田峯城跡(だみね)・愛知県北設楽郡設楽町田峯
田峰城 / Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/田峰城
田峯城(だみねじょう)は、戦国時代における山家三方衆のうち
奥三河一帯を支配した田峯菅沼氏五代の居城で、
時代に翻弄された一族の痛ましい歴史の舞台となった場所でもあります。
本丸ほかの遺構がよく残されており、
現在は本丸御殿、本丸大手門、搦手門が復元されています。
標高387mに構えた山城の物見台から見下ろす展望が素晴らしい場所です。
田峯城は、県下有数の高山である段戸連邦を間近に控えて、
寒狭川の渓谷を見下ろす標高387mの独立丘陵にある山城です。
寒狭川 渓谷の蛇行と段戸連邦の山並みが
まるで大蛇のようであることから別名「蛇頭城(じゃずがじょう)」
「竜の城」とも呼ばれていました。
田峯城 案内板
田峯城跡
所在地
愛知県設楽町田峯字城9
0536-64-5505(田峯城)
営業
9:00~16:00
入場料
大人(210円)小人(100円)
閉城日
月曜日・祝日の翌日・年末年始
標高
387m
様式
書院造
表曲輪
田峯城の入口近く「表側」にあることから
表曲輪と称されています。
無名曲輪
井戸曲輪
井戸跡もなく、掘っても水の出る地形ではないため、
天水を貯える設備があったと考えられます。
裏曲輪
蔵屋敷
蔵があった場所で、当時はこの蔵には
植物や武器などが保管されていたと考えられています。
畷曲輪
狭い面積の曲輪であったことから、
その意を示す畷(あぜ)の字が使われたと考えられます。
田峯菅沼家と徳川家
江戸幕府を築いた徳川家と奥三河の菅沼家の関わりは、
戦国時代のはじめ、徳川家康の祖父、松平清康が三河地方を
統一する頃からありました。
その頃、設楽町近辺は交通の要塞の地であり、
東は今川氏、北は武田氏、西は織田氏と戦国時代の大名がせめぎあっていました。
戦国時代、武田信玄が進軍してきたのも設楽町近辺であり、
都への途上中、病に倒れた信玄が病没したと伝えれる墓石も設楽町に残されています。
戦国時代の末期には、武田信玄の息子・武田勝頼が進軍して
長篠で合戦が行われましたが、このときにも田峯城が大きな役割を果たしたのです。
奥三河を領地とする菅沼氏も、徳川派と武田派に二分され、
相争うことになりました。徳川派に付いた方の菅沼一族は、
その後も存続し、旗本として幕末を迎えたのです。
田峯城跡
戦国時代に翻弄された田峯 菅沼家
菅沼氏が二分されたのは、弘治二年(1556)、
当時の田峯城城主・菅沼定継がきっかけでした。
今川氏から尾張の織田氏に寝返った定継は、今川氏から討伐を受けて敗北。
当人は自刃、菅沼宗家滅亡の危機に立たされました。
この時三才であった定継の子・定忠は、叔父である菅沼定直らの努力により、
新たに三河の支配者となった徳川家康によって助けられたのです。
ところが、成長した定忠と家老・城所道寿は、武田氏の調略に乗り、
家康を裏切ってしまいます。
こうして城主率いる武田派と、家康に恩義を感じる徳川派に分かれ、
田峯城の惨劇を引き起こしてしまうのです。
田峯城で起きた惨劇
天正三年(1575)、長篠の戦に敗れた武田軍とともに
戻ってきた定忠と城所道寿は、留守居の定直や今泉道善らに
入城を拒絶され、城を追われることになったのです。
激怒した二人は自分たちが自害したと噂を流し、
一年後の天正四年7月、復讐を果たします。
十四日未明、まだ寝静まっている田峯城に斬り込み、
老若男女幼少問わず皆殺しにしたのです。
菅沼宗家滅亡後の田峯城
天正十年(1582)、織田信長による征伐で武田氏は滅亡します。
その後、菅沼定忠と城所道寿は徳川軍に帰参を願い出ましたが、
当然認められずに誅殺。菅沼定直らによって救われた田峯菅沼宗家が、
滅びた瞬間でした。
田峯城に迎えられたのは、道目記城主、菅沼定利。
終始徳川方として行動した定利は、定忠に殺された菅沼定直の嫡子でした。
その後、定利は幕府に長年仕え、旗本となったのです。
現在、田峯城は復元されており、あたりには首塚や道善塚が残り、往時を彷彿とさせます
本丸大手門
本丸大手門とは、田峯城の中心となる本丸への正式な表門です。
板葺きの棟門で、質実剛健な戦国時代の武家屋敷をしのばせる
門構えです。
物見台
物見台とは、敵の襲来等に備えた見張台のことをいいます。
この物見台は、矢を射かけられた場合の防御のために、
二階部分の緑が手すりではなく板貼りとなっています。
物見台より鞍掛山
宇連山 鳳来寺山方面
ここからは設楽山系主脈が見渡せます。
大手門・御殿
年間2000人しか訪れない 穴場スポットです!
田峯城は有料拝観で、本丸御殿に受付があります。
受付は朝9時~16時で、お休みは月曜日・祝日の翌日 年末年始(12/29-1/3)となっています。
本丸御殿の内部も見学可能です。
模擬天守などで飾ることはなく、当時の武家屋敷をしのばせた書院造
中世戦国時代の山城の雰囲気を味わうことができます。