阿波々神社 無間の鐘(遠州七不思議)・静岡県掛川市東山
静岡県掛川市 粟ヶ岳の頂上付近にある
阿波々神社(あわわじんじゃ)へ参拝しました。
社殿の裏には遠州の七不思議「無間の井戸(無間の鐘)」があります。
当日は地元のお祭りの最中
麓の東山いっぷく処よりトレッキングをしました。
そちらの様子も別の記事に書きましたのでご覧下さい。
お祭りの最中
境内も雅楽が流れ雰囲気があります。
由緒
御祭神
阿波比賣命(天津羽羽神) 天石戸別命の御子で八重事代主命の后神。
御神徳は生産の神.子授.安産成就の神、また御山が駿河湾、
遠州灘よりの目標の山として、古来漁師、船員に信仰された。例祭
4月10日社殿
本殿は木造一間社流れ造。明治17年改築、昭和62年旧社殿鎮座地より現覆殿内に移築。
拝殿、覆殿は本殿移築に伴い山頂現在地に改築。
(昭和61年起工、昭和62年春竣工)境内
阿波々神社の鎮座する粟ヶ岳は掛川市の東北に位置し、
標高532メ-トルの山頂にある社殿を中心とした原生林が広がった所が、だいたい当社の境内及び社有林です。境内には杉の巨木をはじめ多くの樹木が混在している貴重な森です。
尚、この貴重な森は全国でも珍しい航行安全のための保安林として林野庁より指定を受けています。由緒
当社は天平8年(西暦736年)の創建と伝えられ、
延喜式内社として1,250年の昔より掛川の里々もとより、駿河、遠江地方の人々に広く崇敬され、その名ははるか京の都にもしられておりました。古来、人々の崇敬を集めた当社は、特に今川家の家老職であった掛川城主朝比奈氏に代々厚く崇敬され、寄進された社殿は荘厳であったとされていますが、元亀、天正年間武田.徳川の遠江をめぐる攻防で兵火を蒙り、社殿は烏有に帰してしまいました。
その後仮殿の造営もありましたが、神仏集合もあり、神社の整備は思うに任せなかったようです。明治の世に移り、神仏分離令により神社と寺院がはっきり分離され、明治6年12月社格が郷社に列格し、明治17年本殿をはじめ拝殿等を改築してより、氏子崇敬者も昔のごとく広い範囲に広がっていきましたが、太平洋戦争終了後は交通の便も悪いこともあり、忘れられたようになっていました。
その後の車の発達で、貴重な森と眺望のすばらしさ、桜の名所としても有名な粟ヶ岳に登る人も多くなってきましたので、昭和57年社務所を新築、昭和61年には創祀1,250年を記念して、本殿を山頂現鎮座地に移築、それに伴い拝殿.覆殿を改築する奉賛事業を進め、昭和62年春に竣工しましたので、4月9日に遷座祭を、翌4月10日例祭に合わせて遷座奉祝祭を賑賑しく斎行して、現在に至っております。
今後境内の整備を進め、延喜式内社に相応しい神社に戻すべく来る平成8年に斎行予定の創祀1,260年式年大祭に向けて準備を進めております。
売店・駐車場入り口付近にある案内板
ここから神社へと向かう。
境内入り口である鳥居は電波塔の脇に立つ
末社の三社神社は右から
八王子神を祀る八王子神社(はちおおじじんじゃ)
八重垣神社(やえがきじんじゃ)
白羽大神を祀る白羽神社(しろわじんじゃ)
遠州の七不思議「無間の井戸(無間の鐘)」
小夜の中山の東、菊川の村にいる仏の道を修行する山伏がふと思う事があり、「仏様へのお願いに、栗ヶ嶽の頂上の観音寺に、釣鐘を寄付しよう」と考え、多くの人の寄付を集め大きな釣鐘を作って、観音寺の釣鐘堂に吊るしました。
鐘の音は広く遠州の国々に響くものであり、釣鐘は大評判になり噂が独り歩きし始め「あの鐘を撞くと大金持ちになれるが、死んだあとは地獄に落ちる」という話になっていった。
欲の深い人たちが我先にと、今が良ければそれでいいとばかりに鐘を撞きにやってきて険しい道から足を滑らせ落ちるものが続出し、それを見かねた和尚様が「そんな考えで鐘を突きに来るのなら、無い方がいい」と考え栗ヶ岳の頂上にある古い井戸の中に投げ入れ埋めてしまいました。
それ以来、無間山観音寺の無間の字をとって「無限地獄に落ちる」意味の「無間の井戸」と言われるようになったという事です。
社殿右側の山道を少し降りると巨石群に圧倒されます。
古代社殿がなかった時代の祭祀跡も残っており
信仰の対象が(磐座)巨石信仰であったことをうかがわせます。
祭祀跡は画像を撮り忘れてしまったが現在石の鳥居が建っています。
案内板にある通り、この岩の裂目が地獄穴と呼ばれていて
欲望のままに無間の鐘を突いた者達が地獄に落ちたといわれる伝説の穴(割れ目)
「地獄穴」で、その奥を知る人ぞ無しとされています。
さらにもう少し下った所には御神木の阿波々の大杉
阿波々の森、この前に広がる森は手つかずの原生林で
杉・椎・赤樫などの巨木が林立する貴重な森です。
社殿より下ること5分、
旧社殿鎮座地まで向かう鳥居と石段が現れる。
現在は石段は荒廃し通行禁止になっている。
石段の改修記念碑には昭和35年2月22日とあるが
移築の記録が無いのでいつまでここに社殿があったか解りませんでした。
廃寺になった無間山観音寺
遠州の七不思議「無間の井戸」の話にもでてきた観音寺
釣鐘堂もここにあったのでしょうか
山全体が信仰の対象となっている霊山なので
出来れは麓よりお参りしてほしい所ですが、
車で来た方もぜひここまでは足を運んでほしいと思います。
一部重複した点もありますが、麓からトレッキングした記事です。
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