第3代 安寧天皇(畝傍山西南御陰井上陵)・奈良県橿原市吉田町
奈良県橿原市吉田町
第3代 安寧天皇(あんねいてんのう)「日本書紀では磯城津彦玉手看天皇」
畝傍山西南御陰井上陵(うねびやまのひつじさるのみほどのいのえのみささぎ)
俗称は「アネイ山」
欠史八代の一人で実在性については諸説あり。
畝傍山(うねびやま)西麓に位置する前方後円墳状の御陵です。
第3代安寧(あんねい)天皇(在位:前549年~前511年)を祀る御陵は
畝傍山口神社と対峙する形で、畝傍山の西の登山口にも近く、
登山の前後に訪れることができます。
第3代 安寧天皇
異称 磯城津彦玉手看天皇・師木津日子玉手見命
誕生 綏靖天皇5年
崩御 安寧天皇38年12月6日 57歳
在位 綏靖天皇33年7月15日 – 安寧天皇38年12月6日
続柄 (父)綏靖天皇(母)五十鈴依媛命(河俣毘売)
第3代の天皇(在位:綏靖天皇33年7月15日 – 安寧天皇38年12月6日)。綏靖天皇の第1皇子。名は磯城津彦玉手看(しきつひこたまでみ)。「日本書紀」によれば、大和の片塩浮孔宮(かたしおうきあなのみや)に都を遷(うつ)し、在位三八年。
欠史八代の一人。
第三代天皇。第二代・綏靖天皇の嫡子。母は『古事記』では師木県主の祖の河俣毘売、 『日本書紀』では事代主神の次女の五十鈴依姫命。
片塩の浮穴宮(浮孔宮)にて統治された。
『古事記』では、安寧天皇は河俣毘売の兄・県主波延の娘、阿久斗比売を娶って、 常根津日子伊呂泥命、大倭日子鉏友命(第四代・懿徳天皇)、師木津日子命をもうけた。
『日本書紀』では、安寧天皇は渟名底仲媛命を皇后として、 息石耳命、大日本彦耜友天皇(第四代天皇・懿徳天皇)、磯城津彦命をもうけた。
御陵は、『古事記』では畝傍山の美富登(みほと)。『日本書紀』では畝傍山の南の御蔭(みほと)井上陵。
安寧天皇(畝傍山西南御陰井上陵)
代数
第3代
天皇名
安寧天皇(あんねいてんのう)
御父
綏靖天皇
御母
皇后五十鈴依命
御陵名
畝傍山西南御陰井上陵(うねびやまのひつじさるのみほどのいのえのみささぎ)
陵形
山形
所在地
奈良県橿原市吉田町