法蔵寺(ほうぞうじ)松平家霊廟 近藤勇の首塚・愛知県岡崎市




法蔵寺(ほうぞうじ)松平家霊廟 近藤勇の首塚・愛知県岡崎市

法蔵寺 (岡崎市) – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/法蔵寺_(岡崎市)

愛知県岡崎市本宿町にある浄土宗西山深草派の寺院

二村山(にそんざん)法蔵寺(ほうぞうじ)へ

三河三十三観音第12番礼所、本尊は阿弥陀如来です

境内には徳川家康の父(松平広忠墓)はじめ 松平家霊廟

新撰組 近藤勇の首塚があります。

東海道 本宿から

法蔵寺

かつては、二村山出生寺と称し、法相宗の古刹であった。
飛鳥時代、行基は観音菩薩像を安置し出生寺を創建した。
平安時代、空海の来訪により真言宗となる。
南北朝時代、竜芸上人により浄土宗に改宗し、二村山法蔵寺と改称した。
その後、徳川家の始祖・松平親氏が伽藍を建立して、松平家の菩提寺とした。
徳川家康(幼名・竹千代)が、時の住持・教翁上人に就いて、読書きを習ったという
(硯箱・硯石・手本・机などが残っている)。
江戸時代、深草派三河三檀林のひとつとなる。


山門


賀勝水

家康も手習いに用いたといわれる賀勝水


鐘楼門


本堂

法蔵寺

法蔵寺は,家康が幼い頃、手習いや漢籍を学びに通った寺といわれ,
桶狭間(おけはざま)の戦い以後は手厚く保護され,
家康の父松平広忠(ひろただ)の墓がある。
701年(大宝元),行基によって開山されたといわれ,
松平親氏(ちかうじ)が深く帰依し,寺号を法相宗出生寺(しゅっしょうじ)と称していたが,
1385年(元中2)に浄土宗となり法蔵寺とした。
山門や鐘楼門,本堂が一直線に並び,境内には六角堂や東照宮が建っている。
六角堂には,聖観音,十一面観音,千手観音,不空絹索(ふくうけんじゃく)
観音,馬頭(ばとう)観音,如意輪(にょいりん)観音の六観音がまつられている。
また,新撰組の近藤勇の首塚が置かれている。近藤が生前敬慕していた京都新京極裏寺町の宝蔵寺(ほうぞうじ)の住職が,この法蔵寺の住職になったため,この地に埋葬されたといわれる。 現在は,首塚の横に近藤の胸像が建っている。

法蔵寺の桜(岡崎市指定天然記念物)

行基手植えと伝えられている

法蔵寺のイヌマキ(岡崎市指定天然記念物)

三河三十三観音霊場十二番礼所


六角堂

本堂横には東照宮への参道


岡崎本宿東照宮


松平家霊廟 三方原合戦忠死者の墓


近藤勇の首塚

近藤勇の首塚

近藤勇は慶応4年4月25日東京板橋の刑場の露と消えました。
勇の首は塩漬けにされ京都に送られ三条大橋の西に晒されました。
それを同士が三晩目に持ち出し、
勇が生前敬慕していた新京極裏寺町の称空義天大和尚に埋葬を依頼する事になりました。
しかし和尚はその半年前から三河国法蔵寺の39代住職として転任されていたので
法蔵寺に運ぶことにしました。
この寺は山の中にあり、大木が生い茂っていて密かに埋葬するには好適の地でした。
しかし当時は世間をはばかって、石碑を土でおおい無縁仏の様にして香華していました。
そして石碑の存在も忘れられてしまいました。
昭和33年総本山の記録等に基づいて調査した結果、埋葬の由来が明らかになりました。
今回石碑をおおっていた土砂を取り除き勇の胸像をたてて供養する事にしたのです。

梁が素晴らしい納経所


御朱印

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