越中国一宮 雄山神社(中宮祈願殿)・富山県中新川郡立山町芦峅寺




越中国一宮 雄山神社(中宮祈願殿)・富山県中新川郡立山町芦峅寺

富山県中新川郡立山町芦峅寺に鎮座する「雄山神社(中宮祈願殿)」です。

旧称は「立山権現・雄山権現」、式内社にして「越中国一宮」。

旧社格は国幣小社で、現在は神社本庁の別表神社です。

「霊峰立山」を御神体とし、

立山の神として「伊邪那岐神(立山権現雄山神・本地阿弥陀如来)」

天手力雄神(太刀尾天神剱岳神・本地不動明王)」の二神をお祀りします。

「雄山神社」は、「峰本社(みねほんしゃ)」「中宮祈願殿(ちゅうぐうきがんでん)」

前立社壇(まえだてしゃだん)」の三社をもって「雄山神社」と呼ばれ、

三社どの社殿に参拝してもご利益は同じものとされています。

中宮祈願殿は、かつて「中宮寺(芦峅寺)」と呼ばれた神仏習合の施設で、

芦峅寺における立山信仰の拠点でありました。

立山の主峰「雄山」を正面に頂く位置にあり、

立山を開山された「開祖 佐伯有頼」は、この地で晩年を過ごしたと伝わります。

中宮祈願殿 鳥居

県道6号線沿いに中宮祈願殿の鳥居が建ちます。

境内横には立山信仰に関する資料が展示されている「県立立山博物館」が隣接しています。

雄山神社

日本三霊山 霊峰立山 延喜式内社・旧国幣小社 雄山神社

立山頂上峰本社・芦峅寺中宮祈願殿・岩峅寺前立社壇

海抜一万尺(3003m)北アルプス立山の主峰雄山の岩頭に鎮座。夏山シーズンには多くの登拝者で賑わう。 立山信仰の里立山山麓芦峅寺に鎮座。樹齢約500年の杉木立の中は神気に満ち厳粛な気配が漂う。立山博物館が隣接。

御由緒

文武天皇の大宝元年(701年)景行天皇の後裔(こうえい)越中国司佐伯宿袮有若卿の嫡男有頼公が白鷹と黒熊に導かれ立山の玉殿の岩窟に於いて立山両権現より「我、濁世の衆生を救わんがため此の山に現わる。あるいは鷹となり、或いは熊となり汝をここに導きしは、この霊山を開かせんがためなり。」と言う霊示を受けて開山されたのが霊峰立山である。
峰本社は北アルプス立山連峰の中心、立山峰の雄山山頂(3003m)に鎮座し、古来富士山、白山とともに日本三霊山として全国各地から信仰されてきた。
しかし、屹立した巌上にあるこの峰本社には冬期間は雪深く登山することが至難であったので、山麓芦峅、岩峅に社殿を建て年中の諸祭礼を怠りなく奉仕したと伝えられている。
この立山を神山と仰ぐ立山中宮芦峅の地に、立山の雄山神(立山大宮)、剱岳の刀尾神(立山若宮)の両権現を奉斎する根本中宮をはじめ、壮大なる神社仏閣が建立された。有頼公自ら立山座主としてこの芦峅寺に居を定め、立山信仰の弘宣に生涯を捧げられた。
以来、神仏習合の一大霊場として皇室をはじめ武将名門の崇敬を受け、元明天皇、後醍醐天皇の勅願所であり、清和天皇貞観5年、宇多天皇寛平元年に叙位せられ、平安期の後白河法王御撰の梁塵秘抄には「験仏の尊きは先ず東の立山」と、全国著名の霊場の冒頭に書かれている。また、「越中国一宮」と鎌倉時代の安居院神道集に誌され、同じく鎌倉時代の拾芥抄には、「雄山神社は新川郡葦峅寺にあり」と銘記されているように、一般民衆の信仰も大変篤かった。
鎌倉幕府足利歴代将軍が文治元年諸堂を造営して深く崇敬し、室町幕府足利歴代将軍、越中守護代神保長誠公、佐々成政公等々、殊のほか保護造営されてきた霊場も天正13年8月富山城主佐々成政征討のため越中に軍を進めた豊臣秀吉により、当芦峅寺がことごとく焼き払われ、以前の諸堂をほとんど失った。
「東はウバダウつるぎの山の麓迄、令放火候」と、秀吉が藤三蔵ら5名の近畿大名に送った文書が高野山に残され、続群書類抄にも「至リ越後界ニ立山、剣、祖母堂、廻シ人数ヲ」と載せられている。この祖母堂(うばどう)とは芦峅寺のことである。
加賀藩主前田利家公領主となり復興造営に保護を加え、再び復興盛賑を極めるに至りしも、更に明治維新の廃仏棄釈、神仏判然令により一大改新を加えられたため中宮寺姆堂は廃止され、天下三霊橋と誇った布橋も落ち、塔中諸坊も四散し廃墟と化してしまった。只根本中宮の現境内のみが残り雄山神社として明治6年県社となり昭和15年国幣小社に列せられた。
今では、これらの面影を風土記の丘、立山博物館にわずかに再現されているのみである。
霊峰立山山麓岩峅寺鎮座。御本殿は五間社流れ造りで室町中期の様式を示し現在北陸最大である。明治39年4月に国指定の重要文化財となる。

