伊勢神宮 内宮(皇大神宮)
伊勢神宮H.P
http://www.isejingu.or.jp/about/naiku/index.html
伊勢神宮 内宮(皇大神宮)は三種の神器のうち八咫鏡(やたのかがみ)
をご神体として天照大神を祀る日本最高の神社です。
また「伊勢神宮」というのは通称で正式名称は単に「神宮」
神社の格式の最高位「神宮」の中でも別格扱いとなります。
今回で3度目の参拝となります。
ちなみに伊勢神宮 外宮(豊受大神宮)は左側通行、
内宮(皇大神宮)は右側通行となります。
皇大神宮(内宮)
御祭神 天照大御神
御鎮座 垂仁天皇二十六年天照大御神は皇室の御祖神であり、歴代天皇が厚くご崇敬になられています。
また私たちの総氏神(そううじがみ)でもあります。二千年前の崇神天皇(すじん)の御代に皇居にお出になり、各地をめぐられたのち、
この五十鈴川(いすずがわ)のほとりにお鎮まりになりました。二十年ごとに神殿をお建て替えする式年遷宮千三百年余り続けられてきました。
第六十二回神宮式年遷宮は平成二十五年に行われる予定です。
宇治橋鳥居を内宮側より、橋を渡るとすぐに右に曲がる。
宇治橋は内宮のシンボル的存在。
別名、御裳濯橋(みもすそばし)日本百名橋の一つにも数えられる。
宇治橋・五十鈴川
内宮への入口、五十鈴川にかかる宇治橋は、日常の世界から神聖な世界へ、
そして人と神とを結ぶ架け橋といわれています。
宇治橋の正面に立つ美しい大鳥居の姿を眺めると、すべての人々は心が洗われ、
身も心も正して清浄な宮域に入る心構えの大切さを感じさせてくれます。
内宮のお参りは宇治橋の前で一礼し、緑豊かな神路山かみじやま、
島路山しまじやまの四季の移ろいを感じながら宇治橋を渡ることから始まります。
神苑美しく刈られた芝生と清々しい松が広がります。
ここでは春と秋の神楽祭公開舞楽や奉納大相撲の土俵入りも行われます。
神苑を抜け、火除橋を越えると第一鳥居が見える。
第一鳥居右手には手水舎
向かいには内宮斎館(ないくうさいかん)
内宮斎館
祭典のときには、祭主、大宮司、少宮司をはじめ
全神職が前夜または前前夜から参籠(さんろう・心身を清めるためのおこもり)する。
斎館の建物に続いて行在所(あんざいしょ・天皇陛下ご参拝のときの
ご用にあてられる)がある。
五十鈴川御手洗場
五十鈴川(いすずがわ)は水源を神路山・島路山に発し、二見浦から伊勢湾にそそぐ、
流域10kmほどの国の一級河川。
この御手洗場で、手を洗い口をすすぎ、心身を清めて参拝する。
倭姫命(やまとひめのみこと)が、御裳(みも)のすそのよごれを濯(すす)
がれたことから、一名「御裳濯川(みもすそがわ)」ともいわれる。
土用の丑の日と八朔(はっさく・8月1日)に参拝し、五十鈴川の清水をいただき
神棚に奉っておくと、一年間無病息災にすごせるという民間の信仰がある。
瀧祭神(たきまつりのかみ)
五十鈴川の御手洗場の近くにあり、御垣と御門のみで社殿はなく、石畳に祀られています。
五十鈴川の守り神として古くから大切に祀られ、内宮の所管社しょかんしゃながら、
祭典は別宮に準じています。
伊勢では毎年8月1日(八朔はっさく)に五十鈴川で汲んだ水を瀧祭神にお供えし、
家に持ち帰った後、神棚で無病息災を祈る風習があります。
瀧祭神は五十鈴川御手洗場から上り
右側の細道を進んだ所にある。
内宮神楽殿
ご祈祷の受付やお札・お守りなどの授与を行い、参拝記念のご朱印もいただける。
前庭に手水石の竜虎石(りゅうこせき)がある。高さ87.8cmの円筒状の青色の岩で、
竜と虎が黄白色に浮き出ている。現在の銅板葺・入母屋造の建物は、
元の御殿(神楽殿・明治25年築、御饌殿・大正7年築)の老朽化により
