三峯神社(みつみねじんじゃ)・埼玉県秩父市三峰
埼玉県秩父市三峰、
秩父神社・宝登山神社とともに秩父三社と呼ばれている三峯神社
三峯(三峰)とは、白石山、雲取山、妙法ヶ岳の三山のことで
奥宮がある妙法ヶ岳の西側の山腹に鎮座します。
狼を守護神とし狛犬の代わりに神社各所に狼の像が配されています。
三ツ鳥居
鳥居 狛狼
三ツ鳥居(三輪鳥居)とは
明神型鳥居を三つ組み合わせた鳥居で、奈良の大神神社のものが有名です
三峯神社の神の使いは山犬(狼)のため
鳥居の前には狛犬ではなく狼が向かい合って座っています
三峯神社
御祭神は伊弉諾尊・伊弉册尊で日本民族 の始祖と仰がれる神さまです。
日本では 最初の夫婦神で、日本の国、民族はこの 神によって産みなされました。創祀は景行天皇四十一年、日本武尊 によって祀られ、
後に神佛混淆のお山と なり別當観音院が設けられて
山伏の修行場ともなりましたが明治維新で本来の神 社に戻りました。本殿は春日造、神のみ霊のお鎮まりにな る御社殿で
寛文元年(一六六一)再建昭和 三十六年復元。
拝殿は、祭典を行ったり 皆さんが昇って拝禮するところで
寛政十 二年(一八〇〇)再建、昭和三十七年改築 されました。例大祭 四月八日
祈年祭 二月二十日
新嘗祭 十一月二十三日
冬季大祭 十二月二日境内案内板
当社の由緒は古く、景行天皇が国を平和になさろうと、
皇子日本武尊を東国に遣わされた折り、
尊は甲斐の国(山梨)から上野国(群馬)を経て、
碓氷峠に向われる途中当山に登られました。
尊は当地の山川が清く美しい様子をご覧になり、
その伊弉諾尊・伊弉册尊が我が国をお生みになられたことをお偲びになって、
当山にお宮を造営し二神をお祀りになり、
この国が永遠に平和であることを祈られました。
これが当社の創まりであります。
その後、天皇は日本武尊が巡られた東国を巡幸された時、
上総国(千葉)で、当山が三山高く美しく連らなることをお聴き遊ばされて
「三峯山」と名付けられ、お社には「三峯宮」の称号をたまわりました。
降って聖武天皇の時、国中に悪病が流行しました。
天皇は諸国の神社に病気の平癒を祈られ、三峯宮には勅使として
葛城連好久公が遣わされ「大明神」の神号を奉られました。
又、文武天皇の時、修験の祖役の小角が伊豆から三峯山に往来して
修行したと伝えられています。
この頃から当山に修験道が始まったものと思われます。
天平十七年(七四五)には、国司の奏上により月桂僧都が山主に任じられました。
更に淳和天皇の時には、勅命により弘法大師が十一面観音の像を刻み、
三峯宮の脇に本堂を建て、天下泰平・国家安穏を祈ってお宮の本地堂としました。
こうして徐々に仏教色を増し、神佛習合のお社となり、
神前奉仕も僧侶によることが明治維新まで続きました。
三津峯山の信仰が広まった鎌倉期には、畠山重忠・新田義興等が、
又、徳川期には将軍家・紀州家の崇敬もあり、
殊に紀州家の献上品は今も社宝となっています。
又、新田開発に力を尽した関東郡代伊奈家の信仰は篤く、
家臣の奉納した銅板絵馬は逸品といわれています。
東国武士を中心に篤い信仰をうけて隆盛を極めた当山も、
後村上天皇の正平七年(一三五二)新田義興・義宗等が、
足利氏を討つ兵を挙げ、戦い敗れて当山に身を潜めたことから、
足利氏の怒りにふれて社領を奪われ、山主も絶えて、
衰えた時代が百四十年も続きました。
後柏原天皇の文亀二年(一五0二)にいたり、
修験者月観道満は当山の荒廃を嘆き、実に二十七年という長い年月をかけて
全国を行脚し、復興資金を募り社殿・堂宇の再建を果たしました。
後、天文二年(一五三三)山主は京に上り聖護院の宮に伺候し、
当山の様子を奏上のところ、宮家より後奈良天皇に上奏され
「大権現」の称号をたまわって、坊門第一の霊山となりました。
以来、天台修験の関東総本山となり観音院高雲寺と称しました。
更に、観音院第七世の山主が京都花山院宮家の養子となり、
以後当山の山主は、十万石の格式をもって遇されました。
現在、社紋として用いている「菖蒲菱」は花山院宮家の紋であります。
この様に天台修験の関東総本山として繁栄した当山も、宝永七年(一七一0)山主没後、
山主に恵まれず十年間も無住となり、宝物も散逸し、
社殿堂宇も破損が見られる様になりました。
やがて、享保五年(一七二0)日光法印という僧によって、
当山も次第に復興され、以後六里四方を支配し、今日の繁栄の基礎が出来ました。
「お犬様」と呼ばれる御眷属信仰が遠い地方まで広まったのもこの時代であります。
以来隆盛を極め信者も全国に広まり、三峯講を組織し三峯山の名は全国に知られました。
その後明治二年の神佛分離により寺院を廃して、三峯神社と号し現在に至っています。
参道の途中にある可愛い造りの旧交番
鳥居をくぐり、参道を進むと参道が二手に分かれている。
真っ直ぐ進むと社殿の横に出るが、左手へ進むと