由緒書

祭神  西本殿 立山大宮  伊弉那岐命
東本殿 立山若宮  天手力雄命
別宮  立山開山堂 佐伯有頼公

當神社は日本三霊山立山を神山と仰ぐ雄山神社中宮にして、延喜式内国弊小社であり、鎌倉時代神道集によれば越中国一の宮称せらる。
鎌倉幕府・室町幕府・金沢藩主の特別崇敬保護を享け、中宮寺塔中の衆徒社人三十八戸軒を列ねて奉仕し、全国に立山の霊験を布教せり。
総拝殿を祈願殿と称し境内二万余坪あり、樹林は富山県天然記念物に指定せらる。
境内に於て草木を採り、殺生を行い、無禮を為すことを固く禁制す。

手水舎

不動明王石碑

剱岳 点の記

社域

中宮祈願殿は、古来より武将や公家の信仰も篤く、

「お姥様」への献上品が奉納されてきました。

周辺に宿坊や、女人救済のための行事を行なう布橋などが残ります。

女人禁制の立山信仰において、立ち入る事が出来た最終地でもあります。

また、芦峅寺の信徒は、「一山会」と呼ばれる独自の組織をなしていました。

彼らは16世紀以降、諸国配札檀那廻りを行い、立山の縁起図や立山牛王紙、

そして薬草や薬紛などを配置し、翌年に代金を受け取っていました。

これは後世、越中売薬の起源とも呼ばれる組織となりました。

立山信仰を今に感じる

1200年ほど前、大伴家持が「神が住む山」と歌に詠み、日本三霊山の一つに数えられる立山は、死者の霊が集まる浄土と地獄の山として信仰を集め、江戸時代に隆盛を極めます。雄山神社は三の社殿から成っています。廃仏毀釈で破壊的打撃を受けた立山信仰ですが、神仏習合の時代の伝統を守り、数々の宝物や祭礼行事を今に伝えています。中宮祈願殿には樹齢500年のスギの境内林が醸し出す厳粛な雰囲気の中に社が点在します。

末社 神明宮

末社 神明宮

御祭神

中央    天照皇大御神
向かって右 豊受大神
向かって左 麻続祖神
芦峅寺の産土鎮守

末社 治国社

末社 治国社

通称 宝童社

御祭神 新川姫命

首から上の病気の守護神として、また子育ての守り神として深く信仰される。

雄山神社芦峅中宮斎館

末社 稲荷社

末社 稲荷社

御祭神 倉稲魂神
五穀豊穣・商売繁昌の神

斎戒橋

境内奥には御本殿の「西本殿(立山大宮)」と「東本殿(立山若宮)」があります。

参道の手前にあるのが二つの本殿を隔てる「斎戒橋」です。

左の道を行くと西本殿(立山大宮)と祈願殿へ、

右の道を行くと東本殿(立山若宮)への参道となります。

芦峅雄山神社境内杉林

中宮祈願殿の参道には巨大な「タテヤマスギ」が見られます。

特に、開山堂を中にして立山大宮・若宮、その他の社殿を取り囲む地域には、

樹齢およそ400~500年ともいわれる、2m以上のスギの巨木が122本も数えられます。

これらは「芦峅雄山神社境内杉林」として、富山県の天然記念物に指定されています。

末社 神秘社(山神社)

末社 神秘社(山神社)

