足神神社(あしがみじんじゃ)しっぺい太郎の墓・静岡県浜松市天竜区水窪町奥領家




足神神社(あしがみじんじゃ)しっぺい太郎の墓・静岡県浜松市天竜区水窪町奥領家

水窪情報サイト

静岡県浜松市天竜区水窪町、

日本最大級の難所、青崩峠の麓に佇む足神神社です。

全国でも大変珍しい脚の病治癒に霊験がある神社で

山深くにある小さなお社にもかかわらず、全国から沢山の参拝者が訪れます。

由緒

足神神社 由来

祭神 足神霊神

北は嶮山 青崩 足神様の名も高し(当地 西浦応援歌当頂部)

昔、諸国行脚の途時にこの秋葉街道で不幸にして脚を患い 辛うじて池島に辿り着いた鎌倉の北条時頼の脚を 数日にわたって治療し前回せしめた池島庄屋地の(現在大屋)五代目守屋辰次郎を 彼亡き後時頼の命により村民が霊神として祠を建て祀ったのが この足神神社である。 これは遠く1250年代のことである。 当神社は全国にも希な神社であり遠近各地の参詣者は多数である。

奉祈願主旨 健脚祈願の人々皆是無病息災の神恩功徳あり

辰次郎畑義入道

1084(応徳1)年信州諏訪神家守屋一族の守屋辰次郎畑義入道が、諏訪大明神の御幣を背負って、数人の家臣とともに当地を訪れ、開墾し永住の地と定めた。開拓して年月が過ぎ、三代目のときに池島に居を移し、この地域一帯の親方様となる。地名の「辰んど」は初代辰次郎畑義入道を「辰殿」と呼んでいたことが由来している。

拝殿

足の神様

1250年代の鎌倉時代、この地に訪れた一人の旅の僧が高熱で重体に陥った時、五代目守屋辰次郎が手厚く看病して、僧は数日後に全快した。この僧姿の人物は、実は鎌倉の執権・北条時頼公であった。

時頼は書状に「辰次郎こそ医術に優れ、仁徳、人望厚き無類の名庄屋である。高齢のため万一何かあれば、ゆかりの地にその徳を讃えて霊神として末永く祀るべし」と記した。辰次郎の亡き後、村は「足神霊神」として祀った。これが足神神社の始まりといわれる。

以来、全国にも珍しい「足の神様」として知られ、無病息災、健脚祈願の参拝者が数多く訪れている。

足神神社

応徳元年(1084年)信州諏訪神社の森や一族の森や辰次郎が、家臣共々この地を開墾、永住の地と定めました。

鎌倉時代の1250年頃、一人の旅の僧が足を病んでこのあたりで動けなくなったとき、辰次郎がここから流れ出る水で治しました。このたびの僧は鎌倉の執権北条時頼公でした。「高齢の辰次郎亡きあとは、自分が救われたその地に、辰次郎の霊を末永く祀るべし」と届いた時頼からの書状に従い、辰次郎が亡くなるとこの村人たちが神社を祀りました。

足の病にご利益があると言われ、ウォーキングを楽しむ人やマラソン選手など多くの人々がが参拝し、足神様の名水と呼ばれる湧水を汲んだり、足型が奉納されたりしています。

足痛を癒したことから祀られ、全国的に珍しい足の神様を祀った神社です。足神神社は、信州へと通じる青崩峠に行く途中にあります。神社には、たくさんの絵馬があり、足のけがを治癒を祈願するためなど全国各地から多くの人が参拝に訪れています。

本殿

境内

境内社には木を足の形に刻んだものが供えられていました。

境内には、相当数の絵馬が掲げられています。

社務所

瑟平太郎の墓(しっぺい太郎)

神社の近くには「しっぺい太郎の墓」があります。

静岡県磐田市の見附天神社で妖神を倒した犬の事で、

駒ヶ根市の光前寺にもしっぺい太郎(早太郎)の墓があります。

しっぺい太郎の墓

(早太郎ともいわれる。)

「しっぺい太郎」は磐田市見付天神と信州駒ヶ根、光前寺に昔から語り伝えられている民話です。
その昔、遠州見付の天神様では、毎年8月10日の夜、白木の箱に娘を納めてイケニエとして怪神に供える習わしが続いていました。
ある夜、イケニエを捕りにきた怪神から「このことは信濃のしっぺい太郎にしらせるな」との声を聞いた旅の僧がこっそり光前寺のしっぺい太郎を借りてきて、祭礼の夜、ひそかに娘の代わりにしっぺい太郎を箱に入れて備えました。
しっぺい太郎は、怪神との大格闘の末、退治し、以来イケニエの習わしは絶え、里人は大いに喜びました。
しかし、しっぺい太郎も深手を負い光前寺へ帰る途中、哀れにも、この碑のある地で息絶えたといわれています。

静岡県磐田市見付に鎮座する矢奈比賣神社(見付天神) 静岡県無形民俗文化財指定「見付の裸祭り」や「悉平太郎伝説」で有名で、 学問の神、菅原道真公をお祀りする見付のお天神様として 地域の人々の信仰を集めています。

足神神社 御朱印

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