長谷寺(長谷観音)浄土宗 海光山 慈照院・神奈川県鎌倉市長谷
鎌倉 長谷寺
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鎌倉の中でも人気の観光スポット長谷寺へ参拝。
736年(天平8年)の開創と伝えられ「長谷観音」の名で親しまれています。
奈良の長谷寺に対し「新長谷寺」と呼ばれていたそうです。
長谷寺
宗派
浄土宗単立
開山
徳道上人
開基
藤原房前本尊は高さ9.18メートルの十一面観音で、
木造では日本最大級の観音様といわれています。
伝承では、本尊の流着した736年を当山の開創とし、
同像は奈良の長谷寺の尊像と同じ、
一本のクスノキの霊木より彫られたという縁起を持ちます。
また、坂東三十三観音霊場の第四番札所に数えられ、
往古より庶民の信仰を集めてきました。
寺内は上下二つの境内からなり、下の境内は妙智池、
放生池を中心に回遊式の庭園が迎え、季節ごとに美しい花が楽しめます。
右奥には弁天堂と慈光殿とよばれる写経場があり、毎日写経を行なう事ができます。
その奥には、弘法大師がこもって修行をしたといわれる弁天窟という洞窟があり、
弁財天と十六童子が刻まれています。
長い石段を登る途中には地蔵堂があり、千体地蔵がならび、
子供の健やかな成長と幼く亡くなった子供の冥福を祈ってまつられています。
上の境内には、観音堂・阿弥陀堂・大黒堂・経蔵といった堂字が建ち並らびます。
一番右手にかきがら稲荷があり、手前には鐘楼があります。
この鐘は新しいものですが、それ以前に撞かれていた鐘は、1264年に鋳造され、
鎌倉で3番目に古い梵鐘で国の重要文化財です。
現在は宝物館に展示されています。
阿弥陀堂には2.8メートルの阿弥陀如来坐像が祀られています。
鎌倉六阿弥陀の一つです。観音堂には長谷観音といわれている、
金色に輝く十一面観音菩薩立像が安置されています。
左手に蓮華を持ち右手に錫杖を持った姿は、歩いて人々を救う、
お地蔵様と同じ力がある事を表しており、長谷寺様式とよばれ、独自のものです。
大黒堂には大黒天が祀られており、大黒天は鎌倉・江ノ島七福神めぐりのひとつです。
最初の尊像は弘法大師が作ったと伝えられ、神奈川県最古のもので、
現在は宝物館の収蔵・公開しています。経蔵は、中に回転式の書架があり、
仏教の全ての経典の一切経が収められています。
この書架を一回転することで、中に収められているお経を読み通したと
同じご利益があるといわれています。
毎月18日には誰でも回す事ができます。
観音堂の左側には宝物館があり、仏像や法具類などの展示を行なっています。
「海光山」という山号が示すとおり、見晴台からは由比ガ浜の海、長谷の街が一望でき、
遠くは三浦半島、大島まで望む事ができます。
花の寺として、境内では四季折々の草花が咲き乱れ、6月に裏山の斜面一面に咲く、
40種約2,500株の紫陽花は圧巻です。
毎年、8月10日の四万六千日参りをはじめ、多くの年中行事、イベントが行なわれ、
12月18日には鎌倉でただ一つ残っている「歳の市」が開かれます。
山門
大きな提灯と「門かぶりの松」が皆様をお迎えします。
親柱は直径40センチもある四脚門で、
鎌倉市内の四脚門では建長寺、円覚寺、妙本寺に次ぐ大きさです。
鎌倉 長谷寺H.P より
山門の左に拝観受付があります。
寺社ではあまり見ることの無い、電子マネーも利用出来る券売機が設置されていました。
境内は観音堂のある上境内と下境内に分かれており
入山口でもある下境内は、妙智池と放生池の2つの池が配され、
その周囲は散策できる回遊式庭園になっています。
境内案内図
地蔵堂
地蔵堂
下の境内より階段を上ると、その中段奥に見えるのが地蔵堂です。
当山に帰依する信者の方々の発願により建立されました。
その後、堂宇の老朽化に伴い平成15年に再建されたのが現在の地蔵堂です。
鎌倉では例の少ない扇垂木の屋根が特徴です。
なお、お祀りする地蔵尊も御堂の再建にあわせて造立されたものです。
子安・繁栄のご利益をお授けする 「福壽地蔵」です。
鎌倉 長谷寺H.P より
観音堂
観音堂
観音堂(十一面観音菩薩)
その創建は本尊である長谷観音流着の縁起に由来し、
天平8年(736)まで遡ります。
当山が鎌倉でも有数の古寺に数えられる所以です。
その後、幾年の星霜を経るなか、幾度と無く堂宇も再建がなされたと伝わりますが、
関東大震災による当山の罹災は甚だしく、旧来の建物は止む無く建替えとなり、
災害から本尊をお守りするため、鉄筋による再建が進められました。
