高天神社(たかてんじんじゃ) 静岡県掛川市




高天神社(たかてんじんじゃ) 静岡県掛川市

高天神社 – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/高天神社

高天神城跡、高天神山の山頂付近に鎮座する

高天神社(たかてんじんじゃ)です。

北口・南口それぞれに鳥居がある。

こちらは南口駐車場からの鳥居。

かな井戸横の鳥居

高天神社

【延喜式神名帳】
比奈多乃神社 遠江国 城飼郡鎮座
【現社名】
高天神社
【住所】
静岡県掛川市上土方嶺向2650
北緯34度41分53秒,東経138度2分3秒
【祭神】
高皇産靈尊 天菩比命 菅原道眞
【例祭】
3月最終日曜日 例祭
【社格】
旧郷社
【由緒】
延喜12年(921年)正月15日勧請
応永23年(1416年)今川了俊城郭を築き太宰府の天満宮を御同殿に奉斎
元亀天正の頃戦場となる
慶長6年(1601)大須賀出羽守忠政6石寄進し社殿造営
慶安元年8月徳川家光朱印を下付
明治6年3月郷社
明治45年3月25日神饌幤帛料供進社指定

武田と徳川氏攻防の城高天神城の跡地に鎮座している。
当社を比奈多乃神社に比定する説がある。


拝殿

由緒

創建年代詳ならず、往古土師氏土形郷を領し、
郷中高天神社に祖神天菩比命を斎き奉ると伝えられ、
或は醍醐天皇延喜12年(921年)正月15日勧請し奉ると高天神旧記にある。
応永23年(1416年)今川了俊当山に城郭を築き、
筑紫太宰府の天満宮を御同殿に斎き奉り、城中守護の神となす。
元亀天正の頃戦場と化し、古記類等失亡して往古を知る由もないが、
慶長6年(1601年)横須賀城主大須賀出羽守忠政武運長久を祈り、
霊験をもって新たに6石の地を寄進し社殿を造営す。
慶安元年8月徳川家光右6石の地を新寄進し朱印を下付す。
明治6年3月郷社に列せられ、同45年3月25日神饌幤帛料供進社に指定せらるる。
氏子、上土方、下土方389戸、例祭日3月25日、流造、境内、5870㎡。
特殊神事、河内国枚岡神社の社伝を伝えて、管粥の神事あり。
毎年1月15日小豆粥の中に管百本を立て神前に供えて其の年の豊作物の豊凶を占う。
宝物、慶長6年(1601年)4月2日付大須賀忠政社領寄進状(県資料第四輯)


本殿

高天神社

祭神
高皇産霊尊
天菩毘尊
菅原道真

戦国時代には高天神山に高天神城が置かれており、
武田信玄や徳川家康がこの地の領有を巡り度々衝突する争う要衝であった。
高天神社は高天神城の守護を担う神社として創建された。
江戸時代に入ると、高天神城は廃城となり、
高天神山には戦乱の犠牲者を弔う慰霊碑が建立された。
しかし、高天神社はそのまま高天神山に残され、
地域の住民の信仰を集めることとなった。
瓊瓊杵尊が同地に現れたとの伝承を記念して、
毎年3月に例大祭が行われている。
祭礼期間中、高天神社の祭神は、通常の社殿から別の社殿に移動する。
例大祭に際しては、出店なども立ち並び多くの参拝者を集めている。
近年では、例大祭に併せて砲術演武大会が開催されており、
火縄銃を用いた砲術の実演が行われる。

社名
社名については、一見すると「高天・神社」のように見受けられるが、
祭神として菅原道真を祀る天神社(天満宮)であることから
「高・天神社」と解されている。
この神社の立地する山が「高天神山」、
隣接していた城が「高天神城」と呼称されることから見ても、
「高天」で区切るのではないことがわかる。


社務所

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