御祭神

造化三神(天御中主神・高皇産霊神・神皇産霊神)
大山祇神
久々廼智神
通称山神様と呼ばれ、殊に山仕事に関わる人々の崇敬が篤い

本殿 立山大宮

主祭神

立山大権現雄山神(伊邪那岐神)・号 立山大権現雄山神・本地 阿弥陀如来
相殿神 第四十二代文武天皇・佐伯宿禰有若公

立山権現麓芦峅中宮の末社にして、女畾堂と並び立山信仰の中心社堂で本殿・大拝殿を偉容を誇っていたが、明治初年、山中よりの落石被害に合い両殿共に破壊される。

本殿 立山大宮

本殿 立山若宮

主祭神

刀尾天神剣岳神(天手力雄神)本地 不動明王
相殿神 稲背入彦命・佐伯有頼命

古来より立山若宮権現と称し、刀尾天神二十一末社の総本宮として厚く崇敬されてまいり、足利将軍義植公の祈願幣の社として尊敬を受け、以来戦国武将 江戸時代清里武門より敬信の誠を捧げられ、大願成就・必勝不敗・災難除けの神として信仰される。また霊峰立山登拝の諸人は必ず参拝するを例とした。

本殿 立山若宮

若宮社殿 

立山町指定有形文化財(建造物)昭和39年6月11日指定
構造形式 一間社流造、屋根銅板葺 桁行2.7m、梁間4.7m、棟高5.7m

建立年代 安土・桃山時代

〈概要〉
若宮社殿は、雄山神社祈願殿の境内にある自然の巨岩の上に建立された堂社です。立山信仰の拠点として栄えた宗教村落・芦峅寺は、古くは中宮寺(仲宮寺)と呼ばれ、若宮は媼堂、閻魔堂、帝釈堂、大宮などと並び中宮寺の重要な堂社の一つでした。
一説には文治元年(1185)に鎌倉幕府が大内冠者惟義に命じて造営したと伝えられていますが、現在の建物は棟札の銘から天正16年(1588)の建設と考えられます。
現在の若宮社殿は一間社流造で銅板葺ですが、当初の屋根は杮葺です。柱は全て角柱で、礎石に据えられています。明治初年には本殿の老朽化が著しく自立が危うくなったため、本殿の外側に全体を覆う軒支柱が造られています。
巨岩の上に建立された姿から「岩の宮」とも呼ばれ、近世の絵図でも岩の上に建つ様子が描かれています。巨岩は、雄山神社祈願殿の境内でこの場所にしかなく、巨岩や大木を霊異の対象とした磐座祭祀の名残を感じさせます。
棟札に記された「ह्रूं」は仏尊を梵字で表した種子と呼ばれるもので「ह्रूं」は不動明王を表す種子です。棟札には堂社に祀る仏尊の種子を書き込む例が多いことから、もとは剱岳を神体とする刀尾大権現を奉祀していたと考えられています。
*「ह्रूं」は尊勝仏頂を表す種字(転写)です、不動明王の梵字に似ていたので文章内で使用させて頂きました、不動明王を種字では「ह्म्मां」フンマーンや「हां」ハーンで表されます。
現在まで継承される雄山神社祈願殿の祭礼では、加賀藩ゆかりの神輿二基が巡幸されますが、若宮の神霊が移される一基には華鬘や錺の刀尾の神の化身とされる白鷹が彫刻されており、江戸時代以前の祭礼から古例を引き継いでいるものと思われます。
若宮社殿は、雄山神社祈願殿境内に残る最古の堂社建築として価値が高く、また、宗教村落・芦峅寺での祭祀や信仰活動の発展について示唆を与える貴重なものです。