全面改築されたもので、昭和53年(1978)12月22日に
神楽殿開殿式が執り行われ初神楽が奉奏された。
ご参拝の折には、大御神さまの広大なご神恩に感謝の誠をささげ、
国家安泰や家内安全などのご祈祷を申し出られ、ご神徳を仰がれることをお勧めする。
ご祈祷は「御饌(みけ)」と「大々御神楽(だいだいおかぐら)」の2種類に分かれ、
御神楽は舞楽(ぶがく)の奏行が行われる丁重なご祈祷である。
授与所では、お札(剣祓・角祓・海幸大麻)やお守り
(守祓・袋入守・鈴守・交通安全守・安産守・学業守・海幸守)、
神宮の暦などが授与されている。
風日祈宮橋
宇治橋を小さくしたような、長さ45.6m、巾4.6mの桧造りの橋。
五十鈴川橋(いすずがわはし)ともいわれている。
この先に別宮の風日祈宮がある。
宇治橋の懸替・渡始式につづき懸け替えが進められ、
平成22年(2010)9月17日に大宮司以下神職により渡り始めが行われた。
南端の擬宝珠に「太神宮風宮五十鈴川御橋明応七年(1498)
戌午本願観阿弥敬白」の銘がある。
風日祈宮
御祭神 級長津彦命・級長戸辺命
ご祭神は、伊弉諾尊いざなぎのみことの御子神で、特に風雨を司る神、
級長津彦命、級長戸辺命。雨風は農作物に大きな影響を与えますので、
神宮では古より正宮に準じて丁重にお祭りしています。
風日祈宮に通じる風日祈宮橋かざひのみのみやばしの上からは、
美しい新緑や紅葉を望むことができます。
御鎮座地
内宮神楽殿授与所の向い側の参道を進み、
風日祈宮橋を渡ると右手に鎮座しています。
風日祈宮橋は五十鈴川御橋ともいわれます。
籾種石(もみだねいし)
西の御敷地の石垣、参道の左側(西南隅)にある巨大な岩。
江戸時代の天明年間(1781~89)に、地元(現在の伊勢市楠部町)の
人々が五十鈴川上にあった大岩を、籾種まで食べて献納した秘話によって、
籾種石といわれるようになった。
御贄調舎(みにえちょうしゃ)
石神をまつる石畳は、食物の神である豊受大御神のご神座。
その大前で、祭典にお供えする御贄(神饌の代表としての鰒)を
調理する儀式(忌刀で刻みを入れお塩を加える)が行われる。
正宮 皇大神宮(こうたいじんぐう)
かみじやま、島路山しまじやまの麓、五十鈴川のほとりに鎮座する皇大神宮は、
皇室の御祖神であり日本人の大御祖神である天照大御神をお祀りしています。今から2000年前、皇位のしるしとして受け継がれる三種の神器の一つである
八咫鏡やたのかがみをご神体として伊勢の地にお祀りし、
国家の守護神として崇める伊勢信仰は平安末期より全国に広がりがみられました。現在でも全国の神社の本宗として特別に崇敬を集めます。
皇大神宮の由緒と沿革
わが国最初の正史『日本書紀』によると、天照大御神はお生まれになった時、
「光華明彩(ひかりうるわ)しくして、六合(くに)の内に照り徹る」と称えられ、
この上なく輝かしい存在として、
また神々の世界を治める日の神としても伝えられています。高天原にいらっしゃる大御神は皇孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)
をこの国にお降しになる際に、豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂国(みずほのくに)は、
是(これ)吾(あ)が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。
宜しく爾皇孫(いましすめみま)、就(ゆ)きて治(しら)せ。さきくませ。
宝祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、
まさに天壌(あまつち)と窮(きわま)りなかるべし。と、この国は天地と共に永遠であるとの祝福のお言葉をお与えになりました。
