嶺松山 省光寺(しょうこうじ) 省光寺のイチョウ・磐田市見付




嶺松山 省光寺(しょうこうじ) 省光寺のイチョウ・磐田市見付

省光寺|静岡県磐田市 – 八百万の神
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磐田IC、県道86号線を南下、

磐田私立北小学校を過ぎてすぐ立派な鐘楼門が印象的な省光寺です。

省光寺

宗派  時宗
本尊  阿弥陀如来

例立年代は不明で、古くは真言宗でしたが、鎌倉時代中期(約七五〇年前)、
一遍上人が布教を巡った際に時宗に改宗しました。
現在は清浄光寺(鎌倉市)の末寺です。
室町時代、足利尊氏の三男であった六世慈海和尚の頃は非常に栄え
「御所道場」の称号を受けていたと寺伝にあるそうです。
明治5年の学制発布の時に見付学校ができると
本校舎ができるまでの3年間このお寺が仮の校舎でした。
旧見付学校は現存する日本最古の木造擬洋風小学校校舎として
国の史跡に指定されています。
イチョウは本堂の前にあり、「見付の名木」になっています。
東に行くと「見付天神社のクス」、
旧東海道沿いに行けば「西光寺の大クス」があります。

沿革

建立年代は不詳。古くは真言宗。後に時宗に改宗しました。
中興開山六代住職・慈海和尚が足利氏一族の出身で足利幕府の時代には、
将軍義詮(よしあきら=尊氏の子・1330~67)大変栄えました。
「御所道場」の称号を受けていたと寺伝にあります。朱印髙48石。
明治五年(1872)に学制が発布され、見付学校の開校にあたっては、
本校舎として使用され、毎日授業が行われていました。
また、大正年間には、見付技芸学校にも使われ、
教育史の上で重要な役割を果たした寺院です。

文化財

鐘楼門
釣鐘堂と山門を兼ねた建物で、
市内には三ヶ寺にしかないめずらしい形式の山門です。昭和九年改築
阿弥陀如来像 
一体 鎌倉時代作と寺伝にあるも、未調査。
阿弥陀如来画像
阿弥陀三尊画像の仏画が伝えられている。
製作年代は室町時代と伝えられている。
イチョウ樹
本堂前に樹齢二~三〇〇年前と推定されている老木がある。


天萬地蔵

「天萬地蔵」(秘仏)について

地蔵堂の建物は南向き、厨子前に同じ大きさの前立。
子授け・安産・子育てに御利益。南北朝の争乱の時、
足利尊氏(1305~58、将軍在職1338~58)は、
三男を出家させ、戦死者を供養させた。
父・尊氏の念持仏を授けられた省光寺六世慈海和尚は、
見付の東の丘陵地に堂を建て、そこに地蔵尊を安置した。
堂のあった辺りが、省光寺の寺領で「天萬」といおう場所
(現在の富士見町付近)であったため、「天萬地蔵」といわれた。
江戸時代中期に天萬の地から省光寺境内に移されたが、
かつては省光寺の門前にあった。


本堂


省光寺のイチョウ

幹周/5. 70m、樹高/12m。

「見付の名木」の石碑が立っています。

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