劔神社 大劔神社・徳島県三好市東祖谷菅生
徳島県三好市東祖谷菅生、
剣山の見ノ越(標高1420m)に鎮座する「劔神社(つるぎじんじゃ)」
御祭神は「安徳天皇・大山祗命・素盞嗚命」です。
劔神社の本社は剣山中腹(標高1810m)に鎮座する「大劔神社(おおつるぎじんじゃ)」で
巨大な磐座「 御塔石(おとうせき)」が御神体となっています。
創建年は祖不明ですが、祖谷山(いややま)開拓の際に
大山祗命を鎮祀して祖谷山の総鎮守としたのが始まりとされています。
源氏との戦に敗れた平家一門が安徳天皇を奉じて祖谷の地に逃れてきた際には、
この地で平家再興の祈願をしたといわれています。
かつては「大劔権現」と称されていたが、明治初年に「劔神社」と改称、
明治3年に崇敬大社に列せられ、1873年(明治6年)に郷社となります。
劔神社拝殿のすぐ隣には劔神社の別当寺である「剣山 円福寺(えんぷくじ)」、
境内には登山者や観光客のための宿泊施設「民宿 劔神社簡易宿泊所」を備えています。
剣山登山リフト(4月中旬~11月末頃運行)の見ノ越の駐車場から少し先、
劔神社への参道が剣山への登山口を兼ねています。
この参道の途中に劔神社の別当寺「剣山 円福寺(えんぷくじ)」がある。
劔神社 拝殿
劔神社
御由緒
創立年代は不詳。祖谷山開拓の折に大山祗命を鎮祀して祖谷山の総鎮守とした。 寿永4年(1185)、源氏との戦に敗れた平家の一門が安徳天皇を奉じて祖谷の地にのがれ来たり、平家再興の祈願のため安徳天皇の「深そぎの御毛」と「紐劔」を大山祗命の御社に奉納。以来劔山と呼ばれ、神社も劔神社と称されるようになった。 一時大劔権現と称されていたが、明治初年劔神社と改称し、明治3年崇敬大社に列せられ明治6年郷社になる。本社は剣山中腹に鎮座する大劔神社で、巨大な岩石である 御塔石が御神体となっており、名水百選に選ばれた祖谷川源流の剣山御神水がある。 (H.Pより)
劔山は古くから山岳信仰の対象とされてきました。
劔山の修験道は、木屋平(こやだいら)側の社寺である「劔山本宮劔神社」と「龍光寺」、
見ノ越(みのこし)側の社寺である「劔神社」と「円福寺」、
の2か所を主体として繁栄していきました。
剣山は元は「立石山、または石立山」と呼ばれていました。
中世に結成されたとされる忌部十八坊の一つである長福寺が、
享保二年(1717年)に「龍光寺」と改名し、「劔山本宮」を創立、
山名も修験者や民衆受けする剣山と改名し繁栄していきました。
また、「円福寺」も江戸時代末期に別当となる劔神社を創設し人々を集め、
木屋平と祖谷山からの二つのルートが開かれ剣山への登山は発展していきました。
毎年4月29日(かつては5月1日)に剣山の「お山開き」が行われ、
神事や餅投げ等が行われます。例祭は7月17日 。
また境内には、宮尾登美子さんによる、
剣山の山中にある神社を舞台にした小説「天涯の花」のモニュメントが設置されています。
小説「天涯の花」は剣山の美しい自然を織り込みながら、
神社の養女となった少女の成長を描いた物語で、1999年にはNHKでテレビドラマ化、
同年、舞台公演もされた作品です。
民宿 劔神社簡易宿泊所
民宿 劔神社簡易宿泊所
住所 〒778-0201 徳島県三好市東祖谷菅生203見ノ越
電話 0883-67-5017
部屋数 全5室
館内設備 特に無し
料金 素泊まり5,500円 1泊2食付7,000円
チェックイン・アウト 要相談
劔神社のすぐ横にある簡易宿泊所
剣山系には586社の社がありその総本社が大劔神社。劔神社の創立年代は不詳である。ご信仰としては、縁結びと安産の信仰がつよい。
登山前にここで参拝する客は多い。
剣山 登山口
劔神社の社殿横、簡易宿泊所前に剣山への登山口がある。
剣山登山リフトと交差したり並行しながら約1時間程でリフトの「西島駅」に到達、
そこから最短の「刀掛ノ松コース(尾根道コース)」を使えば、
約40分で山頂エリアまで登ることができます。
西島神社
大劔神社
剣山中腹(標高1810m)に鎮座する本社「大劔神社(おおつるぎじんじゃ)」
剣山登山リフトの西島駅を降り20~30分程、山道を登った所にあります。
「天地一切の悪縁を断ち」「現生最高の良縁を結ぶ」といわれている大劔神社
柱の左右にはその文字が刻まれています。
神社の裏手には、御神体である巨大な磐座「御塔石(おとうせき)」が鎮座しています。
また、神社横にある登山道を少し下れば、祖谷川源流の「剣山御神水」が湧出。
実際に飲むことができる湧水で、「病気が治る若返りの水」といわれる名水です。
御塔石より望む次郎笈