祈願殿

明治維新まで芦峅大講堂と称したが、改新後祈願殿と称し、諸祭儀・御神楽等を修する所なり。本殿には雄山の大神を始め、立山々中三十六社の神々を合祀する。

祈願殿

雄山神社 中宮祈願殿

所在地   〒930-1406 富山県中新川郡立山町芦峅寺2

電話番号  076-482-1545

公式H.P  https://www.oyamajinja.org/

アクセス

・「富山駅」から45分乗車「千垣(ちがき)駅」下車、町営バスにて5分
・立山ICから車で約40分

雄山神社

今から約1300年前、文武天皇の大宝元年(西暦701年)第12代景行天皇の後裔、越中の国司佐伯宿禰有若卿の嫡男有頼公が、白鷹と黒熊に導かれ立山の玉殿岩窟において「我、濁世の衆生を救はんがため此の山に現はる。或は鷹となり、或は熊となり、汝をここに導きしは、この霊山を開かせんがためなり。」という立山両権現の霊示を受け、文武天皇の勅命により開山されたのが霊峰立山である。その立山を神山と仰ぎ、山麓芦峅寺に立山雄山神(立山大宮)、剣岳の刀尾神(立山若宮)の両権現を奉斎する根本中宮をはじめ壮大なる神社仏閣が建立され、岩峅寺にも社殿が建てられて、年中の諸祭礼を怠りなく奉仕したのである。有頼公自らは出家して慈興と号し、立山座主として芦峅寺に居を定め、立山信仰の弘宣に生涯を捧げられたのである。
以来神仏習合の一大霊場として皇室をはじめ武将名門の崇敬を受け、元明天皇・後醍醐天皇の勅願所となり、また清和天皇の貞観5年・宇多天皇の寛平元年に叙位せられた。
平安期の後白河法皇御撰の『梁塵秘抄』には「験仏の尊きは先づ東の立山」と全国著名の霊場の冒頭に記され、また鎌倉時代の安居院編纂の『神道集』に「越中国一宮」、洞院公賢が著した『拾芥抄』に「雄山神社は新川郡葦峅寺にあり」と銘記されており、広く信仰を集めていたことが窺われる。
鎌倉幕府が文治元年に諸堂を造営、室町幕府足利歴代将軍、越中守護代神保長誠公、佐々成政公等々、殊のほか深く崇敬し保護造営されてきた霊場も、天正13年8月、富山城主佐々成政征討のため越中に軍を進めた豊臣秀吉により芦峅寺が悉く焼き払われ、以前の諸堂を殆ど失うこととなった。このことについては「東は立山ウバダウつるぎの山の麓迄、令放火候」と、秀吉が藤三蔵ら五名の近畿大名に送った文書が高野山に残され、『続群書類従』にも「至リ越後界ニ、立山、剣、祖母堂、廻シ人数ヲ」と載せられている。祖母堂(うばどう)とは芦峅寺のことである。
前田利家公が加賀藩主となり復興造営に保護を加え、再び盛賑を極めたものの、明治維新の廃仏毀釈・神仏判然令により一大改新を加えられたため、布橋灌頂において重要な役割を果たした中宮寺ウバ堂は廃止され、天下三霊橋と誇った布橋も落ち、塔中諸坊も四散し芦峅寺は廃墟と化してしまった。ただ、根本中宮の境内とその講堂が雄山神社中宮祈願殿として残り、明治6年に県社、昭和15年に国幣小社に列せられた。

立山開山御廟

立山開山御廟

立山玉殿岩窟において霊示を受け立山を開山し、生涯を立山信仰の弘宣に捧げられた佐伯有頼公(出家して慈興と号す)が、天平宝字三年六月七日八十三歳で入定された地と伝えられる。

裏面には、「慈興上人佐伯有頼公 天平宝字3年6月7日 入定留身之地也」とあります。

芦峅雄山神社境内杉林

立山登拝者の宿坊として栄えた芦峅寺集落のほぼ中央に雄山神社祈願殿がある。その境内は巨大なタテヤマスギの純林である。特に、奥にある開山堂を中にして立山大宮、若宮、その他の社殿を取り囲む地域には、2m以上のスギが122本も数えられる。樹齢は大体400~500年にわたり、これらが密生し、日本三名山のひとつとして古くから崇敬されてきた立山の祈願殿にふさわしい荘厳な雰囲気である。
このような巨大なスギによってできている林は、県下ではほかにない。これは環境がスギ林の生育に適していることもあるが、人力によって台風や積雪などの被害があるたびに補植を行って、スギ林の維持に努めてきたからである。今後、市民の森を造成するさいの貴重な資料でもある。

摂社 立山開山堂

摂社 立山開山堂

御祭神 佐伯有頼慈興上人
立山の御開祖越中国司佐伯有若卿の嫡男佐伯有頼公を祭る
御衣祭(お召替) 三月十三日

開山堂案内板

遥拝所 釼嶽社

遥拝所 釼嶽社

御祭神  須佐之男命

此の社は昭和三十一年八月建立より、平成二十一年八月新社殿造営、五十五年間の亘り剱岳山頂に奉斎され多くの剱岳登山者を見守ってまいりました旧社殿です。保存のため麓遥拝所として建立いたしました。

御朱印

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