そして、昭和61年、罹災から実に60年以上の歳月を費やし
現在の堂宇は完成に至りました。
本尊である十一面観音像は、錫杖を右手に携え、岩座に立つ独特の像容で、
大和長谷寺の本尊をはじめ、全国に所在する長谷寺に祀られる
観音像に多く見られることから、これらを総称して「長谷寺式十一面観音像」と呼びます。
縁起に曰く、本尊の造立は養老5年(721)と伝えられていますが、
現在の像が創建当初からのものとは言い難く、また後世の修復も多く加えられているため、
制作年代については未詳と言わざるを得ません。
但し、本尊に付随する光背や御前立の観音像の修復年代が室町時代まで遡ることから、
現在の尊像が存在していた時期についても、
室町時代に準ずるものであることは確かといえ、
さらに鎌倉時代より当山に伝世する大型の懸仏や板碑類の存在から、
その当時には巨大な尊像が造立されていたものと推測されます。
鎌倉 長谷寺H.P より
観音ミュージアム
観音ミュージアム
平成27年、長谷寺宝物館の開館35周年を迎えるにあたり、
老朽化の進んだ設備を刷新し、これまでの寺宝の展示だけでなく、
鎌倉長谷寺の本尊である「観音菩薩」を主題とした
博物館「観音ミュージアム」へと新生しました。
日本に伝わり、広められた仏教のなかでも、
とりわけ多くの人々に敬われた「観音菩薩」の教えを
展示と映像によってわかりやすく紹介します。
鎌倉 長谷寺H.P より
阿弥陀堂
阿弥陀堂
阿弥陀堂(阿弥陀如来)
阿弥陀如来坐像は、伝承に曰く、鎌倉幕府初代将軍である源頼朝が、
自身の42歳の厄除けのために建立したものといい、
当山ではその伝承に因み「厄除阿弥陀」と呼んでおります。
ただし、この像はもともと長谷寺で造立されたものではなく、
その銘文によれば市内の誓願寺(現廃寺)の本尊であったということです。
現在この尊像は「鎌倉六阿弥陀」のひとつにも数えられます。
ちなみに、最初の阿弥陀堂は現在の地蔵堂辺り(階段中段部)に
建てられていたことが、古い境内図などによって知られます。
鎌倉 長谷寺H.P より
阿弥陀堂(阿弥陀如来)
鐘楼
鐘楼
当山の梵鐘は文永元年(1264)鋳造の銘を持つ、
鎌倉でも3番目に古い作例となります。
昭和28年に国の重要文化財に指定され、現在は宝物館において収蔵展示中。
しかし、20年程前までは「時の鐘」として実際に撞いておりました。
現在の梵鐘は昭和59年に新鋳されたもので、
毎年の大晦日には、除夜の鐘を撞きにみえられる参拝の方々で賑わいます。
鎌倉 長谷寺H.P より
経蔵(輪蔵)
経蔵(輪蔵)
内部の回転式書架を「輪蔵(りんぞう)」と呼びます。
中には一切経(大蔵経)が収められており、
書架を一回転させることで一切経をすべて読誦した功徳が得られるといいます。
なお、堂内には皆様が書き終えた写経も多数納められています。
※輪蔵は観音御縁日(毎月18日)、正月三が日、4月8日(灌仏会)、
8月10日(四萬六阡日)のみ回すことができます。マニ車
主にチベット仏教において用いられる道具です。
マントラが刻まれた筒の中には漢文とサンスクリット語の
般若心経が多数納められています。
マニ車を回転させることで、
納められた経文を唱えるのと同じ功徳があるといわれています。
※18基あり、毎日回すことができます。
鎌倉 長谷寺H.P より
見晴台より
見晴台からは鎌倉の街並みと由比ヶ浜、
遠く三浦半島・伊豆大島まで見渡せます。
弁天堂
弁天堂
寺伝によれば当山の八臂の弁財天像は、弘法大師が廻国修行の折、
当山の岩窟に参籠し感得して自ら刻まれた尊像といわれ、
江戸時代には「出世弁財天」の名で世に知られていました。
現在その尊像は宝物館に収蔵されています(通常非公開)。
このご本尊に代わり、堂内には「福徳弁才天」がお祀りされ、
広く皆様にご利益をお授けしています。
鎌倉 長谷寺H.P より
書院
書院
美しい枯山水庭園の先に、写経道場として平成25年9月に竣工しました。
当山では毎日写経・写仏ができます。
場内のほとんどが椅子席なので、正座が苦手な方でも心配ありません。
鎌倉 長谷寺H.P より
和み地蔵
2007年に設置、石神彫刻工房で制作した「和み地蔵」
今では長谷寺観光の中でも人気のスポット。
和み地蔵の前の「大黒堂」は現在修復中でした。
弁天窟
弁天窟
下の境内の放生池を過ぎた辺りに、弘法大師参籠の地と伝わる弁天窟があり、
その名にちなみ窟内壁面には弁財天とその眷属である十六童子が彫られているほか、
弁財天と同じ神様であるとされる民間信仰の宇賀神(人頭蛇身)もお祀りされています。
鎌倉 長谷寺H.P より
御朱印