「三峰山」と書かれた額のある神門。
随身門
随身門
元禄4年(1691年)建立。
昔の仁王門にあたり、明治初年仁王像は鴻巣の勝願寺へ移されました。
現随身門は寛政4年(1792年)再建されたものを、昭和40年(1965年)春 改修。
扁額は増山雪齋の筆跡になります。
当初は青銅鳥居(拝殿正面)付近に建立されていたという記録が伝えられています。
参道
石段
下の石段は嘉永二年(1849年)神領三峯村の木村家が奉献したもの、
上段は昭和四十一年東京築地市場講奉献です。
手水舎
この手水舎は間口3m・奥行2m60cm、
寛永6年(1853年)の建築、精巧な龍の彫刻で有名です。
八棟木灯台
安政四年(1857年)建築の飾り灯台で高さ6mもあります。
案内板
青銅鳥居
弘化二年(1845年)の建築で江戸深川の堅川講中から奉納されたもの
荒川を筏で引いてきたということです。
奉納者の中には初代塩原大助の名も見えます。
拝殿
拝殿
寛政12年(1800年)建立。昭和37年(1962年)改修。
正面に掲げた大額は有栖川宮一品親王殿下の御染筆になります。
内部の格天井には奥秩父の花木百数十種が画かれ、
左右脇障子に竹林七賢人の透彫があり重厚な雰囲気を感じさせます。
本殿
本殿
寛文元年(1661)11月、中興第六代龍誉法印が、
願主となって造営した一間社春日造りの建物です。
石積みの基壇上に立ち、正面と両側に縁を回し、公欄を付け、
屋根は銅板葺きで、総体的に木割が太く堂々とした風格を備えています。
また全体に漆が塗られ、斗組・虹梁・柱頭などには
極彩色が施された美麗な本殿であります。
社務所前 手水舎
祖霊社
祖霊社
祖霊社とは開山以来の歴史の祖霊をまつる社であり、
春・秋の彼岸の日と 8月15日の年3回祭りがおこなわれます。
なかでも8月はお盆の行事と合わせて、過去1年間に物故した神社の勤山者、
氏子総代又各地の三峯講社の関係者や
講元、世話人などの霊を合祀する祭りもおこなっています。
国常立神社
国常立神社
ここには国土形成の神である国常立尊(くにとこたちのみこと)
が奉られています。
祭典は11月2日におこなわれます。
境内社
伊勢神宮
摂末社
摂末社
境内の中に小さい神社があります。
全部で23社あり、諏訪神社、大山神社のように
よく知られているものもあります。
いずれも三峯神社にゆかりの深い神様を奉ったものです。
神楽殿
神楽殿
神様のみ心をお慰め申し上げるためにお神楽の行われる殿舎です。
太々神楽、又は里神楽といわれるお神楽(当神社では氏子滝の沢神楽連奉仕)は
日本の神話をもとにした舞劇で、いわゆるお神楽衣装をつけ、
面をかぶって笛太鼓に合わせて踊るものです。
三峯の神楽は霧の流れる境内にひびく笛と太鼓の調和よく、
その巧妙な撥さばきによって彼の宮本武蔵が二刀流を開眼した
(吉川英治著 小説 宮本武蔵)と伝えられるものです。
この神楽殿は明治41年5月、一の鳥居及び保存金と共に
東京木場竪川講社から奉納されました。
●恒例神楽奉奏日…4月8日、5月8日
日本武尊銅像
日本武尊銅像
神社の創始者とされる日本武尊は、
東征の途中甲斐の国酒折宮より雁坂峠を越えて当山に登り、
遥かに国中の地理を見渡し、神威の擁護を願い、
仮宮を造営してイザナギノミコト、イザナミノミコトを祀ったことに始まります。
この銅像は本体5.2m、地上15mの偉容をほこります。
また周囲には野口雨情、斉藤茂吉らの歌碑が多くあります。
遥拝殿
遥拝殿
神社内で下界が一望できる唯一の場所。
こから妙法ケ岳山頂の奥宮を遥拝します。
また近くに森玄黄斉作のご神犬像があります。
遥拝殿からは奥宮がある妙法ケ岳の山頂を望むことができます
雲海が見られるスポットとしても有名です。
奥宮への参拝道は、ほぼ登山になります。
一旦三ツ鳥居まで戻り、土産屋の先にある林道を進んできます。
参道は雲取山の登山口も兼ねています。
この辺から参拝者も少なく一変して静かな雰囲気に
一の鳥居
一の鳥居からは完全に登山道になります。
二の鳥居
二の鳥居は両部鳥居、山岳信仰(神仏習合)の神社によく見られる鳥居です。
名称にある両部とは密教の金胎両部(金剛・胎蔵)をいいます。
三の鳥居
三の鳥居の手前には東屋
ここからは雲取山方面への道と分岐します
妙法ヶ岳への手前には
巨大な磐座のような岩尾根
この辺りからさらに道が悪くなります
奥宮の手前にはかなり傾斜のある鎖場もあります。
できれば登山用の靴や装備を準備した方が良いと思います。
三峯神社 奥宮
三峯神社 奥宮
寛保元年(1741年)創建。
雲取山、白岩山と並ぶ三峯三山の一つである妙法ケ岳山上 に鎮座しています。
ここからの展望は見事です。神社から徒歩1時間半程度。
5月3日には山開き、10月9日には山閉がおこなわれます。
秩父宮登山記念碑
妙法ヶ岳(1329m)山頂
妙法ヶ岳より望む、白石山・雲取山
御朱印