大鳥塚古墳(おおとりづかこふん)・大阪府藤井寺市古室




大鳥塚古墳(おおとりづかこふん)・大阪府藤井寺市古室

大阪府藤井寺市古室2丁目4−58

大鳥塚古墳(おおとりづかこふん)は国の史跡に指定されている他、

世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」構成資産とされています。

古墳内へ立ち入ることが出来る数少ない古墳の一つです。

大鳥塚古墳は、全長110m、高さ12.3mの前方後円墳築で、

造時期は、5世紀初頭と考えられています。

後円部は3段、前方部は2段で築成されており、くびれ部両側に造出しをもちます。

大鳥塚古墳(おおとりづかこふん)

時代    古墳時代 中期中葉

古墳の形  前方後円墳

墳丘の全長 110m

出土品   銅鏡2面・鉄剣・鉄刀・鉄矛・鉄鏃・円筒埴輪・家・蓋・盾・靫

冑形などの形象埴輪

墳丘は百舌鳥・古市古墳群では変則的で、後円部が3段、前方部が2段に築かれ、後円部高が著しく高いことが特徴です。くびれ部の両側には造出しが設けられています。埋葬施設は後円部に粘土槨が存在し、刀、剣、矛、鏃などの鉄製武器が副葬されていたようです。墳丘の周囲には幅の狭い馬蹄形の濠が巡ります。濠は当初から水を湛えていなかったものと推測され、埋没保存されています。円筒埴輪・形象埴輪が出土しています。

概要 (Wikipediaより)

大阪府東部、藤井寺市・羽曳野市・松原市にまたがる大古墳群である古市古墳群のうち、中位段丘(国府台地)上に築造された大型前方後円墳である。1984年(昭和59年)に藤井寺市教育委員会による調査が実施されている

墳形は前方後円形で、前方部を南方に向ける。墳丘は後円部で3段築成、前方部で2段築成。墳丘外表では葺石・円筒埴輪列や、形象埴輪(家形・蓋形・盾形・靫形・冑形埴輪など)が認められる。墳丘くびれ部両側には造出を付すほか、墳丘周囲には馬蹄形の周濠が巡らされる(空濠、現在は埋設保存)。埋葬施設は明らかでないが、後円部墳頂の陥没坑から盗掘に遭っていると見られるが石材は認められず、粘土槨や木棺直葬と伝わる。副葬品も詳らかでないが、伝出土鏡1面が宮内庁書陵部に所蔵されるほか、伝出土鏡1面が知られ(現在は所在不明)、伝出土刀剣類が旧所有者から東京の博物館に寄贈されたという。なお北側には赤面山古墳があり、大鳥塚古墳の陪塚と推測される

この大鳥塚古墳は、古墳時代中期の5世紀前葉頃の築造と推定される(赤面山古墳も同時期)。古市古墳群では大王墓の仲津山古墳(藤井寺市沢田)と同時期とされ、巨大前方後円墳(大王墓)に次ぐ大型前方後円墳として、当時のヤマト王権の政治階層を示す古墳になる

古墳域は1956年(昭和31年)に国の史跡に指定されている

大鳥塚古墳の後円部西側には、

戦時中に作られかけた、主に飛行機などを敵の攻撃から守る施設

「掩体壕(えんたいごう)」の跡が残ります。

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