また、この言葉と共に大御神は宝鏡を授けられ、「この鏡は私を見るがごとくにまつれ」
と命じられました。
さらに高天原でお育てになった稲穂を授けられ、米をつくる暮らしが、
この国の繁栄と平和をもたらすとお教えになられました。
この御祝福の言葉は「天壌無窮(てんじょうむきゅう)の神勅(しんちょく)」
と呼ばれます。さて、瓊瓊杵尊に授けられた宝鏡は八咫鏡(やたのかがみ)と呼ばれ、
天皇が天照大御神をお祀りするご神体となっています。
八咫鏡は代々宮中で天皇ご自身がお祀りされていましたが、
崇神(ずいしん)天皇の御代になるとお側でお祀りすることに恐れを抱かれ、
皇居を出られ、大和の笠縫邑(かさぬいのむら)に神籬(ひもろぎ)
を立ててお祀りすることになりました。そこでは、天皇にお代わりして、豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)が
皇大御神をお祀りしていましたが、垂仁(すいにん)天皇の御代に、
倭姫命(やまとひめのみこと)が新たに皇大御神をお祀り申し上げるにふさわしい地
を求められることになりました。
倭姫命は大和の国を始め伊賀、近江、美濃の諸国を巡られた後、
伊勢の国の度会わたらいの地宇治の五十鈴の川上に到られ、
皇大御神のお教えのままに「祠やしろ」をたてて
お祀り申し上げることになりました。今からおよそ2000年前のことです。
祠は社(やしろ)とも書き、家(やや)屋(や)の代しろという意味で、
大きなお祀りに際してその度新たにたてられる建物のことです。
神籬や祠のように臨時にたてられる建物が、神の宮、
つまり神宮と呼ばれるほどに大きな規模になったのは、
天武天皇から持統天皇の御代にかけてのことと考えられています。
20年に一度の大祭、神宮式年遷宮もその時代に始まりました。
式年遷宮で御正宮が左側に立て替えられたことで
荒祭宮へ向かう途中に御正宮横の鳥居近くまで寄ることが出来ます。
同じく御正宮の真後ろ
御正宮の横に大木があります。
参拝者が皆触っていくので幹部分の革が剥がれています。
御稲御倉(みしねのみくら)
内宮の所管社のひとつです。
神宮神田で収穫した御稲が奉納され、三節祭でお供えされます。
建物は正宮同様に神明造で、規模は小さいものの特徴をうかがうことができます。
外幣殿(げへいでん)
神明造の高床式の建物。
内宮は正宮御垣の外にありますが、外宮は御垣内にあります。
忌火屋殿(いみびやでん)
諸祭典の神饌(しんせん)をお調理する所。
忌火とは清浄な火ということである。御火鑽具(みひきりぐ)によって、
木と木をすり合わせて発火させる。神事をはじめ全ての火は、
この忌火を使用している。
前庭は、諸祭典の神饌と神職を祓い清める祓所(はらえど)である。
荒祭宮(あらまつりのみや)
御祭神 天照大御神荒御魂
荒祭宮は、内宮に所属する十別宮のうち、第一に位しています。
殿舎の規模も他の別宮よりも大きく、正宮に次ぐ大きさです。
ご祭神は、天照大御神の荒御魂あらみたま。神様の御魂のおだやかな働きを、
「和御魂にぎみたま」と申し上げるのに対して、荒々しく格別に顕著な
ご神威をあらわされる御魂の働きを、「荒御魂」とたたえます。
御鎮座地
荒祭宮は御稲御倉(みしねのみくら)、外幣殿(げへいでん)を越えて、
石段を下りると正宮の北方、やや小高い所に鎮座しています。
御厩(みうまや)
内御厩(うちのみうまや・神楽殿前)と外御厩(そとのみうまや・参集殿前)
があり、皇室から牽進された神馬(しんめ)が飼育されている。
神馬は、毎月1日、11日、21日の3度、菊花紋章の馬衣をつけて神前に見参する。
御厩は内宮神楽殿の横にもある。