永福寺跡(ようふくじあと) 鎌倉




永福寺跡(ようふくじあと) 鎌倉

永福寺跡 – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/永福寺跡

鎌倉宮の裏に永福寺跡(ようふくじあと)があります。

数年前に整備された広い敷地は観光客も少ない穴場的スポット。

テニスコートに隣接し、気持ちの良い境内。

国指定史跡 永福寺跡

永福寺は源頼朝が建立した寺院で、
源義経や藤原泰衡をはじめ奥州合戦の戦没者の慰霊のため、
荘厳なさまに感激した平泉の二階大堂大長寿院を模して建久3年(1192)、
工事に着手しました。
鎌倉市では、史跡の整備に向けて昭和56年から発掘調査を行い、
中心部の堂と大きな池を廃した庭園の跡を確認しました。
堂は二階堂を中心に左右対称で、北側に薬師堂、南側に阿弥陀堂の両脇堂が配され、
東を正面にした全長が南北130メートルに及ぶ伽藍で、
前面には南北100メートル以上ある池が造られていました。
市では昭和42年度から土地の買収を行っており、
今後は史跡公園としての整備事業も進めていく予定です。

鎌倉宮に匹敵するほどの広さ、

ちょうどお昼時だったのでここでランチです。

南翼廊(みなみよくろう)・南中門

南翼廊は阿弥陀堂の南側より南に約13、4m、
ここで東に折れて東西に約27、7mの規模で発見されました。
板敷で東端が池中に延び、その先に釣殿があったと推測されます。
南中門は南翼廊の南面中央に開かれた間口約4、8m、
奥行き約3、6mの格式の高い四脚門(しきゃくもん)です。

中島

大きく南側に広がる池の中程にあり、様々な岩を組み合わせて島を築いています。
島の大きさは、南北に長さ10m、東西に幅5m、高さは1、2mあります
*整備では水を張った池中の島として表示できないので埋め戻して保護しています。

阿弥陀堂

二階堂の南側に立つ脇堂であり、正面が16、7m、
奥行きが役12、7mの本瓦葺で、北側の薬師堂とほぼ同じ大きさのお堂です。
創建期永福寺の特徴をなす極めて珍しい木製基壇(正面19、2m、奥行き15、3m、
推定の高さ54cm)の上に建てられていました。
周囲に緑と雨落り溝、正面には階段が確認されています。

南福廊(みなみふくろう)

二階堂と阿弥陀堂をつなぐ幅約6、6mの長さ約12、7mの建物で、
二棟廊ともよばれます。
前面が廊、奥が部屋になっていました。

二階堂

参道の中心の仏堂で、大きさは正面約19、4m、
奥行約17、6m、周囲に幅2、4mの裳階(もこし)をつけた
本瓦葺であったと考えられます。
基壇は全国的にも極めて珍しい木製で化粧されており、
大きさは正面が約22、5m、奥行きが約20、6m
推定の高さは70cmでした。
正面と両側面に階段がありました。
堂の本尊は釈迦如来と考えられています。

北翼廊(きたよくろう)・北中門

北翼廊は薬師堂お北側より北に役13、7m、
ここで東に折れ東西に約37、3mの規模で池に臨む廊下です。
板敷で東端に釣殿にあてていたと考えられます。
北中門は北翼廊の北面中央に開かれた間口約4、5m、
奥行3、7mの格式の高い四脚門(しきゃくもん)です。

釣殿(つりどの)

池に突き出す南翼廊の先端には釣殿が設けられていたと考えられます。
釣殿は邸宅内の遊宴のための建物で、寺院建築に付随するのは大変珍しく、
「吾妻鏡」に2代将軍源頼家が酒宴を釣殿で行ったと書かれています。
北翼廊の釣殿では礎石や柱が発見され、建て替えや火災の痕跡が確認されました。

遣水(やりみず)

北翼廊の北側に、谷間の流水を引き込んでつくられていました。
発見されたのは素掘りの溝で、長さ約35m、幅は広い所で約3m、
狭い所で1、8m、深さは約20cmでした、
使われていた多くの景石は抜き取られていました。
当時の京都の貴族の邸宅内の庭園では、趣を凝らして造られた遣水が
重要な景観となっていました。
*遣水部分の整備では盛土をした上に新たに庭の景色を再現しています。

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