の北方約6キロ)に於て
厚く大神を祭られた。
其の後第五十一代平城天皇の大同元年坂上田村麿勅を奉じて
現在の大宮の地に壮大な社殿を営み山宮より遷し鎮め奉った。
爾来一千百余年全国一千三百余に及ぶ浅間神社の総本社として
全国的崇敬をあつめる東海の名社となっている。
古来朝廷の御尊崇極めて厚く延喜の制には名神大社に列し、
駿河国一宮として勅使の奉幣神領の御寄進等にあずかり、
武家時代に入るや源頼朝は神領を寄進し、北条義時・足利尊氏同義持等何れも
社殿を修営し、武田信玄・同勝頼父子は諸種の宝物を献上し社殿を奉建し、
豊臣秀吉も亦神領を寄進した。
慶長九年徳川家康は戦国擾乱の鎮静と将軍宣下の奉賽のため本殿・拝殿・楼門
その他を奉建し更に同十一年には富士山八合目以上を当社へ寄進した。
爾来徳川氏は本社を崇敬すること極めて深く、
家光は社領を献じ家綱・綱吉・家治・家斉・家定・家茂等も
夫々祈祷料・修理料を寄進した。
又室町時代に始まった富士登拝は江戸時代に入って
いよいよ殷盛を極め以来今日に至っているが、
本宮所在の大宮は富士山表口と称せられ関西方面から来る
道者(どうじゃ)の登山口たることは勿論、特に本宮を崇敬する関東、
東北の道者も此の道を選び、又甲斐、信濃より来る道者も少なくなかった。
彼等は社人中特定の道者坊に着いた後本宮に参詣し、
更に境内の湧玉池にて斎戒沐浴して登山するのを習いとした。
明治に及んでは其の四年五月十四日国幣中社に、
同二十九年七月八日官幣大社に列せられた。


天神社


湧玉池と水屋神社


稲荷神社

湧玉池

湧玉池は、富士山に降った雨や雪が地下水となり、
富士宮溶岩流の溶岩層間を流れ、溶岩流末端で湧出して池になったものである。
禊所付近を境に上池と下池に分かれ、以前は上池のみを湧玉池、
下池から下流を御手洗川と呼んだ。
登山者(道者)が湧玉池の水で心身を清めた後、
山中へ向うという富士山信仰と関連の深い池である。

湧玉池

湧玉池は、約1万年前の富士山噴火によって噴出した溶岩流の末端に位置している。
富士山に降った雨や雪が溶岩流の隙間に貯えられ、
溶岩流の末端から押し出されるように湧き出し、
池となったと考えられている。
湧玉池は富士山の湧水のうちでも規模が大きく、
学術上貴重なものであることから、昭和27年(1952年)3月29日に
特別天然記念物に指定された。
また湧玉池は世界遺産富士山の構成資産である「富士山本宮浅間大社」
に含まれている。
池の面積は2.500㎡。水温は四季を通じて14℃、水量は年平均毎秒2.1㎥
(平成25年度)あり、池から神田川に流れ出し、市内を流れている。
浅間大社の社伝によると、噴火する富士山を水徳の神(浅間神)の力により
鎮めるために、湧玉池の畔に浅間神社を建てたという。
また、湧玉池は登山者が身を清めるために禊を行ったところで、
室町時代の富士登山の姿を描いたとされる「絹本著色冨士曼荼羅図」
(国指定重要文化財 浅間大社蔵)には、
湧玉池で禊をする道者(登山者)の姿が描かれている。


御神幸道首標の碑

御神幸道首標の碑

明治の初めまで行われていた「山宮御神幸」に利用された
御神幸道に起点に碑である。
御神幸は、春秋の大祭年実に浅間大社と山宮浅間神社との間を
最新が往復するもので、祭神は鉾に移動した。
鉾を安置した鉾立石が、浅間大社の楼門前と
山宮浅間神社の境内に残されている。
御神幸道の50丁(1丁は約109m)の間には、
一丁目ごとに目安の丁目石が置かれていたが、
現在その大部分は確認することができない。

県道76号沿い湧玉池からの鳥居


御朱印

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